第九話・価値
助けを求めていいのは
助ける価値があるものだけだと思っていた。
【第九話】
目を開けた瞬間、胸の奥をひっかくような痛みが走った。
まるで、誰かが内側から僕を汚そうとしてるような…
冷たい汗が頬を伝う。
僕はゆっくりと起き上がり、荒れた息を整えた。
あの凶々しい黒い感情の残滓がまだ身体のどこかに残っている。
空藍「目、覚めたか?」
柔らかな灯りの中に空藍がいた。
その顔を見て、ようやく世界が現実へ戻る。
月狼「……もう夜なんだな」
空藍「あぁ、外は上忍達が見回ってる。
”夜叉”の心配はいらない」
何気なく発したその名前が誰を指すのか、もう分かっていた。
月狼「夜叉…さっきのが…」
契約者の存在を知った時に、本当はどこかで分かっていた。漆黒の悪鬼が何者なのかを。
月狼「僕は…あの時、何で…」
__キンッ。
鋭い痛みが頭を裂いた。
月狼「っ……!」
記憶が拒絶している。
踏み込もうとすると、鋭い爪で引き戻されるような感覚だった。
空藍「月狼、大丈夫か?!」
駆け寄る空藍の手を、思わず跳ね除ける。
月狼「…僕にかまわないでくれっ!」
自分でも驚くほど荒い声が出た。
”ぽたっ”___”ぽたっ”__
跳ね除けた空藍の手から、赤い滴がぽた、ぽたと床に落ちる。
月狼「…血…怪我してるのか?」
目に入った傷口は、僕が空藍に刺された場所と同じだった。
月狼「もしかして…それ…」
空藍「あぁ、これ?転換術だよ」
月狼「転換…術……?」
空藍「本来は位置を入れ替えたりする術だけど、応用すれば“痛み”も“傷”も交換できる。俺は転換術の才を買われて、ここに呼ばれたんだ」
月狼「つまり…その術で僕の傷を、君に?」
空藍「あぁ。全部こっちへ移した」
理解出来なかった。何故彼がそんな選択をしたのか…
月狼「なんで、そんな…君が苦しむのに…」
空藍「守りたかったから」
その言葉をどう受け止めていいのか、僕にはわからない。
空藍「俺は丈夫だし、術を使ってるから治りも早い。ほら?」
見せられた右手の傷は、あれだけ深かったはずなのに、もう塞がりかけていた。
空藍「まだ少し血は出てるけど、今日中には完治すると思う」
月狼「…もう、こんな事しないでくれ」
望んでいない罪悪感も、他人に借りを作るのもどちらも嫌だった。
空藍「え、なんで?」
月狼「…え?」
空藍「だから、なんで?俺、守るよ」
月狼「だから、守らなくていいって」
空藍「だから、なんで?」
月狼「だから、それは…」
空藍「だから、それは?……何?」
月狼「だから…」
空藍「だから、んじゃあ、守るから」
月狼「だから、どうして僕を守ろうとするのさ!」
空藍「だから、それは俺が月狼を守りたいからだって……なぁ、気づいてるか?
さっきから俺達『だから』ばっか言ってる」
空藍が悪戯っぽく笑う。
その顔につられて、僕も思わず息を漏らした。
(僕、今笑ってるのか?)
この歳になるまで、こんな他愛もない会話を人とした事が無かった。
空藍「馬鹿みたいだな?俺達」
月狼「…そうだね」
胸の奥が温かく、少しかゆくなるような。
そんな不思議な感覚だった___
空藍「汗かいてるな。拭くもの取ってくるよ」
そう言って、空藍は奥の部屋へ消えていく。
”月狼を守りたいから”
生まれて初めて言われた言葉。
危ない事はするな。
危険なものからは逃げろ。
黒き者には近づくな。
いつも僕が僕を守る行動を求められてきた。
僕を守るのは僕だけ。
本当に僕を守りたいのも…僕だけ。
どこかでそう思いながら生きていた。
でも、今日初めて他人から”守りたい”と言われた。
僕には守る価値があると言われた気がした。
(お礼…伝えるべきだったよな…)
喉元まで出かかった”ありがとう”という言葉が、胸の奥に引っかかったまま燻っている。
(空藍が帰ってきたら…言おう)
そう決めた瞬間、部屋の隅で影がわずかに揺れた。
風もないのに、ゆら…りと。
そこだけ世界が違うように冷えていく。
目を凝らすと、闇の奥に小さな点が二つ、ぽつ、と灯った。
その二つの点は徐々に膨れていき、血のような赤みを帯びていく。
月狼「……そこに、誰かいるのか?」
???「いるとも」
闇が答えた。
その存在が放つ気配を肺が拒絶する。
身体が凍りついたように動かない。
血のように灯った二つの点は
__血紅色の眼だった。
(誰か…助けて…誰か…僕を助けて…)
月狼「……空藍、僕を助けて…」
影がこちらへ、滑るように近づいてきた…




