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【最浅層×料理配信】戦闘F判定を喰らった俺、誰も採らないスライムゼリーで配信はじめたら、気づけば最浅層の億り人になってました  作者: いなばの青兎
第2章 拡張編

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第26話 ピコを連れて配信

 日曜日、朝九時。


 インターホンが鳴った。


 ピコは机の上の通気ケースの中で羽を広げた。朝食の白い筋のないブルースライムゼリーを小さく一欠片、皿から食べ終えた直後。鳴き声の高さが昨夜の「ぴこ」より半音高い気がした。


 JAGLアプリには、昨夜の一時保護メモの受付返信が来ていた。


『受付済み。逃走防止と隔離観察を継続。追加給餌は少量。映像公開時は捕獲・接触を誘導しないこと』


 玄関を開けた。


 カナメが立っていた。ジーンズに白いカットソー。髪はいつものポニーテール。手にコンビニの袋を一つ。


「早いな」


「……九時に行く、って、言ったでしょ」


「言ったっけ」


「昨日のLINE。『明日、行く』。——私が九時でいい?、って、付け足した」


 俺はスマホを見た。既読の最後の行。確かにカナメが『九時でいい?』と追記していた。俺は読んで返信していなかった。


「……入って」


* * *


 カナメは玄関で靴を脱いだ。母は台所で洗い物をしていた。


「おはようございます」


「おはよう、カナメちゃん。——二階にいるよ。昨夜からおとなしいけど、朝、ゼリーは食べてた」


 母の報告は一晩の観察の要約だった。『飼えるかどうかはもう少し観察してから』と言った人の観察の一日目。


 二階、書斎。


 カナメはドアの前で立ち止まった。


「……ユウ。本当にいるの?」


「いる」


 ドアを開けた。机の上。通気ケースの蓋が薄く開いている。


 ピコはケースのふちに立っていた。透明な羽を一度広げて、畳んだ。朝の光が青緑色に反射した。


 カナメは三秒、動かなかった。——A級冒険者の目が未知の生物を査定している。体長、羽の構造、魔力の有無。三秒で判定が終わった。


「小さい。——少なくとも、今すぐ襲う気配はない」


「……うん」


「綺麗」


 査定の後に声が柔らかくなった。


 カナメはしゃがんだ。目線をピコと同じ高さにした。ピコはカナメの方を見た。昨日の母の時と同じ、『こっちを見た』気配。


 カナメが右手の人差し指を少し上げて、途中で止めた。


 ピコは一度後ろに下がった。羽を半分開いた。警戒。でも逃げなかった。


「……触ってもいい?」


 カナメは俺に聞いた。俺ではなくピコに聞くべきだった。でもカナメはまだピコの言語を知らない。


「まだ。——見るだけ」


 俺はピコ用の皿に、白い筋のないゼリーを米粒ほど置いた。


 カナメは指を引いた。ピコは皿の上のゼリーを見た。そしてゆっくり前に歩いた。ゼリーを一口食べた。


「ぴこ」


 カナメは息を止めた。それから笑った。口を閉じたまま、目だけで。


「……名前、本当にピコなんだ」


「そう聞こえた」


「ユウ。——この子、すごい」


 カナメの『すごい』はいつもの戦力評価の言葉ではなかった。もっと素朴な声だった。


* * *


 十時半、台所。


 母は買い物に出た。『お昼、買ってくる。三人分。——ピコさんは追加で食べさせないでね』と言って。母はピコの食事を、もう家計と観察記録の両方で数え始めていた。


 俺は台所に立った。カナメはテーブルの椅子に座った。ピコは——通気ケースごと、台所の端の小さな台にいた。


 書斎から台所に移す前に、カナメがケース越しに状態を見た。羽、呼吸、光の強さ。危険な反応はない。ただしケースからは出さない。鍋にも近づけない。


「何、作るの」


「スライムゼリーの寒天仕立て」


 冷蔵庫から白い筋のない通常部位のゼリーを一包み出した。まな板の上に置いた。包丁で薄く切った。——断面から甘い匂いが広がる。透明な白にかすかな青みが差した断面。表面に細かい気泡が並んでいるのが採取Sの目に見えた。


 ピコがケースのふちから身を乗り出した。まな板の横には出さない。ケースは台の上、鍋から離した位置にある。


 包丁がゼリーを切る。断面から甘い匂い。ピコが一度鳴いた。


「ぴこ」


 いつもの高さ。——でも、俺が次に鍋に火をつけて、ゼリーを湯で溶かし始めた時。


「ぴこぴこ」


 二度。しかも昨日までと違う。声が半音、上がっていた。


 俺は手を止めた。——鍋の中のゼリーが溶けて液体に変わる。その変化の途中でピコの声の高さが変わった。


 指先がピリと鳴った。採取Sの合図ではない。もっと浅いもっと近い場所からの信号。——ピコの声の変化がゼリーの状態変化と連動している。


「……カナメ」


「聞こえた。——声、変わった?」


「うん。ゼリーが溶けた時に」


 俺は鍋に寒天の粉を少し入れた。混ぜた。——ピコがもう一度鳴いた。


「ぴ……こ」


 低い。さっきと真逆。


 カナメはテーブルから立ち上がって、鍋の横に来た。


「ユウ。——次、砂糖、入れて」


 俺は砂糖をひと匙、入れた。


「ぴこっ」


 短く、高く、弾むように。


 俺は鍋の前でしばらく動かなかった。——ピコはゼリーの状態を声で読んでいる。素材が切られ、溶かされ、混ぜられ、変わっていく過程を全部聞き分けている。採取Sの指先が食材の性質を読むようにピコは声で料理の工程を追いかけている。


