第十二話・鎖
無力の方が簡単だ
ただ、溺れてしまえばよかったから___
【十二話】
女性だった白夜の声は、研ぎ澄まされた刀のように凛と響き、空気を淡く震わせる。
白夜「まだ語り尽くせぬことは多いが…悠長にもしてはいられぬ。すまぬが、事を急がせてもらうぞ。……ついて参れ」
白い木の内側から外へ出た瞬間、
世界の“温度”が変わった。
ひどく静かで、ひどく澄んでいる。
けれど、その静けさは膜のように張り詰め、肌に触れただけで軋む。
白夜「さて…」
徐に白夜は口を開く。
その白濁した眼が向けられるたび、目に見えぬ刃が僕の心の奥をかすめた。
白夜「…そなたと“黒”との繋がりは、もはや誤魔化しの利く段階ではない…」
伏せていた顔を上げる。
月狼「黒との……繋がり?」
白夜「そうよ。封印の揺らぎに呼応し、夜叉は日を追うごとに力を増しておる。昨日のような“喰われかけ”が続けば……いずれ奴は、そなたの全てを黒く汚すだろう」
黒い残像が脳裏に閃き、視界が淡く滲む。
白夜「そうなれば、おぬし達が想像もしていない危機を生む。我々はそれを黙って見過ごすわけにはいかぬ。ゆえに、そなたら三人には己の責務を果たしてもらいたい」
楓「せ、責務…?」
白夜「月狼が“器”として耐え得るか。
空藍が“鎖”として繋ぎ止められるか。
楓、おぬしが“盾”となれるか──」
空気が一段冷えたようだった。
月狼「…器?僕が?」
空藍「俺が鎖…?」
楓「わ、私が盾?」
白夜「その通り。器に蓋が無ければ、注がれたものは良きものも悪しきものも全て入り込む。だから、そなたの中に夜叉が忍び寄るのだ」
月狼「…蓋が無い器…」
白夜「そなたの急務は、その蓋を取得することだ。さすればもう、そなたを黒が汚す事も無くなるであろう」
月狼「…黒が、無くなる…」
その言葉は甘い救いのようで、同時に何かを奪う宣告にも思えた。
白夜「空藍、そなたは月狼と繋がる鎖だ。おぬし達も気づいているだろう?二人の間には特別な繋がりがある事を」
空藍と僕の視線が触れ合う。
白夜「それは″鎖の絆″だ。その鎖があれば空藍、おぬしは月狼を導く事が出来る。手綱のようなものと思えば良い」
空藍「手綱…ですか?」
白夜「そう。その繋がりは、おぬしらが思っているよりも遥かに強力だ。一説には前世で強い繋がりがあった者同士にしか現れない絆と言われておる。だから互いを引き寄せ、繋ぎ、離れる事を拒むのだ」
月狼「空藍と僕が前世で…?」
白夜「さよう。空藍、そなたの責務は月狼を導き守ることだ。例え、月狼が暗闇の中で道に迷おうと引き寄せてやる事が出来るのは、おぬしだけだろう…」
空藍「…決して迷わせません」
紫紺の光が揺れず、真っ直ぐ僕を射抜く。
その瞳に嘘は無かった。
白夜「そして、楓…そなたの血には強力な守護の血が流れておる」
楓「しゅ、守護の血ですか?」
白夜「そうじゃ、そなたの一族は代々その身体に流れる守護の血の力でこの地を守ってきた。そして、その中でも、おぬしの血の力は群を抜いておる」
楓「わ、私がですか?信じられない…姉さんの間違いじゃ?…私なんかが…そんな…」
白夜「お主の持っているものは特別でも、お主がそれの扱い方を知らなければ意味をなさない。楓よ…そなたの責務はその術を知り、仲間を守る事だ」
楓「…仲間を…守る…私が?」
自信の無い楓の声が響いた。
白夜「よいか、三人共。逃げたいのならば、去るがよい。誰も咎めぬ」
その声には揺らぎも迷いもない。
静寂が世界を締めつける。
楓の肩を、彩葉がそっと押した。
彩葉「楓……あなたが決めていいのよ」
楓「ね、姉さん……」
その声は、どこかで妹が逃げる事を望んでいるように聞こえた。
白夜「だが逃げぬなら、そなた達に”黒”と戦う力を授けよう」
言葉は淡々としていたが、そこに“脅し”の響きはない。
黒と戦う力…
わかっている。
僕は黒と戦うべきなのだろう…
でも、僕は本当に黒と戦いたいのだろうか…
心に影が陰る___
白夜「月狼よ…おぬしの力は恵か、それとも災いか。私にもまだ核心は無い」
白夜の指先がひらりと舞い
僕の前に白と黒の紙を差し出した。
白夜「選べ、力を握るか。
それとも___力に溺れるか」
息を呑む。
枝分かれした道をどちらに進むべきか…何故か、直ぐに選択できなかった。
逃げ出してしまいたい。
僕なんかに何が出来る…
僕はいつだって無力だ…
このまま溺れしまった方が楽かもしれない…
すると、背中に温もりを感じた。
冷えた心を温めるような手の温もり。
溺れそうな僕を引き寄せる鎖…
月狼「空藍…」
紫紺色の綺麗な瞳が僕を優しく見つめる。
空藍「……月狼、友が一緒だ。そうだろ、楓?」
楓「う、うん……!」
その言葉が胸の奥に触れた瞬間、迷いが吸い込まれるように消え
________僕は白い紙を手に取った。
月狼「僕は……力を握ります」
白夜は目を細め、静かに微笑む。
白夜「良い。では始めよう…
月夜の試練を──」
白夜がそう告げると闇でも光でもない、
名前のつかない空間が、僕たちを包み込んだ。
白濁の白夜の眼が遠のいていく…
白夜「準備は良いか?
月狼、___白と黒。異色の眼を持つ者よ…」
僕は静かに顔を上げた。




