第94話 黒葉レンとの決着
B5保全記録を出した翌朝、黒葉レンからDMが来ていた。
送信元は、いつもの派手なアイコンではなかった。
所属事務所の確認済みアカウントからだった。
「佐々木ユウトさんへ。直接謝罪したい。場所と立ち会いはそちらに任せる。撮影なしでも構わない」
短い文だった。
俺はすぐに返事をしなかった。
スクリーンショットを撮り、カナメとゲン爺と有希さんへ送る。
数分後、カナメから電話が来た。
「ユウ、一人で会わない」
「分かってる」
「源田屋。ゲン爺もいる。録音は双方確認。動画には使わせない。まず謝罪の中身を聞く」
「うん」
有希さんからも返信が来た。
「先方の謝罪意思を聞くこと自体は可能です。ただし、東和プロモーションや東和グループに関する具体発言は、後日、弁護士同席で整理する前提にしてください」
画面の文字を読みながら、胸の奥が少し冷えた。
謝罪。
その言葉で、壊れたカメラが直るわけではない。
休止していた時間が戻るわけでもない。
でも、聞かずに切るほど、俺の中の怒りは単純でもなかった。
* * *
昼過ぎ、源田屋の奥の部屋で黒葉レンと向かい合った。
黒葉は帽子をかぶっていなかった。
銀髪も、いつもより光って見えない。
カナメは俺の右側に立ち、ゲン爺は古い机の端に肘を置いている。
黒葉側には、事務所の若いマネージャーが一人ついていた。
双方のスマホで録音を開始し、場所や会話を無断公開しないことを確認する。
黒葉が頭を下げた。
「動画の件、コメント欄の煽り、機材を壊した日の現場。全部、オレの責任だ。すまなかった」
部屋が静かになった。
俺はすぐに返事をしなかった。
怒っている。
そのことは、もう隠さなくていい。
「謝られたから終わり、にはできない」
「分かってる」
「俺だけじゃない。見てくれていた人も不安になった。カナメも、有希さんも、母さんも、ゲン爺も、余計な心配をした」
黒葉の肩が、少し下がった。
「分かってる、って言うのも軽いな。分かってなかった。昨日のB5の動画を見るまで、たぶん分かってなかった」
「B5?」
「あれを見て、やっと嫌になった。お前は見せれば勝てるものを、わざと切ってた。オレは、見せなくていいものまで見せて勝った気になってた」
黒葉の声は低かった。
いつもの配信用の大きさではない。
「所属先の上から、最浅層ごはんの危険性を強めに扱えと言われた。案件としては曖昧だった。書面もある」
黒葉側のマネージャーが、そこで小さく咳をした。
「会社名と書面の中身は、ここでは控えます。写しは、弁護士経由で確認できる形にします」
黒葉は唇を噛んだ。
言いたいことを、飲み込んだ顔だった。
「……分かってる。今ここで、誰かの名前を出して勝つつもりはない」
黒葉は、俺を見た。
「けど、引き受けたのはオレだ。お前が地味な動画で伸びているのが、むかついたからだ」
最後の一文で、部屋の空気が変わった。
理由が正義だけなら、まだ遠かった。
嫉妬、と言われた方が、逆に近い。
「最初に見た動画は?」
「ホタルトンボの天ぷら」
「どう思った」
「最初は、地味だと思った」
黒葉が苦く笑った。
「でも、一回で閉じなかった。三回見た。あんな小さい虫を揚げて、お前が本気で美味そうな顔をしてた。戦闘シーンより覚えてる。腹が立った」
「美味そうだったのか」
「美味そうだった」
その答えだけは、まっすぐだった。
採取Sは人の心を測らない。
嘘か本当かを、能力で決めることはできない。
ただ、黒葉の声は、配信の声ではなかった。
* * *
しばらく、誰も喋らなかった。
録音中のスマホの画面だけが、机の上で光っている。
俺は、黒葉の頭が下がったままなのを見ていた。
ここで怒鳴れば、少しは楽になるのかもしれない。
でも、それは黒葉の動画と同じ場所に立つことでもあった。
俺は、机の端に置かれている小さな保冷箱に気づいた。
ゲン爺が持ってきて、まだ開けずに置いていたものだ。
「ゲン爺、それ、使えますか」
「坊主が決めるならな」
ゲン爺が奥から小さな保冷箱をこちらへ寄せた。
「坊主、これを使え」
「何ですか」
「B4ホタルトンボ。JAGL食用登録済み、源田屋の仕入れ分だ。採取日とロットも残っている」
「受領時刻と保冷温度も記録してある」
黒葉が顔を上げた。
「……なんで料理の流れになるんだ」
「謝罪を聞いた。次に何をするかは、坊主が決めろ」
ゲン爺が短く言った。
カナメがため息をつく。
「ユウらしいと言えば、ユウらしい」
「まだ、許すとは言わない」
俺は黒葉に言った。
「でも、これを食ってから話したい」
黒葉は一度だけ、目を伏せた。
「分かった」
俺は手を洗い、源田屋の検証用コンロを借りた。
ホタルトンボの発光器官は、保冷箱の中で薄い青緑に光っている。
JAGL資料を確認する。
