決心3
「美香さんはご両親や家族の話をしてくれたわ 記憶にないお父さんをとっても恋しがってお父さんに会いたい探してほしいと頼まれたの」
「それで佐知は探すと約束を」
「お父さんに会いたいと言った美香さんの気持ちが痛いほど伝わったわ 私は美香さんが言ったように本当の両親を知れて良かったと思っている だから美香さんの気持ちが分るの 即答できなかったけど探してあげたいと思ったわ でも探すのは私じゃない井川君よって美香さんにはきっぱり断わったわ だから井川君の力でお父さんを探してあげてお願い私も協力するから美香さんとお父さんを会わせてあげましょう これは誰でもない美香さんの願いよ、井川君が叶えてあげないで誰が叶えられるの、美香さんを愛するあなたにしか出来ないのよ」
「・・・・・・」
雅和なら美香の希望をきっと叶えてくれると信じていた。まだ見ぬ父との再会は実現に向け動き始めようとしているが美香のもう一つの願いである出産だけは命に関るだけに難しかった。美香の妊娠のことだけは自分が話すことではないと佐知は口をつぐみ雅和には話さなかった。しかし雅和がそれを知る日はそう遠くはなかった。
病院失踪後、病室に戻ってきた美香は雅和と目を合わせようとしなかった。二人の間に気まずい雰囲気が流れていた。佐知は重苦しい空気を変えようと美香に声をかけた。
「美香さん、井川君は病院からの電話で飛んで来てくれたの 心配してずっとここで待っていてくれたのよ」
「佐知さんの言いたいことは分かっているわ 雅和心配かけてごめんね でもわたし今は一人でいたいのごめんなさい 佐知さん雅和を連れてここから出て行ってお願い」
「俺が此処にいたら美香さんは迷惑なのか そばにいたいと思う俺の気持ちも・・」
「なに言ってるの井川君、そんなことある訳ないじゃない 美香さんは疲れているだけ だから美香さんの言う通り今日は帰りましょう、ねっ井川君、美香さんを休ませてあげましょう」
背を向け黙りこむ美香とその背中をじっと見つめる雅和そんな二人を佐知は哀しい目で見つめるしかすべはなかった。布団を頭から被り美香は顔を隠してしまった。佐知は渋る雅和の腕をつかみながら病室を出た。
「今日の美香さんは俺の知らない別人のようだった」
「井川君、もし・・もしもよ 自分の一生を振り返らなければならない状況に置かれたら人はどうなるかしら」
「・・・・・」
長い沈黙だった。
「そんなこと考えたくもないよ 俺にはとても耐えられない・・ もしかしてそれって美香さんのことを言ってるのか 彼女は自分の人生を そうなのか佐知」
「・・・ 」
「やっぱりなにか隠している 佐知、君は美香さんが俺に話せないでいる事を知っているそうだろう いい加減もう嘘つくのだけはやめろやめてくれ」
「私は看護士じゃないのよ 入院患者のことや病気のことは分からないわ 真実はどうあれ美香さんに限らず先のことなど誰にも分からないんじゃないかな 雅和わたしが知ってることはさっき全部話したわ」
「いや君は嘘をついているよ なにかまだ隠している どんなにごまかそうとしても俺にはわかるんだ 昔俺が愛した君のことは分かるんだ」
美香が言いそびれた妊娠の事実を雅和に告げるなら今しかないと決心した。
「井川君は美香さんに聞いて知っているでしょうけど・・美香さんはお腹にいる赤ちゃんのことで悩んでいたわ」
「いま・・・・・あかちゃんって」
美香の妊娠を口にした佐知は雅和の反応を見ていた。
「赤ちゃん?美香さんはそんなことは一言も・・俺は聞いていない なにも知らなかった 妊娠したと聞かされたら俺は両手をあげて喜んでいたよ なのに美香さんは俺に隠していた なぜなぜなんだ」
「ごめんなさい私に話してくれたってことは井川君も美香さんから聞いて知っていると思ったの 井川君美香さんを問い詰めたり叱ったりしないって約束して 井川君が言ったように私にも今の美香さんは別人に見えるわ でも闇の中で迷っている美香さんを救い出してやれるのは井川君だけ、美香さんを愛している井川君が救ってあげないでだれが美香さんを・・井川君が真実を知ってスッキリしたいのはわかる、でも今はただ寄り添って美香さん自らが話してくれるのを願うしかないと思うの 私が話せることはこれで全部、本当にもうおしまいよ」
