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【最浅層×料理配信】戦闘F判定を喰らった俺、誰も採らないスライムゼリーで配信はじめたら、気づけば最浅層の億り人になってました  作者: いなばの青兎
第2章 拡張編

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第24話 迷子の光

 金曜日、朝六時半。


 父の黒革のザックを棚から下ろした。——三回目。B4、山田さんの件、そして今日のB3。


 中に機材を入れた。ヘッドライト、ミニ三脚、予備カメラ、ジップ袋、ナイフ。


 小型の固定カメラを一台追加した。——固定の意味は、今日は採取ではなく『記録』が主だから。


 最後に冷蔵庫からブルースライムゼリーを一欠片、密閉袋に入れた。


 B3で食べるためではない。試食用でもない。『羽』の生き物がもし何かに反応するとしたら、画面の端に置いた袋へ光や動きが寄るかもしれない。ただ、それだけを見る。


 袋は開けない。触らせない。捕まえない。近づいてきたらカメラを回したまま下がる。


 それをノートに書いてから、JAGLアプリの入場メモに『B3西側、苔地帯奥、記録目的。十一時までに撤退』と入れた。


 母には台所のメモで行き先と帰宅予定を残した。カナメにもLINEで送った。


『B3西側。記録だけ。十一時撤退』


 既読はつかなかった。実戦練習の朝だ。返事はなくていい。共有だけでいい。


 レシピ帳と父の手帳を机の上に並べた。——昨夜、羽の記号を見つけた革表紙のレシピ帳。


 そして、二〇一三年四月第三週水曜日。『B4、並走、山田。塩苔S。』の頁。


 その翌日。二〇一三年、四月、第三週、木曜日。


 父の手帳の次の頁を開いた。


『B3、西、苔地帯奥、羽、×』。


 ——×。


 見つからなかったという、父の一言。


 十三年前の父はB4で『山田』という相手と並走した。その翌日、B3の西の苔地帯の奥に羽の正体を探しに行った。そして、見つけられなかった。


 俺は今日、父の×を貰う覚悟でB3に行く。


 見つからなくて当然。


 見つかったとしても、追いかけない。


 父が記録できなかった一秒を、今のカメラで拾えたら、それで十分だった。


* * *


 B3に着いたのは九時。


 JAGLの入場ログに、B3西側・十一時撤退予定が残っていることを確認してから階段を降りた。


 熱だまりのキッチンを通り過ぎた。いつもの地熱石の壁。鈍い熱が頬に当たる。


 西へ歩いた。——苔地帯の奥。


 岩肌に苔が薄く連なっていた。B2のグリーンモスの群生とは違う色。薄い緑。ところどころ淡い青み。


 岩肌に触れた瞬間、指先がピリと鳴った。


 いつものピリピリとは違う。もっと弱くて、でももっと深い場所からの合図。


 思い込みではない。ここには『何か』がある。


 父の手帳の×の場所だった。


 俺はミニ三脚を立てた。固定カメラをセットして、広角で苔地帯の奥全体を映すように角度を合わせた。


 録画、スタート。


 密閉袋のブルースライムゼリーは、画面の端に置いた。袋の口は開けない。


 それから俺は採取を始めた。


 カメラは俺の背中側の岩の裏にある。俺の採取の邪魔をしない位置。俺もカメラに大きく映らない。カメラは俺がそこにいない時間も撮り続ける。


 苔を千切った。ジップ袋に入れた。


 光苔の新種ではない。でも、普通の光苔とも違う。匂いと色、指先の反応で状態を判定するタイプの苔だった。


 三十分、採取した。


 何も起きなかった。


 父の×。今日の俺の×。


 十一時を待たずに撤退する。無理に粘らない。


 カメラを止めた。三脚を畳んだ。密閉袋のゼリーを回収した。


 帰ろう。


* * *


 家に戻ったのは十三時。


 午後、十五本目の撮影をした。家の台所で昨夜の塩苔スープを再現した。一人で作った。——母は仕事。カナメは実戦練習。


 タイトル:『最浅層の塩と苔のスープ。——材料と比率の向こう側』。


 ナレーションは最小限にした。


『古いメモに、名前だけ残っていた料理です。B2グリーンモスはJAGL食用登録と加熱推奨を確認済み。岩塩は新しいものを使っています。真似する場合は、必ず登録素材と加熱条件を確認してください』


