昔の恋人は2
雅和は龍一と真砂子の結婚式会場に向っていた。式場からはサラ・ブライトマンの美しい歌声が流れてきた。招待客を優雅にお迎えする細やかな演出が見事になされていた。芸能人の結婚式と見間違うような雰囲気と規模に圧倒されていた。龍一の家は代々、莫大な山林や土地を所有する資産家だ。不動産、レストラン、リゾート施設を展開する伊納グループのトップが龍一の父。伊納グループと付き合いのある富裕層の迎賓客が続々と会場入りしていた。入り口で気後れしている雅和に友人の声がかかった。
「お~い井川の席はこっちだ 早く来いよ」
懐かしい面々に雅和は安堵し会場に入っていった。一足先に会場に入った佐知は高校時代の友人らと談笑していた。
どこにいるのかしら雅和は、この会場のどこかにきっといるはずなのに
誰かが雅和を呼ぶ声もこの広さでは佐知には届かなかった。拍手に包まれ幸せいっぱいの新郎新婦が入場した。真砂子の花嫁姿は想像を超えていた。龍一と真砂子の長い春を知っているだけに喜びはひとしおだった。真砂子はスポットを浴びる女優さながらにまぶしく輝いていた。龍一の端整な顔がいつに増して引き締まって見えた。層層たる来賓を前に余裕の堂々たる立ち姿は正しく伊納グループ総統の御曹司。真砂子の実家はうなぎ・ふぐ料理を各地に展開している老舗割烹店。龍一の父と真砂子の父は大学の先輩と後輩の仲二人に障害は何ひとつなく両家に祝福された理想的な結婚だった。伊納グループの跡取り龍一と真砂子は本当にお似合いだった。好きな人と結婚し幸せを独り占めしている真砂子が羨ましく思えた。
真砂子はこのまま幸せのまま一生を終えるんだろうな こんなこと真砂子に言ったら人生はそんな安易でなまっちょろいものじゃないしそんなに人生は甘くないよって笑うんだろうな
御伽噺に出てくるような真砂子を見ていると不幸とは無縁に思えてならなかった。
佐知はお色直しに席を立った真砂子の控え室を覗きにいった。控え室は無駄に広く奥の応接室では親族らが寛いでいた。かつらを外した真砂子は歌舞伎の石橋の赤獅子のように頭を振っていた。
「真砂子ものすごくきれいだったよ」
「ありがとう フゥー苦しかった~佐知お願いこの帯を緩めてくれない」
「私には無理よ それに今かつらを持っていった人が言ってたでしょう 衣装の人が来るまでそのままで待ってて下さいって」
「ふうぅ~仕方ないか、待つしかないわね」
佐知はホテルのパンフレットで真砂子の体を扇いでいた。
「佐知、雅和と会った」
「ううん、話どころか何処にいるのかも分らないわ」
「そうか、ここ広すぎて探せないね でも大丈夫、二次会で話すチャンスはいくらでもあるわ」
「わたし二次会は遠慮しようかと思っているの」
「だめ、だめだからね 冷たいなぁ佐知は 今日は大親友の結婚式なのよ」
「・・・・・・」
「雅和のことは抜きにして私のために顔を出して、お願い」
「うん、わかったわ」
控え室を後にした佐知はパウダールームの段差に躓き足を挫いていた。履きなれない8センチのヒールでうけたダメージは思いのほか大きかった。引きずるように歩く足に激痛が走った。
「いたっ、これじゃ二次会は無理かも」
あまりの痛さに靴を脱いで捻った足首を擦っていた。ピンヒールの靴を片手に壁にもたれるようにして痛みを堪えていた。
その頃会場を抜け出した雅和は届いたメールに目を通していた。
/クレームの件はクリアしたから日帰りは不要 久しぶりに会う旧友たちとの親交を楽しんでこい 手塚/
会場に戻ろうとした時プルシャンブルーのドレスの女性に雅和は思わず息を呑んだ。咄嗟にその人の名を叫んでいた。
「さち佐知だろう」
雅和を見た佐知は頭が真っ白になって立ちすくんでいた。
早く返事しなさいよ、なんでもいいから返答して。そうしたいけど出来ない
