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コトノハ  作者: 古都
2/6

【赤いだるま】は今日も大忙し

 

 時は昼もとうに過ぎ、子供が遊び貴婦人たちが茶と他愛のない噂話を楽しむ頃。

 六番街に軒を連ねる飲食店【赤いだるま】は、その看板を下ろそうとしていたところだった。


  「やあ、ライラ。久しぶり」


 そう言って、片手を上げて声を掛けてきた男に店主であるライラはふっと顔をほころばせた。



 準備中と札を掛けたライラは、男とそのつれを店へと引き入れた。

 男は慣れた様子で定位置となったカウンターの端に座る。つれは見慣れぬ人間だったので、男が座ってしまったカウンターの席から最も近いテーブルへと誘導した(カウンターは片づけの途中だったのだ)。

 手早くカウンターに残されていた最後の客の皿を引っ込めると、代わりに飲み物を準備する。つれに聞けば、茶が飲みたいと言われたので緑茶を用意してやる。思わぬ飲み物に驚いたようだった。邪魔な男の方には、ホットミルクを出しておく。


  「今回はどこへ行っていたんだい?」

 自分用のコーヒーを持って行って、カウンター越しに男に尋ねる。

 やけに下街崩れな口調は、育ちがよさそうなライラの顔には不釣り合いな感じがぬぐえない。本人は気のいい定食屋のおばちゃんを気取っているようだが、正直合っていない。


  「南だね。東から3つ国を回って、船に乗った。いやぁ、汽船というものは面白いね。初めて乗ったけれど、今までどうして載らなかったのかと自分を呪ったよ。あれ改良すればもっと早く走るだろうね。今度は向こうの大陸にでも行ってみようと思うよ」

  「相変わらずの根無し草だね。ここに来るのも半年ぶりくらいになるかいね? 家には顔出してきたんだろうね? リュート」


 この男、リュート・フィースハークは「一か所に居られない病」を患っている。いや、実際には病気ではないのだが、あまりにもひどいので周りから病気として扱われているのだ。かなり重病人で、もはや末期である。

 何しろ、これでも男爵家の人間である。しかも、まさかの嫡男。一人息子がこれでは親が嘆くだろうと一度ふざけて言ったことはあるが、「父上も継がなかったし」とのこと。三代限りの男爵位らしいが、未だ一代目である彼の祖父が現役でやっているらしい。これはそのうち没落間違いなしだ。

 

  「家帰ってもいるのは、あの父上くらいだろうね。それに、締め切り間近らしいから帰っても気づかれもしないよ」

  「人気作家は大変だねえ。で、こっちのつれはどこで拾ったんだい?」


 いつも通りの世間話を交わしたライラは、カウンターに肘をついてくれるような目を向けた。

 カウンター向こうの6人掛けテーブルに一人で座るのは、見た目16程の少年。

 出された緑茶を嬉しそうに啜っている。年の割に大人しいし落ち着いているし、店の前で顔を合わせた時もリュートの後ろで会釈していたし、しつけも行き届いているようだ。

  「拾った」以前に、まず「捨てられる」ことなどなさそうな少年である。


  「南回っている最中だよ。砂漠の真ん中で生き倒れていた。行くあてもないそうだから、3か月程一緒に行動しているね」

  「そうかい。あんたはそんなのばっかりだね」

  「迷惑かけるよ」

  「今更さ。それに、それはあんたの問題じゃないよ。むしろ、あたしの問題さ」

 気にするこっちゃないよ、と言うと、ライラは目の前の少年に向かってニッと艶やかな笑みを閃かせた。


 ライラはティーポットとコーヒーの入ったマグをそれぞれ手に持つと、少年に向かい合うようにして席に着いた。


  「はじめまして。あたしはライラ。この店の店主さ」


 きゅっと口の両端を引っ張った力強い笑みを浮かべる。一見の客にこれをすると気づけば常連になっていると客から言われる必殺の「店長スマイル」である。

 どうやら効果はてきめんだったらしく、少年もつられて笑みを浮かべてくれた。


  「えーと……はじめまして。私はシン・トーマ。リュートと旅をしています」


 たどたどしい感じは、どうにも可愛いらしい。顔立ちはすっきりとしていて、少し冷たい印象を得もしたが、どうやら内面まではそうではないようだ。微笑めば、柔らかい感じが伺えた。