「佐知の言ってる事は間違ってないよ だけどそんな大事なことをなぜ隠さなければならなかったのか、やっぱり俺どうしても解せないんだ 美香さんにとって俺はそんなに頼りない男なのかって情けなくてたまらないよ だから帰ってなんて言われるんだよな」
「聞きたくないわ、そんな女々しいことばかりグダグダ並べ立てて何かが変わるの、今はそんなこと言ってる状況じゃないのよ 授かった命が消されようとしているのにドクターに命を削る事になるから子供は諦めるように言われて それで美香さんは悩んでいるのよ」
「あきらめるとか命を削る?・・佐知俺にはなにが何だかさっぱり」
「美香さんはもう覚悟を決めてるわ
どんなことがあっても子供だけは守ろうとしている」
「かくご・・覚悟ってなんだよ」
「詳しいことは私じゃなく直接美香さんから聞いて 井川君さっき言ってたけどあなたがしっかりしないと美香さんは甘えられないし本心だって話せないわ 井川君思い出して、強い男になって美香さんを守るんでしょう 私にそう言ったでしょう だから今度こそ本物の強い男になって美香さんを守ると約束してお願い」
「・・・」
「明日の朝、美香さんに妊娠していること井川君に話したと伝えて謝るわ だからあとは二人でちゃんと話し合ってね じゃまた明日病院で」
「今日はありがとう 佐知がいる病院でよかった感謝しているよ」
「病気との闘いはこれからよ 井川君も一緒に美香さんの病気と戦うの だから美香さんに暗い顔は見せちゃだめよ 美香さんの前ではいつも私が好きだった笑顔でいてね井川君」
深いため息を吐きながら雅和は少し笑顔を見せてくれた。
「じゃ、佐知またな」
疲労困ぱいした顔で手を振る姿に佐知の心は痛んでいた。
昔こんなとき雅和と私は・・私たちはいつだって抱きあって慰めあった・・
背後から駆けてくる足音が聞こえてきた。
「井川君」
振り返った佐知は雅和に抱きしめられていた。
「・・・どうしたの」
「少しでいいんだ このままでいて」
いま私たちは・・昔と同じだわ
抱き締められた佐知は雅和の懐かしい温もりに封印していた昔の思いが一気に溢れ出していた
「佐知、ごめん」
「いいの遠慮しないでいつでも どうぞ 痩せっぽっちで凹凸のないこんな体でよければ又いつでもお貸ししますから又抱き締めて下さいませ」
ほっとしたのか強張っていた雅和の顔が綻んでいた。笑顔が戻った雅和に両手を広げ佐知はハグをする仕草をしてみせた。再び二人はごく自然に昔の様に抱き合っていた。
「兄妹って今の私たちみたいなものなのかな わたし一人っ子だから兄弟がいる人が羨ましかったわ」
「俺も家ではいつも一人だった それが当たりだと思ってたから兄妹がいないなんて考えもしなかったな だけど美香さんが入院してから人恋しくてたまらないんだ 佐知と同じ兄妹がいたらって思ったよ こんな時のひとりは本当に身に沁みるよ 重い荷物を一人で背負うのは耐え難いけど振り返れば俺はいつも佐知きみに支えられていた今の俺は・・支えてやれないのに君は昔と変わらず手を差し伸べ助けてくれる ごめん俺・・君に何もしてあげられなくて本当にごめん 佐知これからも俺と美香さんをを支えてくれるよね」
「勿論よ、井川君と私はもう恋人じゃないけど再会で結ばれた絆は肉親みたいなものになったわ、そうでしょう だから困っていたら助け合うのは当たり前なの いつか今日の井川君みたいに私が襲いかかって抱きつくかもしれないし」
「襲いかかるって、俺は襲ったりしていないぞ」
「そうね、襲われたじゃなくて抱きしめられましただったわね」
「ごめん俺そんなつもりじゃ、本当にごめん」
「ほらまた~ こういう時どうしてさらっと流せないのかな井川君は」
「佐知さっきから俺の事からかって楽しそうだね なんだか美香さんと似てきたな」
「いま美香さんと似てるって言ったよね わたし美香さんのこと好きだからスッゴく嬉しいな~雅和の大切な美香さんに似ているってことは」
「はいはいこの辺で、減らず口が止まらないようだからこの辺でお開きに」
「はいはい、そうですね」
佐知は何度も振り返り雅和の後ろ姿を見ながら家路へと歩き出した。
その後、雅和と美香は長い時間をかけて話し合っていた。雅和は美香の父の消息を必死で探そうと決心した。美香は相変わらず手術を拒んでいたが橘医師とは憎まれ口を言い合うほど仲良しになっていた。




