第十話・怖かったもの
怖かったのは消えることより
失うことのほうだった。
【第十話】
異様な気配に気づいたのか瞬きする間に、数人の上忍が僕の周りを取り囲んでいた。
その中には空藍もいて、僕と赤紅色の眼の間に立ちはだかっている。
空藍「…月狼、大丈夫だから」
空藍の背中は、今まで見たどんな背中よりも大きく見えた。
上忍「”夜叉”に決して怯むな!」
上忍達と夜叉の戦いが始まった
影の奥――そこに潜む“それ”は姿はよく見えないが、沈む闇そのものが意思を持ち蠢くような凶々しい気配だった。
まるで、生き物じゃない。
けれど、ただの闇でもなかった。
その時___
楓「二人とも、こっちへ!早く!」
部屋の奥扉から楓の声が飛ぶ。
空藍は僕の手を掴むと、そのまま勢いよく走り込み、扉の中へ押し入った。
“バタン”
楓が急いで扉を閉めると、自分の指を噛んで血の色が混じり合う半透明な壁を生み出した。
楓「へ、平気?二人とも怪我は無い?」
空藍「平気だ、助かったよ。これは?」
楓「私が作った血結界術よ」
空藍「へぇ、凄いな」
その一言に楓の頬がふわりと染まった。
楓「内側からは外が見えるけど、外側から中は見えないの」
いつも自信なさげな少女にこんな才能があった事に驚きを隠せない。
月狼「君、血結界が得意だったのか?」
楓「う、うん。戦術は全然ダメだけど、血結界術は人よりも長けてるって…姉さんが言ってくれて…きゃっ!」
ドンッ!!
上忍の身体が結界の壁に激突する。
激しい戦闘が周囲で行われているのは目を背けようも無かった。
空藍「くっ、俺も参戦した方がっ…!」
楓「だ、だめだよ!私達の敵う相手じゃないもん」
空藍「でも、このままじゃ…」
楓「だ、だめだって!空藍君っ!」
楓の静止を振り払おうとする空藍___
“グイッ”
空藍「……どうした?月狼?」
空藍がそう言うまで気づかなかった。
僕が空藍の袖を、強く握りしめていた事に。
空藍「…怖いのか?」
月狼「…あぁ…怖い」
空藍「……大丈夫、側にいる」
僕が怖いと言えば、空藍はそう言ってくれる気がしていた。
僕は空藍を戦闘に向かわせたくなかった。
今彼を引き止めなければ、もう二度と会えない気がして…それが、どうしようもなく怖かった…
その様子を見ていた楓が口を開く。
楓「こ、ここにいれば安全だよ。私の血結界は破られた事が無いから」
空藍「天才じゃん」
楓の頬が再び濃い桜色に染まる。
楓「わ、私達の家系は代々巫女の家系なの。だから、血結界を作るのに適した血なんだって」
月狼「…巫女?」
楓「う、うん。私も詳しくは聞いて無いんだけど代々、私達の家系から最も優れた能力を持つ者だけがヤタノミコになれるって…」
月狼「ヤタノミコ?」
ドクンッ
胸が一度だけ強く脈打った。
(…なんだ…今の)
まるで黒の存在を知った時に近い衝動を感じ戸惑う。
ただ、決定的に違うのは血が逆流するような…
そんな衝動だった。
(怒り…いや、ちょっと違う。興奮か?)
空藍「月狼、どうした?」
空藍が少し心配そうに背中を叩く。
月狼「あ、いや…別に…」
何故かわからないが、隠さなきゃいけない気がした。
空藍「んじゃ、そのヤタノなんとかってのに選ばれたのが楓ってことか?」
楓「ち、違うよ!四代目の巫女に選ばれたのは私の姉さん!私は血結界術の才があるって理由でここへ呼ばれたの」
空藍「へぇ…」
月狼「その姉さんって…もしかして…」
初めて見た時から同じ髪の色だった事が気にはなっていた。
でも、あまりに対照的な二人だったから、ただの思い過ごしだと思っていたが…
楓「うん。彩葉先生だよ。凄く強いの!私は血結界術しか取り柄が無いけど、姉さんは全て完璧なの!」
誇らしげな声。
姉への尊敬がよく伝わってくる。
空藍「なぁ、さっきから急に静かじゃないか?」
気づけば外の音が、すべて止んでいた。
周りを見渡しても、広がるのは夜の闇ばかり。
月狼「…確かに静か過ぎる」
楓「…上忍の人達、どうしたのかな?」
胸騒ぎがしていた___
明光が夜を欠けさせる_____
彩葉「楓、私よ。術を解きなさい」
夜明け前の薄暗さの中、彩葉の姿が音もなく浮かび上がった。
その瞳は、錆びたように掠れている。
楓「…は、はい!」
すぐに術を解いた楓に彩葉は冷たく声を落とす。
彩葉「…疑う事なく、すぐに術を解くのは軽率だと教えなかった?」
楓「ご、ごめんなさい!」
容赦ない声に小刻みに震える肩。
けれども、言葉とは裏腹にその震える肩に彩葉が優しく手を伸ばす。
彩葉「けれども、あなたがいて今回は助かりました。そうでなければ今頃きっと…」
そう告げた彩葉の視線の先には__
先ほどまで戦っていた上忍たち全員が、血の海に沈んでいた。
あまりの残忍さに、声が出ない。
空藍「…上忍でも倒せないのか…」
空藍は惨状を前にして力無く立ち尽くす。
彩葉「私が来た時には、既に手遅れでした」
無力さを痛感するように唇を噛む彩葉。込み上げてくる感情を押し殺そうとしているのだろう。
楓は蒼白になり、口元が震えていた。
彩葉「三人とも支度をしなさい。もう我々だけではあなた達を守れそうにない。あの方のところへ行かなくては…」
朝焼けが闇を切り裂き、死を静かに照らしていく。
僕は命を刈り取られた上忍達の亡骸を見つめていた。
“あの時、空藍を引き止めていなかったら…”
血に染まった屍が空藍の顔と重なり、胸を裂くような恐怖が走る。
その恐怖に呼応するように、
煉獄が___低く、鈍く、揺れた。
僕が怖かったのは自分が消える事よりも空藍を失う事の方だった。