  「シン・トーマ? ややこしいねぇ。シンが名前で、トーマが家名でいいのかい?」

  「ええ、はい」

  「ふうん……」


 すると、途端、ライラは少年から興味を失ったかのように話しかけるのをやめた。

 そして、値踏みするかのように少年を見始めた。

 主に顔を、それから手、全体と雰囲気を見定めた後、ぽつりと口に出した。


  「なんでこんなの連れてくんのかねえ」

  「え?」

  「あんたに言ったことじゃないよ。あんたについてだけど」


 ますますわからないと言わんばかりにシンは狼狽えていた。

 しかし、ライラはそのことにさらに目をするどくした。


 シンは、まずほとんどの人間が否定することない美少年だろう。

 黒髪黒目とこの国では少々珍しい容姿に背筋の良い長身はとても目を惹く、精悍だったり愛らしかったりという表現は似合わないが、繊細な置物のように端正に整えられた顔は美貌以外の何物でもない。3か月も南を旅していたという割には、肌も白く傷もない。ニキビすらないのは、最近美白に凝っているライラの神経に触るところである。そして何より、全体的に大人しげな落ち着いた雰囲気が不思議な魅力を醸し出している。


  「こんなのあたしの前に出す必要もない奴だよ。どこに放り出してもやっていけるね」

  「さすがに砂漠じゃ無理だよ」

 リュートはけらけらと軽く笑うが、リュートが拾ったことが「どこに放り出してもやっていける」という言葉を裏付けていると言えよう。

  「こういった輩はほっておいても運でも人でもなんでも自分から引き寄せるんだよ。あたしがするのは、自分じゃどうしようもない連中の手助けさ。つまり、あたしはいらないんだよ」


 突き放すような言い方に、少年シンは不安になったのだろう。じーっとこちらを黒目がちな目で見てくる。


  「別に今すぐ出てけって言いやしないよ。さ、飲みな」


 ティーポットから空になった器に茶を注ぐ。

 器を満たしていく緑の液体に少年は嬉しそうに頬を染めた。

 ほほえましいことだ。


  「懐かしいかい?」

  「【懐かしい】? どういう意味ですか?」

  「知らないのか。まあ、リュートから学ぶなら、こういった言葉覚えないだろうねえ」


 今まで、思う以上に違和感なくその場に馴染んでいた分、まさかこんな言葉がわからないとは、という気持ちにはなるが。

 ライラは一口マグからコーヒーを飲んだ。

 早くもぬるくなっているそのコーヒーは、ライラが知るものより味が渋かった。


 『懐かしいって意味さ』

 『―――!! 日本語!?』

  「驚いたかい? こんなそこらへんにあるような店主だけど、これでも言葉は色々話せるんだよ」

 子供が悪戯に引っ掛かった者を見るかのような笑みで、ライラは少年を見た。

  「そもそもリュートがあんたをここへ連れてきた理由がそれだよ」

 当のそれを見れば、ホットミルクを飲んで気が緩んだのか、カウンターで寝ていた。どこでも寝れることが旅には必要だ!などと依然語っていたが、何もそんなところで寝なくても…と思う。

  「あの……できれば、日本語で話してもらえると。まだわからない言葉が多いんで」

  「いいさ。練習にはならないだろうが、ちゃんと聞いておいたほうがいいだろうからね」


 そうとだけ前置きすると、ライラはぱっと切り替えたように日本語で流暢に話し始めた。


 『まず、言っておくと。あたしもそれなんだよ』

 『それ?』

 『異世界トリップってやつだよ。まさかファンタジーを実体験するとは思ってもみなかったね』

 『まさか!!?』

 『驚くのも無理ないけど、そう珍しいものでもないみたいだね。いや、あたしがこの店にいるからそう感じるだけかもしれないけど。でも、そこにいる馬鹿だって異世界移民2世さ』