 カナメは俺の方を見た。俺もカナメの方を見た。


「……これ、映さないの?」


* * *


 俺は答えなかった。


 型に寒天液を流した。ピコがケースのふちから中を覗き込んだ。液の表面に顔を映すように見つめて、一度首を傾げた。


 冷蔵庫に入れた。ピコが扉の前で「ぴこ?」と鳴いた。ゼリーが消えた場所への問いかけのような声。


 ——カナメの問いが頭に残っていた。映さないの?


 昨夜、レシピ帳に書いた。『動画にはしない』。


 ピコは世界で十例に満たないダンジョン産の珍種かもしれない。動画に出せば、JAGLが問い合わせてくるかもしれない。研究者が押し寄せるかもしれない。俺の手には負えない規模の関心がピコに向かうかもしれない。——それが怖い。


 でも、ピコは料理の隣に自分から来る。声で料理に応える。俺が映さないと決めても、ケースの中から映る場所に立つ。


 急がないルールは、公開する時にも効く。JAGLの返信をもう一度読み、概要欄に一時保護中であることと捕獲禁止を書くと決めた。


 喉の奥が細くなった。それからゆっくり広がった。


「……カナメ。一本だけ、撮る」


「うん」


* * *


 十一時、台所。


 スマホを三脚に立てた。まな板と鍋と俺の手元を映す角度。ピコは通気ケースの中、画面の右端。映る。


 十六本目。


 録画、スタート。


 もう一包み、白い筋のない通常部位のゼリーを冷蔵庫から出した。切る。ピコが「ぴこ」。鍋に入れる。「ぴこぴこ」。寒天を入れる。「ぴ……こ」。砂糖を入れる。「ぴこっ」。


 ピコの声だけが台所の空気を刻んだ。俺はナレーションをほとんど入れなかった。ピコの声がナレーションの代わりになっていた。


 カナメがカメラの外で小さく笑った。その笑い声は編集で落とす。今日の動画に残すのは、俺の手元とピコの声だけでいい。


 十二分。


 冷えて固まった試作を型から外した。


 匙を入れると、寒天の表面がぷるりと揺れた。透明な白の奥に、ほんの少しだけ青い光が沈んでいる。


 一口食べる。冷たさのあとから、スライムゼリーの甘みがゆっくり戻ってきた。砂糖の甘さではなく、地下水みたいに静かな甘さだった。


 ピコがケースの中で、短く鳴いた。


「ぴこっ」


* * *


 午後、編集。


 カナメは隣で画面を覗いていた。


「ユウ、ピコの声、字幕、入れないの」


「入れない。——視聴者に自分で聞き分けてほしい」


「……ユウらしい」


 編集は最小限にした。カットもBGMもほぼなし。ピコの声と俺の手元とゼリーの変化。三つだけの動画。


 タイトル:『最浅層のゼリー寒天。——小さな声の実況付き』。


 概要欄には、JAGLに一時保護メモ受付済みであること、捕獲や接触を真似しないこと、ピコは通気ケース内から撮っていることを書いた。


 十六時、アップロード。


* * *


 一時間後。


 再生数:三千八百。十五本目の初動の二倍。


 コメントが来ていた。


『右端にいるの何!? 光ってる!!』


『声聞こえる。ぴこって。かわいい……』


『字幕ないのがいい。自分で聞くの楽しい』


『加工じゃないの? CGっぽくない? 本物なら詳細教えてほしい』


 y_yamada —— 『動画の件で、後でDMしてもいいですか』


 山田さんのコメントはいつもより短かった。抑制された一行。——言いたいことを飲み込んだような、間。


 mi_kana —— 『小さな声の実況。——料理に応えてるみたいに聞こえた。いい声』


 カナメはコメントを俺の横で打っていた。動画を撮影した当人がコメント欄に視聴者として立つ。日曜日の午後だった。


* * *


 夜、二十二時。カナメは帰った。


 再生数:一万四千。登録者:八千二百。六時間で千人増えた。


 トレンドの『ダンジョン・グルメ』カテゴリに入っていた。ホタルトンボの天ぷらがバズった時ほどの爆発力はない。でも十五本目の同じ時間帯の伸びを、六時間で超えた。——ピコが映っているという一点だけで数字が変わった。


 冷蔵庫の白い筋のゼリーは今夜、二十九本。——ピコの朝食と料理の撮影に使ったのは、白い筋のない通常部位だけだった。観察中の袋には触れていない。


 ピコは机の上で眠っていた。今夜も通気ケースの中で、布の端に寄りかかって、羽を広げたまま目を閉じていた。


 山田さんからDMが来ていた。まだ開いていない。——明日、読む。急がない。


 俺はスマホを裏返しに置いた。机の上でピコの透明な羽が微かに光っていた。その光の揺れ方が今朝、料理の横で声を上げた時のあの弾む「ぴこっ」の音と同じリズムに見えた。


ブクマや評価をいただけると、続きの執筆がすごく捗ります。

楽しんでいただけたら、ぜひ応援してやってください!

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