声が出ない・・そんな顔してないで早く笑って、笑顔を見せるのよ早く 出来ない・・それも出来ない
動揺している佐知のそばに雅和が駆け寄ってきた。
「こんなところで靴なんか手にしてどうしたんだ」
「段差に躓いてしまって」
「大丈夫か相変わらずだな、今もそそっかしいんだな」
床に置いた靴に足を入れたそのとき佐知は思わず声をあげた。
「うっう、いたっ」
「そんなに痛むのか?その高いヒールじゃ歩けないよ無理するな、ほら俺の腕に捕まって」
「・・・・・」
「遠慮するなよ ひとりじゃ歩けないだろう 此処にずっとこうしているつもり、ほら早く戻らないとお色直しの真砂子がきちゃうぞ」
「じゃお願いします」
そんな様子を偶然目にした真砂子は隣の龍一に目配せして言った。
「あの二人、いまもお似合いじゃない」
バラードの曲と一緒に会場のライトが少しずつおちていった。驚くような効果音がしてセンサーで各テーブルのキャンドルに火が灯っていった。一番の盛り上がりを見せるキャンドルサービスの演出に大きな拍手と歓声が湧き上がった。you rais me up の曲が心に染みた。
佐知は豪華な際立つ炎の美しさを見つめながら昔を懐かしんでいた。キャンドルは雅和と過ごした夜のクリスマスツリーのライトと重なって見えた。会場に明かりが戻ると雅和の姿を捜していた。賑やかな盛上がりを見せるテーブル席に雅和の姿があった。二度と見られないと思っていた笑顔がそこにあった。談笑し乾杯する雅和は大好きだった笑顔を再び見せてくれた。
雅和に会えたし昔のままの笑顔も見られた 二次会は残念だけど、もうこれで十分だわ
エンドレスラヴが流れていた。披露宴も佳境に入り落ち着いた大人の雰囲気の中での花束贈呈。そのときイスの横から雅和がひょっこり顔を見せた。中腰の雅和は佐知の手にメモを握らせ無言で元の場所に戻って行った。出口で見送りを受ける披露宴の客人は長い列をなしていた。さすがにこの人の多さでは外に出るのも一苦労だった。雅和は仲間らとまだテーブルで話し込んでいた。二次会の断りは電話で伝えようと真砂子と短い言葉を交わし会場を離れた。
雅和に渡されたメモをバックから取り出した佐知はホテルのロビーに向かって歩き出した。
何が書かれてるのかしら・・
期待と不安にメモを持つ手が震えていた。折り畳まれたメモを開いた佐知は合格発表の勝者のように握った拳を宙にあげ笑みを浮かべた。
佐知へ
足は大丈夫か、その足じゃきっと二次会は無理だろうな 俺は日帰りでこっちに来たから二次会には出ないで帰る予定なんだ もし佐知がまっすぐ家に帰るつもりなら会って少し話さないか式場に来る途中一人で懐かしいアーケード街をまわってきたんだ 昔佐知と待ち合わせしていた喫茶店がまだ残ってた SIGNPOST 佐知も覚えているだろう あの店でもし時間があるならそこで会おう 雅和
目を凝らさなければ見落としそうな懐かしい小さなお店SIGNPOSTがあった。そこは昔のままの変わらぬ佇まいをみせていた。
「いらっしゃいませ あら随分のご無沙汰ね 元気になさってた」
「私のことまだ覚えていてくれたのですね」
「彼氏と一緒の楽しそうなあなたをいつも微笑ましく眺めていたのよ 自分の若かりし甘酸っぱい思い出が甦ってキューンとしたわ あっごめんなさいこんなところで立ち話も変ね、こちらにどうぞ」
メニューに手にした佐知にママが尋ねた。
「今日はおひとりで」
「いいえ、ここで人と会う約束をしているんです」
「そう、だったら注文はその人が来てからでいいわよ」
「すみません」
「これでも飲んで待ってらしてね」
「ありがとうございます」
昆布茶を置いたママは昔と変わらぬ笑顔を見せカウンターに戻っていった。黒髪のショートボブも其のままにエキゾチックな南国の匂いを今も漂わせていた。常連と思わしき白髪の男性らの会話が聞こえてきた。