 聞いていなかったらしい。シンはまたもや信じられないという顔をした。

 無理もない。リュートは金髪碧眼のまさにこの国の国民といった面立ちだ。言われなければ想像もしないし、まずリュートはそんなことを言う人間ではない。


 『母親が日本人らしい。父親がこっちの人間で、あいつは父親似。母親はもうなくなっているが、その母親の影響で父親は漫画描いてるよ』

 漫画家という言葉がないために、肩書は作家となっているが、彼をはじめに今国中で漫画ブームが到来している。

 漫画好きで秋葉原に行こうとしていた最中にこっちに来てしまったフランス人など、はじめは漫画がないことにショックを受けていたが、今では出版社で働き率先して漫画を普及させようとしている。


 『あたしの名前は、竜胆莱羅りんどうらいら。びっくりするだろう? 画数が多くて堪らないんだよ』

 手早くポケットから出した紙にペンで書かれた名前に、シンも驚くも納得がいった様子だった。

 『ライラさんも日本人なんですね』

 『髪は染めてるのさ。日本でやったらこんな頭目立ってしかたないけど、ここじゃそれほど目立たないからね』


 そう言って、見せびらかすようにゆすられたのは、赤茶色のポニーテール。

 しかし、その色は赤茶色と言っても赤の色が強すぎる。日本と比べるとたしかにそれほど目立たないと言っても、結局目立っているには違いないのだろう。

 ただ、睫は確かに黒い。それに覆われた瞳の色も黒だ。


 『実は、これでも女子高生だったんだよ。国際化に力入れてたところだったから、英語と中国語、仏語は問題ないね。こっち来て、同じような境遇の人間から教えてもらってスペイン語とマレー語とスワヒリ語覚えたよ』

 『そんなに覚えてどうするつもりですか?』

 『あたしも、学生中は思ったよ。でも、今はこれが役立つんだよ』


 ライラがこの国に来て、もう6年が経つ。

 15歳の子供も21歳の大人として1人立ちしているのだ。日本じゃまず考えられないことである。

 しかし、まあ、21女子高生と言い張るのはつらい。やめた覚えがない以上、未だ女子高生に違いはないが、たぶんもう生徒名簿には載っていないだろう。


 『この店はね、異世界人御用達のこの世界でたった一つの店さ。語学を学ぶと同時に文化とか色々学んだからね。いろんな国の料理が作れる。どうだい、この世界の料理はもう食べただろう?』

 こくりと頷く少年に、ライラは笑みを濃くした。

 『―――でも、そのお茶が一番舌に合うんじゃないかい?』

 一瞬目を見開いたシンにライラは満足そうに頷いた。


 『それでいいのさ。生まれ育ったところの料理はやっぱり最高! あたしだって和食が食べたくて仕方なくて、でもどこでも食べられないから、自分で作ることにしたんだよ。それで店を出せば、同じような奴らが流れ着くんだよ。これがまた。店始めてそこそこになるけど、大抵の奴は自分の国の言葉や食事、文化に飢えてる。それを理解してもらえないのはつらいし、転がり込むようにして上がった奴なんてこの世界の言葉が理解できないんだから、まず意思の疎通が取れないんだ。あたしと話した瞬間、踊り出すもいるくらいだよ? それを考えると、あんたはついていたよ。リュートは多少日本語を理解するし、金に困っているわけでもないし、あんたに言葉まで教えてくれただろう?』


 空になったマグに今度は緑茶を注ぐ。

 ティーポットでマグカップに緑茶を注ぐなど違和感があるのだが、この国に湯呑も急須もないのだ。―――いっそ作ってしまおうか?


