016 虫たちとの血の宴
死んだ。
頭が破裂して飛び散った僕は、後方へと倒れる。
痛みはあった。けどそれは、激痛というほどではない。バッティングセンターで、ボールが直撃するくらいだろうか。いや、これは普通に痛いな。
でも、頭が破裂したことを思えば、痛みの程度はとても小さい。だけどそんな痛みのことよりも、不思議なことがあった。
どうして僕は、思考することができるのだろうか? 脳も一緒に、吹き飛んだはずなのに……。
そう。理由は不明だけど、僕は思考することもできたし、なぜか死んではいなかった。
いや、もしかしたら、死ぬまでの体感時間がもの凄く伸びているだけかもしれない。
いわゆる、走馬灯という現象だろうか。全く過去の出来事なんて、脳裏によぎらないけど。
しかし僕が、そんなことを考えているときだった。誰かの声が、唐突に聞こえてくる。
「はっ、チャラな訳ねえだろうが! てめぇみてえな化け物を、許すわけねえだろ! ここで襲われたのも、てめえが逃げたからだろうが! 自業自得だぜ!」
「一さんステキ! 私もあの化け物は死んだ方がいいと思っていたの! きっとあいつは、あとから私たちのことを殺すつもりだったに違いないわ!」
それは僕の頭部を破壊した一という男と、厚美という女性の声だった。
……そういうことか。
僕は友好的な振りをされて、そのままだまし討ちに遭ったようである。
結局のところ、これは僕が馬鹿だったということだろう。最初から、裏切られる可能性について考えていたのに……。
でも僕は、『裏切るかもしれない』というコンプレックスと、人を見殺しにしてもいいのかという罪悪感、そしてこの狂った状況でも、人間性を捨てたくないという気持ちがあった。
頭では分かっていても、感情を優先させた結果である。
傍から見たら、僕は愚か者なのかもしれない。僕だって第三者だったら、そう思うことだろう。
けど実際当事者になると、それが難しいことがよく分かった。人間とはなんとも、不自由なものである。
でもそんな愚か者でも、こうして痛みを知ったことで、ようやくそれに気がつくことができた。
「このブサイクガァ! 俺を騙しやがったな!」
「えっ!? ブサッ!? もしかして化粧が……!? こ、これは違うの! ま、待って! そ、そうだイイコト、イイコトしてげ――ッ」
「死にやがれ!」
するとそんな言い合いと共に、鈍い音が聞こえてくる。
耳どころか頭部が無いのに、何故か普通に聞き取ることができた。
流石にもう、死ぬまでの体感時間が、もの凄く伸びている感じじゃないな。たぶん僕はこんな状態でも、生きているのだろう。頭が吹き飛んだにもかかわらずだ。
可能性としてはやはり、あの擬態クリーチャーに【吸収融合】を発動したからだろう。逆にそれしか、考えられない。
だとすれば僕はまた、人間から遠ざかってしまったようである。
でも、頭が無いことには変わりないよな。一体これから、どうすれば……ん?
そう思っていると、周囲に何かを感じる。何というか、自分の体の一部のような、不思議な感覚だ。
意識してみると、それは僕の方に近づいてきている気がした。しかも、意外と速い。
そして無数の何かが僕の頭部のあった場所に集まってくると、少しずつ感覚が戻ってきた。
これは飛び散った僕の頭部が再集結して、修復しているのか!?
驚くことにその予想は当たっており、気がつけば頭部は元通りになっていた。視界も以前と変わらずに、問題なく確保できている。
これってもしかして、不死身になったのだろうか? いや、そんな都合の良い感じじゃないだろう。なんかすごく、お腹が減った感じがするし。
おそらくこうして元通りになる為には、多くのエネルギー的な何かを使うのだろう。
だとすれば、やり過ぎれば普通に餓死するかもしれない。
そう思いながら、僕はなるべく音を立てずに、ゆっくりと立ち上がる。
うわっ……。
すると目の前には、最悪の光景が広がっていた。一という男が、グチャグチャになった肉片と血だまりの中にいるのである。
どう考えてもあれは、厚美という女性の成れの果てだよな? 途中聞こえてきた声からして、一という男が殺したのだろう。でも普通、ここまでするか?