可食部は発光器官と胸肉の一部。
加熱必須。
採取後三十分以内が風味の山。
今日は源田屋の仕入れ分で、まだ光が残っていた。
バターを落とす。
小さな鉄板で、じゅっと音がした。
青緑の光が、熱に触れて金色へ変わる。
香りは甘い。
虫というより、焦がした蜂蜜に近い匂いだった。
黒葉が黙って見ていた。
「食うか」
「食う」
皿に分けて渡す。
黒葉は一口食べた。
すぐには喋らなかった。
二秒。
三秒。
「……うまい」
「だろ」
「悔しいな」
「まだ悔しいのか」
「悔しい。けど、前と違う」
黒葉が皿を見た。
「これを美味いと言える動画を、オレは撮ってこなかった。強いところだけ見せて、食べるところを見せてなかった」
俺は自分の分を食べた。
バターの熱の奥に、淡い甘みが残る。
ホタルトンボは、光が消える前に食べると輪郭が違う。
それを知っていることが、少しだけ誇らしかった。
謝罪を受け取るかどうかは、まだ簡単に決められない。
でも、この味が同じ皿にあることは、確かだった。
「謝罪は受け取る」
黒葉が顔を上げた。
「許す、とは別だ」
「分かってる」
「次に公に話すなら、俺の名前で勝たないでくれ。自分が何をしたかだけを話してくれ」
黒葉は少し黙った。
「分かった」
* * *
その日から五日間、黒葉のチャンネルは止まった。
黒葉側から、公開前に俺へ見せたいという連絡も来なかった。
有希さんからは一度だけ、「黒葉さん側の発言範囲は弁護士確認中です」と連絡が来た。
機材破損と煽り発信については、補償窓口を作る方向で事務所が動いているらしい。
それを聞いても、胸が軽くはならなかった。
軽くならない方が、たぶん正しい。
五日後の朝、黒葉レンのチャンネルに動画が上がった。
タイトルは「最浅層の話をする」だった。
サムネは、暗い背景に光るホタルトンボの発光器官だけ。
俺の顔も、源田屋の場所も、会話の詳細も出ていない。
黒葉は正面を向いて座っていた。
「最浅層ごはんの佐々木ユウトさんに対して、オレは必要以上に不安を煽る発信をしました」
声は派手ではなかった。
「企業側の意向を受けた部分があります。詳細は関係各所で確認中です。ただ、それを受けたのはオレです。嫉妬もありました。戦闘配信者として、戦わない動画に負けた気がしていました」
黒葉はそこで、一度目を伏せた。
「該当する過去動画は非公開にします。広告収益は、補償窓口の整理が終わるまで凍結します。謝って終わりにはしません」
その瞬間だけ、黒葉の喉が動いた。
伸びていた動画を消す痛みは、配信者なら分かる。
分かるからこそ、俺は画面を止めなかった。
コメント欄が伸びていた。
「正直に言ったのは評価する」
「遅い」
「謝って終わりではない」
「ホタルトンボ食ってみたい」
「最浅層ごはん、これで初めて見た」
全部が好意ではなかった。
それでいいと思った。
謝罪動画まで綺麗に受け取られる必要はない。
俺は黒葉の動画を引用しなかった。
固定コメントもしなかった。
許した、と書けば、俺が黒葉のために判子を押したみたいになる。
許していない、と書けば、今度は怒りを見せ場にしてしまう。
どちらも違う。
代わりに、自分のチャンネルの概要欄を開いた。
新しく来た人が最初に見る場所だ。
B1スライムゼリーはJAGL資料確認、食用登録済み部位、少量試食、体調記録。
B4ホタルトンボは、ランクと許可と適切な流通ロットが必要。
B5保全対象は、採取対象でも観光対象でもない。
短く、硬く、書いた。
謝罪動画への返事ではない。
次に見る人への入口だった。
カナメからメッセージが来る。
「ユウ、反応しなくていい。朝飯食べな」
「今から作る」
「ならいい」
短い返事だった。
その短さに、肩の力が少し抜けた。
台所で、ピコがスマホを覗き込んでいた。
「ぴこ」
一声。
低かった。
「うん。終わりじゃない」
「ぴこぴこ」
二声。
少し上がった。
冷蔵庫には、昨日残したグリーンモスがある。
俺はフライパンを出した。
今日は、派手な謝罪動画の反応を追い続ける日ではない。
朝飯を作る日だ。
油を薄く引く。
グリーンモスを入れると、青い香りが立った。
水分が飛ぶたびに、葉の縁が少しだけ濃くなる。
箸で返すと、シャキッとした抵抗が指先に返った。
採取Sではなく、料理を何度もしてきた手の感覚だった。
塩をひとつまみ。
皿に移すと、湯気が細く上がった。
コメント欄の数字は動いている。
黒葉の動画から来た人も、B5保全記録から来た人もいる。
その全部を、俺が一度に抱える必要はない。
次に撮る動画で、いつものように手順を見せる。
美味いものを、美味いと言う。
その繰り返しでいい。
登録者:三十六万二千人。
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