 父の名前は出さない。母とカナメのことも出さない。十三年前の出来事の詳細も書かない。


 それでも、湯気は映った。


 青みを帯びた湯気。鍋の縁で小さく弾ける気泡。塩を入れた瞬間に、苔の香りが一段だけ丸くなるところ。


 調理法とは別の空白を、映像の奥に一層だけ残した。


 編集は十七時までかかった。夜七時にスケジュール投稿を設定した。


* * *


 編集の最後に、俺はB3の固定カメラの映像を開いた。


 十五本目には使わない。でも、撮ってきた三十分の素材を一度見てから保存する習慣になっていた。


 倍速で流した。


 二十三分、何も起きない。ヘッドライトの俺の背中。採取の手元。岩肌の苔。——普段通り。


 二十六分目、突然、画面の右上に淡い青緑色の光が映った。


 俺は倍速を止めた。巻き戻した。通常速度で再生した。


 二十六分三十五秒目。


 光が一つ、画面の右上、岩陰の奥から現れた。


 上下に一度揺れた。


 迷子みたいに、行き先を探すように。


 そして、画面の外へ消えた。時間は一秒あるかないか。


 俺はもう一度巻き戻した。光が現れた瞬間、時刻を見た。


 二十六分三十五秒。


 俺の指先がピリと鳴った時刻と、ほぼ同じだった。


 息を一度呑んだ。


 手がスペースキーの上で止まった。


 喉の奥が熱い。画面の前で、心臓がいつもより一段速く鳴っていた。


 父の×の場所で、十三年越しに誰かが一秒だけ画面の隅から手を振ってきたような感覚。


 父の羽の記号。


 B3、西、苔地帯奥、羽、×。


 父が×と書いた場所で、俺は×の代わりに、一秒の光を貰った。


* * *


 母が帰宅したのは十八時半。


 俺は母を書斎に上げた。画面を見せた。


「ここ。右上。一秒」


 巻き戻して、再生した。


 母はしばらく画面を見ていた。——眉を寄せなかった。瞠目もしなかった。ただ、一度深呼吸をした。


「お父さんが探してた、生き物、かも」


 胸の奥が一拍、細くなった。


「……母さん、父はこれの話、家でした?」


「一度も」


 母ははっきり言った。


「でも、あの日、『B3、行ってくる』って言って出かけて、帰ってきた夜、お父さんは台所で長く黙ってた」


 長く黙ってた。


 父の×の日。父の手帳に×と書いたその夜。母は父の沈黙の長さだけを覚えていた。


「明日、俺、B3に戻る」


「うん」


「同じ場所で、もう少し長く記録する。捕まえない。追いかけない。十一時で戻る」


「うん。——気をつけて」


 母はそれだけ言った。『行かないで』とは言わなかった。行ってらっしゃいもまだ先。明日の朝、玄関で言う。


* * *


 夜、十九時、十五本目が公開された。


 スケジュール投稿どおり、定刻公開。塩と苔のスープの動画。


 一時間で再生、二千。


 十四本目、寒天仕立ての初動一時間千二百を上回る立ち上がりだった。バズの余波はまだ続いていた。


 コメント欄にいくつか。


『スープ、作ってみたい。塩と苔だけなのに、美味しそう』


『ユウトさん、最近、動画が静かで深い』


 mi_kana —— 『材料と比率の向こう側、ちゃんと届いてる』


 ——カナメ。昨夜の三人の場に立ち会った一人として、でも公開コメントではそこまでしか書かなかった。


 y_yamada —— 『「材料と比率の向こう側」という表現、研究者として好きです』


 ——山田さん。祖父の話は公開欄には出さない。その線を今日も守っている。


 外部リンクつきのスカウトコメントは見当たらなかった。


* * *


 夜、二十三時。


 冷蔵庫の白い筋のゼリーは今夜、二十九本。——昨夜と同じ。


 塩苔スープと光の映像、二つの出来事の日でも、ゼリーは一本も増えなかった。冷蔵庫の中の時間はまた、一日、同じ速度で進んだ。


 机の画面で、二十六分三十五秒の光をもう一度再生した。


 一秒の淡い青緑色。


 上下に一度揺れた。画面の外へ消えた。


『羽』。


 父のレシピ帳の中盤、三角の横の柔らかい曲線。


 羽らしき曲線を持つ何かが岩陰の奥にいた。


 父の×の場所に、十三年越しに形の気配だけ置いて消えた。


 明日、朝、B3に行く。


 一人で。父のザックを背負って。


 母とカナメには、ルートと戻る時刻をもう一度送ってから行く。


 固定カメラの録画時間をもっと長くする。一時間ではなく、二時間。——俺の指がピリと鳴った場所でもっと長く待つ。


 父が×と書いた場所は、本当は羽が迷ってくる場所だったのかもしれない。


 父の指先もあの日、たぶん何かを感じていた。


 でも、羽は出てこなかった。今日の俺の前にも一秒しか出てこなかった。


 俺の指先がまだあの一秒の光の温度を覚えていた。


 明日もう一秒長く待つ。


ブクマや評価をいただけると、続きの執筆がすごく捗ります。

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