希みが叶うまで3
客が途絶えた夕刻、田鶴子は珍しく早めの店じまいをしていた。商店街の花屋の前で足を止め小さな花かごを手にした。その黄色と白紫の小花は頬擦りしたくなるほど可憐だった。
病室に顔を覗かせた田鶴子に美香は目を丸くした。
「ママ・・」
「井川君に入院しているって聞いて心配していたけれど元気そうで安心したわ」
「目の前にママがいるなんて夢みたい嬉しい」
「美香さんに喜んでもらえて私も嬉しいわ」
「どうぞ椅子に御掛けになってください」
「これ気に入ってもらえるといいんだけど。とても可愛かったから美香さんにと思って」
「まぁ可愛い私の好きな黄色の花、ありがとうございます」
「偶然ね、私の母親も黄色い花が好きだったのよ」
生前、田鶴子の母は籠に入った花をお店に飾っていた。それも買ってくるのは決まって黄色い花ばかりだった。母の好きだった黄色い花を好きだと言った美香。美香と田鶴子の母は祖母と孫同じものが好きだとしても不思議はないと田鶴子は思った。
「美香さん、井川君から言付かってきたんだけど急な出張で彼しばらくこっちに来られないらしいの 代わりにといっては何だけど美香さんのお世話をさせてほしいの私じゃ役不足かしら」
「ママなら大歓迎です こちらこそ宜しくお願いします」
「井川君に代わり時間の許す限り美香さんに会いに来ますね」
「うれしいです でも無理はなさらないで下さい ママはお店があるのですから」
「私のことは心配しないで、そういえば手紙の返事出せないままでごめんなさい でも安心したわ、もう大丈夫みたいね」
「ママに手紙を書いてから不思議と気持ちが落ちつきました また手紙書いていいですか 読んでもらえますか」
「今は気持ち穏やかに過ごしているみたいね このまま二通目の手紙が来ないことを祈っているわ」
「そんなこと言わないで下さい 今度は楽しい手紙にします だから又読んでください」
「それなら楽しみに待ちましょう」
「ねぇママ見てくださいこのお腹」
「まぁ大きく膨らんだわね ちょっとだけ触らせてもらっていいかしら」
「どうぞ触ってください」
兄が待ちわびた孫がこのお腹に・・
田鶴子の目頭が急に熱くなった。
「ママどうかしましたか」
「実は私いまもって独身なのよ この歳なら美香さんのような子供と孫がいてもおかしくないのよね ふとそんな人生もあったのかしらと思ってしまって・・」
「ママは自分の人生を悔いているのですか」
「いいえこれまでの人生に悔いなどないわ 自分で選択した人生を生きてきた結果が独身だったって事なのよね どんな道を選ぼうと自分で決めた人生に悔いなんかあってはいけないの、だから後悔のない生き方をしなければと常にそう思って生きているわ」
「すみません、失礼なこと聞いてしまって」
「いいのよ」
「ママは雅和から父のこと何か聞いていませんか?」
「何も聞いていないわ」
「最近父のことが気になって仕方ないんです」
「気になるって何が」
「夢を見たんです 会ったこともない父の夢、枕元に立った父はわたしの側にひざまずいて頭を撫でてくれました 父の手は柔らかくて温かでした わたしは嬉しくて夢中で父に話しかけました 体にさわるから少し休みなさい、ずっと側についていてあげるからそう言って父は眠りに付くまで手を握ってくれました 目を覚ますと父はもう消えていました あれが夢だったなんて私にはどうしても思えないのです 夢で見たお父さんの顔と声を今も鮮明に覚えています 面長な顔でアーモンドの形をした黒い瞳、鼻筋の通った顔、テノールにも似たあの声、思い出すたびこの辺りが痛くなるの・・」
悲痛な面持ちで美香は胸元を押えていた。
「お父さんと夢で会えたというのに美香さんとても悲しそう 私の気のせいかしら」
「ママの言う通りだと思います 目が覚めて私は消えた父を探し呼び続けました 側にいるって約束してくれた夢で会えた父を必死に捜していました もう会えない、なぜかそんな気がして悲しくなりました 泣いて泣いて涙のタンクが底をつくまで泣きました 連絡が途切れた父はもうこの世にいない恋しい父に会えない・・そんな気がするの」
田鶴子は亡き兄に願った。
お兄様お迎えはもう少し待って・・美香さんの人生を最後まで応援してあげて そして希望を失くさないよう守ってあげて下さい
「美香さん、私の話を聞いてくれる 私は生き別れた父親とは一度も会えなかった 悲しいことに夢にさえ出てはくれなかったわ でも美香さんはお父さんに会えた、たとえ夢だとしても私はお父さんに会えた美香さんが羨ましいわ」
「ママはやっぱり私が思っていた通りの人なのね」
「美香さんに私はどんなふうに見えるのかしら」
「答えは次回に、そしたらまた来てくれるでしょ 来てくれるわよね、ママ約束して」
「えぇ約束するわ」
田鶴子は自身が伯母である事と兄(美香の父)の死を告げられぬまま病院を後にした。
死を覆すなんて誰にも出来ないそんなことは無理だって分かっているけど、このまま黙って指をくわえて待ってはいられないわ けれど、いったいこの私に、いま私になにが出来るの・・
田鶴子は写真の兄に手を合わせ続けていた。




