大切なもの8
佐知はまるで待ち焦がれた恋人との逢瀬のような高鳴る呼吸を正し玄関を開けた。
「井川君、おかえりなさい」
「遅くなってごめん 明日香の世話までさせてわるかったな」
「私は好きでお節介やいているのよ だから気にしないで」
「明日香は?」
「ベッドで一人で遊んでいるわ」
「明日香~パパが帰ってきたぞ~」
雅和はベッドの明日香を天高く抱き上げた。キャァキャァと声をあげた明日香を抱くその姿は愛娘を溺愛する父親そのものだった。雅和は何度も頬ずりしてから明日香をベッドに寝かせた。
「夕飯の支度までしてくれたんだ」
「私は並べただけ、これ全部ママが用意してくれたのよ 疲れたでしょお疲れ様、ビールどうぞ」
「ありがとう、佐知も飲むだろ」
「うん、すこしなら」
「一緒に乾杯しよう 大切な明日香そして佐知とママ、俺を助けてくれた全ての人に感謝を込めて乾杯」
美味しそうに飲み干す雅和に佐知は見入ってしまっていた。
「ん、どうかした ビールじゃないほうがよかった」
「・・ううん、わたし待ちくたびれてお腹ペコペコなの お弁当開けてもいいかな」
「大食いの佐知にはビールよりこっちだったか」
「うん」
重箱のふたを開けると厚焼き玉子、アスパラのベーコン巻き、鳥手羽肉のガーリック焼き、揚げシュウマイが彩りよく詰められていた。
「うわぁおいしそう」
「ほんとどれも旨そうだな」
「ママは料理が好きなのね 冷蔵庫にも沢山入っていて驚いたわ」
「俺の体を心配していろんなものを作ってくれているんだ 肉親のように気遣ってくれるママには本当に感謝している 明日香のことも私の大切な孫といってくれたんだ 俺は幸せ者だな」
「ママがいつだったか忘れたけどこう言ったの 明日香ちゃんは涙を笑顔にしてくれる神様からの贈り物だって」
「俺もそう思うよ 明日香は俺が愛した大切な美香さんが遺してくれた宝だ」
「・・・・・」
「明日香ぐずってるみたいだな」
「さっきオムツ交換してミルク飲ませたけど心配だから見てくるね」
「オムツを替えてミルクも飲んだなら行かなくていいよ 俺も最初の頃は泣く明日香に翻弄されておろおろしていたよ そんな時ママの言葉で俺は救われた
子供は抱いてあやしてくれることを学んだら泣くことを良しとするらしい だから泣こうが叫ぼうが誰もきてくれない事を学べば無駄泣きはしないって常連さんが言ってた事を思い出したママが俺に話してくれたんだ
それから俺は子供は泣くものと悟りそれも音楽だと割り切った そして泣き声が要求ごとに違うことに気がついたんだ 今のあの泣き声は人恋しくて泣いているだけだからすぐに泣き止む だから放って置いていいよ 美香さんの分も俺がいっぱい愛情注いでいるから大丈夫」
「店にある和室のドアに書かれた張り紙の意味が今わかったわ」
「断りなく手出しは無用 あの張り紙か、あれは常連客とママのルールなんだ」
「そうだったの あら明日香ちゃん泣きやんだみたい 井川君の言うとおりね、井川君すごい」
「佐知も結婚して親になれば同じさ」
「わたし明日香ちゃんを見てると優しい気持ちになれる、明日香ちゃんの前ではどんなことがあっても笑っていられるの ママが言うように明日香ちゃんはSIGNPOSTの女神ね」
「佐知、俺はこの生活をこのまま続けてもいいのか迷っているんだ 俺が仕事を存分に出来るのはママのおかげと感謝しているよ、でもこのままいつまでも甘えているわけにはいかないだろう だからって最良の策があるわけじゃない ここに来る前に事務所のてっちゃんから言われたんだ いい人を見つけて結婚しろそれが一番の策だって冗談にもほどがあるっておれは切れそうになったよ 俺は美香さんを思い生涯ひとりで生きてゆくと誓ったんだ 美香さんを生涯忘れないで生きて行くと 明日香が一番手がかかる時期にみんなに助けられありがたかった でも俺は明日香を手元において自分のこの手で育てていこうと決めた 近いうちにそうしたいと思っている」
「父親の井川君が決めたことなら誰も何もいえないわ・・でも寂しくなるでしょうねママも」
「ママと佐知には感謝している 受けた恩を忘れず明日香を連れていつか会いに来るよ」
「いつか、なんていわないで欲しい悲しくなるわ また来るって約束して必ず会いに来るって言って」
「大げさだな、これきり会えないわけじゃないのに」
「いや、いやよ
わたしは絶対にいや」
「・・嫌って言われても」




