好かないジェントルマン2
「顔に似合わず君は恐い女性だ 澄ました顔でずけずけと物を言い人を坩堝に陥れようとする」
「そんなつもりは...すみません
本当にごめんなさい」
頭を下げた体は震えだしていた。とそのときガラ・カラッ車輪の音が部屋の前で止まった。レストランの厨房の匂いがしてワゴンに乗せられた料理が運ばれてきた。
テーブルに目だけでお腹一杯になりそうなランチの数々が並べられた。
「食事にしよう さぁこっちに来てここにお掛けなさい。お腹が空くと人はとげとげしくなる 話の続きは食事の後にしよう」
話の続き又するの?
一刻も早くこの場を離れたかったが彩り鮮やかな料理を目にして去りがたくなっていた。さすがの柳木沢もお腹が空いていたのだろう。真っ先に海老・イカ・魚介類が盛り沢山のペスカトーレに手を伸ばし豪快に口に入れた。佐知もつられてムール貝をパクリ。
「美味しい~」
「そうか それなら結構だ」
栗鼠の様に頬張る佐知の顔を柳木沢は嬉しそうに眺めていた。二人は会話もなくひたすら食べることに集中していた。珈琲の香りが部屋中を充たし柳木沢の香りが追いやられ穏やかな気分になった。
「君は僕を嫌っているようだね」
突然の的をついた問いかけに佐知は返す言葉を探していた。
「好いていないのは確かですが嫌ってはいませんよ」
眉尻を下げ安堵した柳木沢の様子が伺えた。
「僕を好かない訳を聞かせてもらえないか」
「一番はその香水の匂い・・好きになれません。私の好みではありません」
「じゃ君はどんな香りが好きなのかな」
「好きな人の香りが好きな匂いです」
柳木沢の口元が上弦三日月から下弦三日月の形に変わった。
「それは難しいな、買って来ようにも探しようがない」
「柳木沢さんはどうしてこんなに年が離れた私に興味を持たれるのですか」
「・・・・」
「答えられないのは私じゃなく誰でもいいからなのではないですか」
柳木沢は大きく咳払いをしてみせた。
「いや君でなければならない理由はある」
「その理由は何なのですか」
「僕があるといっているのだからそれでいい 君の問いに答える気は毛頭ない」
「そんなおとなげない回答は柳木沢さんらしくありません」
「僕は君の今後のために男を曝け出し見せてあげているのだよ」
病院で見せる毒々しい柳木沢が目の前に立ちはだかっていた。
「柳木沢さんに誰もがするように屈服してひざまずけとでもいいたいのですか 私は自分の気持ちに嘘はつけません だから他の女の人みたいに柳木沢さんの言いなりにはならないわ」
「誤解しないで欲しい そうじゃない オブラートに包むような姑息な真似はしたくないだけだ」
「だったら尚更です 誤解なら分かるように話して下さい こうして会うのも今日が最初で最後でしょうから」
「ならばはっきり言おう 僕は受付にいた君に心を奪われてしまったようだ」
「そのお年になってもまだご自分の子どものような若い女性とお付き合いしたいと」
「若い女性ではなく君だ。君を極上の女にしてあげたい」
「私には大切な人がいます」
「勿論そうだろう、それで質問だが君はその男に充たされているのか」
「・・・」
「どんなふうにか聞かせてもらいたいものだな」
いつまでもやまぬ質問に佐知は語尾を荒げた。
「好きな人との蜜ごとを聞く権利なんて誰にもないはずです 私を困らせて楽しんでいるのですか 柳木沢さんを好きになるなんて絶対にありません
無理です」
言葉が途切れ空気音だけがキーンと耳の奥に入りこんできた。さっきまでと違う静寂さに鳥肌がたった。この部屋をすぐさま抜け出したかった。
佐知が帰ろうとバッグを持ったその時だった。ソファーの柳木沢は胸に手をやり苦しい息づかいを見せた。
「柳木沢さん大丈夫ですか フロントに電話しますね 院長先生を呼んでもらいますね。私がわかりますか、柳木沢さん」
「大丈夫だ 上着のポケットに・・薬が・・」
「これですか これででいいのですね」
口に薬を押し込み口移しで少しずつ何度も水を含ませた。喉仏を大きく動かし柳木沢は苦しげな顔で水を飲み込んだ。数分後、柳木沢の顔に血色が戻り容態は好転した。
「申し訳なかった 君がいてくれてよかった 本当にありがとう 今日は朝からどうしたことか無性に人恋しくてね 強引に君を連れて来たのはこのせいだったのかもしれないな」
「よかったぁ、安心しました」
「君の唇はいい、実にいい」
「あれは医療行為です・・ですから他の人に変な事は言わないで下さいね。約束ですよ」
「冗談、冗談だよ しかし君はダイヤ石のように本当にお堅いんだね」
「ダイヤのように光っているの間違いではないですか」
「今の君はダイヤモンドにおよばない海岸の流れ石に過ぎない だから僕が極上にしてあげようと言っている」
柳木沢はいつもの好かない男に戻っていたが少しだけ印象が違って見えた。
「私はこれで、今日はご馳走様でした。美味しい昼食ありがとうございました」
「こちらこそありがとう。これは僕からのお礼だ」
柳木沢の唇が綿菓子のように佐知の唇を横切っていった。何事もなかったように身を離し柳木沢は手を差しだした。
「またいつでも御馳走しますよ 君は命の恩人だからね 今後君を困らせるような事は慎もう 今日はありがとう」
帰り道佐知はホテルでの出来事を思い出していた。今日柳木沢は危険な匂いをいっぱい放っていた。柳木沢は大人の男・好かない危険な男なのに佐知はなぜだか嫌いにはなれなかった。
柳木沢とのこの出会いが佐知の人生に多大な意味を持つことになろうとは佐知は勿論、柳木沢さえ知るよしもなかった。