「あの頃の日本経済は右肩上がりだったよ」
「まじめに働いていれば給料は上がりそこそこ昇給も出来た」
「インフレで物価も上がったとき母はやり繰りに苦労していたな 当時あった一粒売りのキャラメルがやけに高くなって驚いた記憶があるよ」
「一番はなんといってもオイルショックの時だよ」
「そうね、あの時は狂乱物価の言葉が飛び交っていたわね」
「物価は下がったものの給料も軒並み下がる一方だ 終身雇用制度も崩壊している今のほうが俺達の頃より厳しいのかもな」
話の内容からすると客とママは佐知の母と同世代のように思えた。しかしママは佐知の母より10歳以上は若く見えた。
「いらっしゃいませ お久しぶりですね 彼女なら向こうでお待ちよ」
ママの指差す席にいる佐知を見つけた雅和は照れ笑いを見せた。
「なかなか抜け出せなくてごめん」
「みんな久しぶりに会ったんだもの話は尽きないわ ママがね私たちのこと覚えていたのよ この昆布茶ママからの差し入れよ 昔と変わってないね」
「そういえば俺も今お久しぶりって声をかけられた お店の人はいろんな人を相手にするわけだからそれを考えるとすごいね ご無沙汰だった俺と佐知を忘れないでいてくれたなんてあのママがいる限りこの店は永遠だな」
「私あなたが来てからと思ってまだ注文してないの」
「あっごめん、じゃ俺は」
「ストロング珈琲でしょ」
「まだ覚えてたのか 佐知はいつも紅茶とホットケーキだったね」
「もう随分昔の事なのにお互いのことまだ覚えてるのね」
銀のトレーを持ったママがホットケーキを差し出しながら声をかけてた。
「何年かぶりに来てくれた二人に今日は特別にイチゴをたっぷりトッピングしてみたわ 彼氏くんの珈琲は飲み放題にしたからゆっくりしていってね」
「昔もママはいつも生クリームの上に沢山果物をのせてくれたわね キウイメロン・びわ・パイン・巨峰その時々の果物がのっていたわ メニューの写真には果物がなかったからサービスなんだって後から知って嬉しかった」
「喜んでもらえることはお店にとって一番のご褒美よ 彼氏くん珈琲のお代わりは遠慮しないで声をかけて頂戴」
「ありがとうございます」
呼吸を合わせたかのように二人して頭を下げていた。それは至極自然だった。
「俺、龍一の結婚式のあと君に会おうと思っていたんだ 問いただしたい事があってそれでここに来てもらったんだ 驚かせることになるかもしれないけど聞いてくれるかな」
「問いただす?なんだか取り調べみたいね」
「そんなに堅くならないで聞いて
親父のことなんだけどまわりくどい話は嫌いだからはっきり言うよ
佐知が知ってる柳木沢俺の親父は君の実母由里子さんと恋人同士だったそして」
「まって私の母・・実母の恋人が柳木沢さん雅和のお父さんって本当なの」
実母の手紙に書かれていた『柳木沢和人』は雅和の父柳木沢だった。
「本当なんだ 俺の親父が君のお母さんの恋人だった そして君のお母さんは妊娠して」
「わかってる・・母は子供を産んだ」
「君は子供の事を知っているのか だったら俺にも教えてくれ 親父と君の実母・由里子さんの事を話してほしいんだ」
佐知は手紙に書いてあった柳木沢が他人に思えなかった訳がわかった。手紙に書かれた母が愛した柳木沢和人と雅和の父柳木沢が今この瞬間繋がった。
柳木沢さんは私に実母(由里子)の面影を見たのかもしれない・・だからいつも私に君と会うのが嬉しいと言ったんだ 体を流れる母の血が私と柳木沢さんを引き会わせてくれた 雅和との出会いも、こうしてまた雅和と会えたのもすべて・・何か意味があるのかも
佐知の実母が誰にも語らず天国にもっていった真実が炙り出されていた。