僕はあまりの光景に、人間の醜さと、邪悪さを垣間見た。
こいつは、生かしちゃダメなやつだ。
これまでのコンプレックスや罪悪感とか、人間性とかが微塵も足枷にならないほどに、僕はそれを瞬時に理解した。
だから一という男がスマートウォッチを拾い、こちらへと振り向いたとき、僕は迷いなく動くことができたのである。
「は??」
「……」
気がつけば僕は、一という男の腹部に、右腕のアゴを突き刺していた。
「――グエッ」
「お前を殺すのは、流石に罪悪感が湧かないな」
「マジ……かよ……」
一という男は驚愕に満ちた表情をしながら、血を吐き出す。そして腹部からアゴを引き抜くと、後方へと倒れた。
まだ、死んでいないみたいだな。でもこの様子なら、もう長くはないだろう。
初めて自分の意思で、人を死に追いやった。けど自分でも驚くほどに、全く何も感じない。むしろ、清々しい気持ちすらある。
もしかしたら頭部を一度失ったことで、僕の考えも大きく変わったのかもしれない。
すると血の臭いに誘われたのか、逃げたはずの虫のクリーチャーたちが戻ってくる。狙いはどうやら、一という男と、その周辺の厚美という女性の血だろう。
「ああ、やっぱり集まってくるよな」
「あ゛? ……!!?」
おそらく元々、厚美という女性の血に反応していたのだと思われる。それがちょうど一という男が倒れたときと、やって来るタイミングが重なったようだった。
虫のクリーチャーたちは、目の前のご馳走に興奮しているようである。少なくとも、僕にはそう見えた。
それと僕も、凄くお腹が空いている。右腕も、先ほどから血に飢えて強く反応していた。
以前よりも言うことを聞いてくれている感じがするけど、これは長くは抑えられない気がする。
だから僕は気がつけば、こんなことを口にしてしまう。
「僕の右腕も欲しがっているから、皆でシェアしよう」
そう言って手の平にある口から長い舌を伸ばし、一という男の腹部にそれを突き刺した。
また無数の虫のクリーチャーたちも到着するやいなや、それぞれ飛びつくように舌を伸ばして、血を啜り始めたのである。
僕も一緒になって、右手の舌から血を吸い取った。
何だか、凄く美味しく感じる。味覚というよりかは、満足感的な美味しさだ。そんな不思議な感覚だった。
実際、手の平の口に味覚は無い。味自体を感じなかった。でも美味しいと感じるのは、なぜだろうか?
何となく、大人がタバコを美味しいと言っているのと、近い感じかもしれない。
ならこの美味しさは、感覚的な満足感によるものだろう。
すると血を吸われている中で、一という男が力弱く言葉を口にする。
「い、いやだ……ころして……くれ……」
たぶん、早く楽になりたいのだろう。でも大丈夫だ。もうすぐ、意識は無くなると思うからな。
そして案の定一という男は意識を失い、そのまま多くの血を失ったことで命を落とした。
僕たちは一という男が死んでも、干物になるまで血を一滴も残さずに啜り、そして飲み込んでいく。もちろん、厚美という女性の血も同様である。
ああ、満足だ。
そうして一滴も搾り取れなくなると、初めて自分の意思で行った吸血行為に対して、心の底からそう思い、満足することができたのである。
この気持ちは反射的なことに近いので、そこに罪悪感などが入り込む余地は、ほとんどない。
よし、空腹感も消えたし、問題はなさそうだな。
そして僕と虫のクリーチャーたちによる血の宴は、満足感と共に終わりを迎えたのである。




