第22話 鬼子母神の涙
♪ポエット(現在)♪
鬱蒼とした森。首都へとの最短経路を進む。人の往来はまばらだ。暗殺者が居たらきっと、狙いやすいことこの上ないだろう。
僕は耳を、グロウルは鼻のセンサーをそれぞれ尖らせていた。アダージョさんも。だが、運のいいことに刺客は来ていない。デパート前で仕留めるつもりで、機を失したから、次の策を練っているのか。
集団で襲われたら困るなあ。何にせよ、とにかく、一刻も早く急がないといけない。夕方になり、暗くなってきた。
「このあたりにテラがあるはずだ」と僕が言う。
「テラ?」とグロウルは聞き返す。
「異世界地球の宗教施設さ。仏教っていうのがあちらでは有名らしい」
「へえ」
この音楽魔法世界では、異世界地球と行き来が自由になって以来、最初は、異世界の宗教施設が乱立した。
だが、異世界宗教というものは、この世界にとって、ちょっとした劇物だ。
預言者が奇跡が起こせば海が割れると言う教えの宗教が伝来すれば、本当に海が割れる現象が観測され、首がなく腹に口のある戦士の神話が伝わると、首がない戦士の亡霊が現れるなど、神話や聖典が、実体化してしまうのだ。
この世界にだけ存在する響素という粒子は、異世界の長年の信仰に影響を受け、実体化してしまう。
そうなると、さすがに、無制限に異世界の教えを受け入れるわけにはいかなくなった。地球側と協議した結果、建築して良い宗教施設の数を絞ることにしたのだ。
世界4大宗教と呼ばれるものは、各宗教ごとに10施設、宗派が細分化されているものは、宗派の規模に応じて、それよりマイナーな施設も規模に応じた数と敷地面積だけ、建てて良いということになった。
その一つがこの森にあるらしい。
「あった!」
木造の荘厳な建築物。異世界地球においては、ヘレニズム文化と呼ばれる古代の様式らしい。唐招提寺というものを軸に、仏教の様々な宗派やヒンドゥー教の要素が無作為に取り入れられている。金剛力士像なるいかめしい石像が門に飾られている。
この像が動いたという噂は聞いたことが無いが、動いたとしたら、さぞかしおぞましい戦士として目覚めるだろうなということで、そこまで狼藉を働く者はこの森にいない。
「どなたさんかね?」
法衣と呼ばれる衣装を着た坊主の男が中から現れる。
「我々、通りすがりの旅人です。うさぎ王国の首都に向かってまして・・・・・・」
「それはそれは、ご苦労様です。このあたりは俗世とは隔絶していますが、内乱の噂については多少、耳にしております。どのような事情があるかはお聞きしませんが、このような時期に旅をなさるということは、きっと、大変な使命を背負ってらっしゃるのでしょう。どうぞ」
案内されるままに中に入ると、畳と呼ばれる敷物が広大にずらりと並べてあった。何人もの僧侶が行き交う。
3つの顔と多数の腕を持った仏像の前でアダージョさんは立ち止まる。
「これは……」
「阿修羅像、異世界インドの神様です。悟り、怒り、悩みの3つの人格を内に秘めています。戦いの神様でもありますね」
「3つの人格・・・・・・。もしかして・・・・・・」
アダージョさんは像を眺めながら、考え込んでしまった。何か思い当たることがあるのか。待っていると、3つの顔のなかでひときわ穏やかな顔、おそらくは悟りの顔が、一瞬、微笑んだように見えた。
まさか、響素の影響を受けて? まさかね。これはただの木彫りの像だ。
さらに進むと赤ん坊を抱く母親をかたどった像が目に入る。
「これは、鬼子母神、人を取って食べるなんて非道な過去を持つ神様ですな。仏様に諭されて改心してからは、安産祈願の神様として、祭られています。どんな罪深い過去があったとしても、立派な母親としてやっていける。そんな説話がありましてな。おっと・・・・・・これは」
鬼子母神像の目のあたりから水が流れている。住職は狼狽しはじめる。
「鬼子母神が涙を流しておる。こんなことが起きるからくり仕掛けはしていないはずだが………」
後ろを見ると、アダージョさんが涙を流していた。まさか、アダージョさんの感情と共鳴して? 一体何が起きているんだ。
和食が運ばれる。肉や魚はないようで、豆が代わりの役割を果たしているようだ。精進料理という俗世から離れるための修行用の食べ物らしい。
「いただきまーす」とアダージョさん。
「もぐもぐ。美味しいけど腹にあんましガツンと来ねえな」とグロウル。
「こら、失礼でしょ。せっかく泊めてくださっているのに」とアダージョさん。
「へへーん。こんなときのためにいいもの持ってきたんだ」
グロウルは、干し肉を取り出す。僕はそれをひょいと奪う。
「なにすんだよ!」
「寺には寺のルールがあるんだから、持ち込みの飲食はしないものなんだよ!」
「ちぇっ! いい子ぶりやがって」
それを見てアダージョさんがくすくすと笑う。見世物じゃないよ!
夜更け過ぎ、畳の上に布団が敷かれ、川の字に僕たち3人は寝ていた。僕は考え込んでしまう。
アダージョさん。やっぱり、君を死なせるわけにはいかない。預言書のような奇跡は起きなくていい。目の前の女性も守れなくて何が王子なんだ! 目の前の布団を揺さぶる。
「グロウル・・・・・・」
「どうした。夜更け過ぎだぞ」
「やっぱり、僕は、アダージョさんを巻き込みたくない。2人で先に旅立とう」
「待てよ。この女のキスが報酬だったはずだぜ。忘れたのかよ」
そうだった。僕は少し考え込む。アダージョさんと幸せになりたい。それが、僕の望みだったはず。
だけど、その結果、彼女を不幸にしては元も子もない。それはただのエゴになる。
「どうした? 行かないなら俺はこのまま寝るぞ」
僕は、立ち上がる。
「本当に行くのか?」
「ちょっとトイレ」
「なんだよ。驚かせやがって! なんか俺もしたくなったから行くよ」
「連れション?」
「そんなことしねぇよ!」
三日月が寺を美しく照らし出す夜。灯籠なるものに火を焚べてあり、トイレへの道を案内してくれる。
「うう。夜は冷えるし震えるぜ」
「大げさだなあ」
用を済ませた僕たちは部屋に戻ろうとするが、何かが動いているのを目撃する。
「金剛力士像⋯⋯!?」
石像がこちらに向けてツッパリをすると、風の刃が襲いかかる。
「あぶねえっ!」
グロウルに押し倒される。僕の白い毛がふわりと舞い上がる。間一髪で交わした。深傷を負うところだった。
「いったい何が起きてるんだ? 世界が乱れて響素にも悪影響が⋯⋯」
「小難しいこと考えてる場合じゃねぇぜ。とにかく、眼の前の火の粉をなんとかしないとな」




