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WAKARE  作者: 佳穏
さよならの予感
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君を忘れはしない

「さっきから何度も連絡して待っているのよ 橘先生に至急戻るよう誰か伝えてくれたの いないのならいないとすぐ答えてくれないと本当に困るの 入院病棟の緊急を要する連絡は時間との戦いなの分かっているわよね もういいわ、こちらで捜します」



静寂なナースステーションの空気が一変していた。声を荒げる内線のやり取りに緊張が走った。佐知と同期の看護士が受付に走ってきた。外来患者を診ていた橘医師の所在がわからず探していた。



「さっちゃん、橘先生見なかった」



「その様子だと緊急みたいね」



「さっちゃん驚かないで、木内さんの意識が混濁して危険な状態なの もし橘先生を見かけたらお願いね」



受付を後輩に頼み佐知は慌てて入院病棟に駆けつけていた。わずかな隙間から覗いたベッドに美香の姿はなかった扉を全開して部屋に入ると窓辺に背を向けた先客が立っていた。



「ママ・・」



「病院から連絡をもらって慌てて飛んできたの、美香さんが緊急時は私に連絡するようお願いしていたみたいなの」



「美香さんはどこに」



「私が着いたとき病室にはいなかったわ 此処で待つように言われてからもうだいぶ経つのよ」



「井川君に連絡は」



「・・彼にはまだ」



「じゃ私が連絡してきますね」



「佐知さん待って、知らせるのは少し待って」



「こんな状況を黙っていろと・・私には理解出来ません」



「井川君のお母様が入院なさって今日が手術の日なの 昨晩の井川君は余程お母様のことが心配で不安だったのねいつまでも電話を切ろうとしなかったわ」



「だからといって知らせないわけには・・」



「美香さんには井川君は長期出張という事にしてあるの」



「出張は嘘だったのですか?井川君は私だけじゃなく美香さんにも嘘を」



「井川君は自分の事で周りに余計な心労をかけたくなかったそれはあなたにもわかるでしょう」



「でも、もし私が美香さんなら嘘なんかついてほしくないわ 美香さんは正直に話して欲しかったと思います」



「美香さんにはもうすべてが見えているわ」



「すべて・・・・見えている?」



「すべてを承知で嘘も偽りも受けいれて騙されたふりをしていた」



「美香さんが言ったのですか 言うはずない美香さんは絶対言わない ママがそう思っただけでしょ、そうですよね」



「そうね、私の勝手な解釈かもしれないわね でも見舞った別れ際に美香さんが私に言ったの 神様は平等に幸せを下さるって本当ねママ、振り返ると私は沢山の幸せをもらったわ 貰い過ぎじゃないかと思うほど心は豊かに充たされ幸せだった だから私の命が尽きるのも平等に値する神の思し召しと今は思えるわ 私のため偽らざる心を封じなければならなかった雅和には感謝し申し訳ないと思っているの それも私のためだと偽りの全てを受けいれてきたの その言葉を聞いた私は美香さんの手を握り締めるしか術がなかったけどあの時この胸に美香さんをきつく抱きしめていたら・・なぜ抱きしめてあげなかったのかと今更ながら自分を責め続けているの」



「ママの気持ちは美香さんに十分伝わっていると思います だから自分を責めるのは止めて下さい 美香さんならきっとそう言いますよ」



瞳を閉じたままうつ向くママの傍らで佐知は祈った。



目を覚まして美香さん、美香さんの笑顔は雅和の生きる源よ このまま雅和にも会わず・そんなこと絶対ゆるさないからね それでも私たちを置いて逝くならせめてもう一度笑顔を・・・ 美香さん逝かないで お願いだから私たちの所に戻ってきて



美香と交わした会話を佐知は思い出していた。


あの時の美香さんの言葉・・やはりママが言ったように美香さんはすべて分かっていたのかも知れない



佐知さん私の生い立ちは人から見れば幸せには見えないでしょうね 世間の荒波にも胸を張って立ち向かう人になれと母は全霊こめて愛を注いでくれた 大人になった私は母の愛を本当にありがたいと心から思ったわ 人は愛に包まれて強くなれるんだって母に教えられた気がするの 母の愛は優しい愛ばかりじゃなかった時には痛みを伴う愛も飛んできたわ そのお蔭で私は世間の偏見にも卑屈にならずに生きてこられたと感謝しているの 私が幸せを感じるのはね、佐知さんにならわかるかな



美香さんが幸せを感じるのは井川君といる時、当たりでしょ


勿論そうだけど人の優しさにふれた時その優しさに私は喜びと幸せを感じるの 私は他のどんな人より人の優しさが嬉しくて心に染みる、だから佐知さんの優しさも本当に嬉しかった ありがとうなんてありきたりの言葉じゃ足りないくらい嬉しかったのよ ねぇ佐知さん目の前に幸せがあるのに気付けなかったら勿体ないわよね 幸せは形を成してないから目に見えないから佐知さんあなたこそが目の前の幸せなのに雅和にはまだ見えないのね 佐知さん思えば思われる必ず報われるときが来ると信じ雅和のことお願いね 私との約束よ忘れないでよね わたしね最近やたら母の夢を見るのよ 大過なく過ごす人生が一番よって母はいつも言っていたわ 心豊かに天の恵みをありがたいと思える人生が一番だって。生まれ変われるならそんな人生もいいかなと思っているの、わたし今世で少し欲張りすぎたみたいだから



あの時の美香の言葉が今思い起こせば遺言のように思えた。


あの日の憂いに満ちた寂しげな美香の笑顔を思い出した佐知は胸が苦しくなっていた。



手術室に運ばれた美香の意識は戻らぬままだった。




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