 『そういう点であんたは運がある。いや、運を引き寄せる才能みたいなもんがあるんだと思うよ。だから、あたしはあんたをあたしの店に連れてくる必要はないと言ったんだよ』

 『異世界に来てしまったこと自体運があるとは言えないと思うんですけど』

 『それでも、さ。不幸中の幸い。あたしなんて酷かったね。現れたところが男風呂だよ?』


 一拍、二拍、三拍………妙な静けさが訪れる。

 シンは絶句と言ったところだろうか、いや、なんと返していいのかわからないようだ。なぜかこっちの言葉に戻って「えっと」とか「あの」とか繰り返している。そして、


  「ご愁傷様です?」

 『それは皮肉じゃないか。あいつもまともなことを教えていないねえ』

 『それだけじゃなくて、なんだかすごくリュートの言葉って綺麗なんですよ。治安の悪いところで話すとそれだけで目をつけられて』

 『無理もない。あのお貴族様は自分が強いから処世術とかをまるで知らないからね』


 かたん、と不意にライラは立ち上がった。


  「いいよ。まあ、同郷のよしみってやつさ。あんたみたいなどうにかなりそうな奴はほうっておきたいけど、まあ面倒見てやろうじゃないの」


 にぃっと笑ったライラに、嬉しそうにシンも微笑んだ。

 ふん、やはり可愛らしい。芸人にでもなればいいと思うのだが。


  「さ、起きるんだよ、この金色狸が。『ドラえもん』の仲間たちかっての」

  「『ドラえもん』ってなんだい?」

  「うちの実家に巣食ってる青色の狸さ。まったく本棚に収まりきらなくて困ってるんだよ」

  「狸を本棚に詰め込むなんて、君は鬼畜かい? いつか私も詰め込まれそうだよ」


 ドラえもんが狸ではなく、ネコ型ロボットであるなどという細かい説明は全て排除させてもらおう。リュートが家に帰って実父に聞けば直ぐにわかることだからだ。ちなみに、本棚に収まりきらないのは、勿論本体ではなく漫画の方である。


  「今なら、ロッカー詰め込むさ。夜店開けるのに邪魔だからね。さっさと帰んな。―――ああ、シンは置いていきなよ」

  「うん? 頼まれてくれる気になったのかな?」

  「あんたに頼まれたからではないと言っておくよ。今晩うちで使ってみてから考えるよ。要領さえよければどこに放り込んでも大丈夫だからね」

  「そうかい。じゃあ、これで失礼しよう。ホットミルクは有難う。代金は置いて行くよ。―――シン、君ともここでお別れだ。またどこかで」


  「またどこかで」その言葉をシンは知らないのだろう。

 返す言葉の語尾に「?」がついていたようだが、それを返しだと思ったリュートはそのまま出て行ってしまった。

 相変わらず協調性とか空気を読むとかの出来ない男である。


  「じゃあ、あんたには働いてもらわないとねえ。さ、エプロンつけて。もう店開けるよ? あの馬鹿のおかげで妙に時間を食ったからね」

  「は、働く?」

  「聞いてなかったのかい? ここは飲食店兼職業紹介所。あたしの顔が広いのを活かして、あんたたちみたいなのがくいっぱぐれないようにちゃんとした仕事を紹介してんのよ。まだ仕事が決まっていない奴はこの店で働くのが掟。当然あんたにも働いてもらうわよ」

  「――――え、ええ、勿論。働きます!」


 慌てふためく少年は、なかなか見ごたえがあるものである。

 どうやら、今晩の店は盛況だろう。


  「いい返事だよ。しっかり働いていたら、向こうからスカウトっていうこともあるからね。うちの客は人材を探している人間も多い」


 ぱぁんっと背を叩いて、ライラはカウンターへと引っ込んでいった。

 店のホールには、唖然としたシンだけが残される。








 六番街にあるライラ・リンド―の店【赤いだるま】は、今日もにぎわっている。

 今晩のメニューは、「生姜焼き定食」と「肉粥と小龍包」、「鶏カレー」。勿論、メニューの下には日本語と英語の補助が入る。それでもわからなければ、店主へ。とりあえずある程度の言語なら、すんなりと応えてくれるだろう。

 それから、食べたいもの・飲みたいものは遠慮せずに注文するといいだろう。運がよければおいてあるし、無くても彼女が取り寄せてくれる。幸運にも、彼女には冒険男爵と名高い知り合いがいるのだから。

 そして、本日は新しい店員が増えたようだ。黒髪黒目の美少年は店主と同じ国から来たと言う。ならば、と店のステージでは演歌、アニソン、国家、J‐POPがおかしなメドレーとなって流れる。合いの手は「よーおっ」「ちゃちゃちゃ」「日本一」。まったく不思議な空間である。


 もしも、君が異世界に行きついてしまったのなら、【赤いだるま】を訪ねればいい。

 きっと、少しおかしな口調の女店主が「店長スマイル」を閃かせて迎え入れてくれるだろう。

 そして、ここで少し助言。

 ―――彼女はお人よしだから、困った人程助けてしまうんだ。だから、君は要領が悪そうなふりをするといい。

  でも、どっちにしろ助けてしまうんだけれどね。



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