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WAKARE  作者: 佳穏
予期せぬ巡り合わせ
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新旧恋人

雅和の恋人美香は食品メーカーの営業職に就いていた。本社の新人研修のあと決まった配属先は支店だった。美香と一緒に研修を受けた男性陣は東京本社に残った。支店に追いやられたのは女だからなのかと今も美香の心を抉る出来事だった。ある日部長から社員に本社での研修会への打診があった。案の定、誰一人手を上げようとしなかった。



「私に行かせてください」



美香一人が手を上げた。



「さすが営業の女神だな、あと2名誰かいないか 仕方ない私のほうで決めるが文句は無しだぞ」



いつか本社に戻って仕事をしたい。そのためならなんだってやってみせる。同期の仕事ぶりも見聞きしたい美香は期待に胸を膨らませていた。トップの成績を維持する紅一点の美香を崇める社員も少なくなかった。男と渡り合う強さと女の柔軟さあっての為せる業であった。人とは違う生い立ちさえ強運にかえて美香は生きてきた。先輩の嫉みや嫌がらせさえ仕事の肥やしにした。どんな時も丁重に驕らず黙々と仕事をこなす美香。そんな姿に目の仇とする先輩一派の不穏な空気は徐々に薄れていた。個人能力を競う世界に嫉み・そねみはつきものだった。これまで生きてきてうけた陰湿で執拗な虐めを思えば会社の出来事など美香には可愛いものだった。苦々しい経験があったからこそ今こうして人生を謳歌出来ているのだと美香は苦い過去に感謝することはあっても恨み言ひとつ口にすることはなかった。崇高な精神を持ちどこか浮世離れしたオーラを放つ美香を営業の女神と崇める軟弱な若手社員の気持ちが分らないでもなかった。今回の東京出向は一週間の日程が組まれた営業研修だった。静岡支店には3名の研修参加要請。他2名は蓋を開けるまで分らなかった。以前先輩と同行した東京出張の時、同じ営業職なのにお前は女だからとカバン持ちのような扱いを受けた悔しさはいつしか闘魂に変わっていた。貼り出された研修社員は若手ホープの原田と美香の親衛隊の一人で腰巾着のような伊藤、後輩二人の名前を見て顔が綻んだ。美香は研修初日から音を上げそうになっていた。都会の通勤電車に戸惑っていた。宿泊先から電車での通勤は想像を遙かに超えるものだった。追い討ちをかける様に美香は初日からトンでもない出来事に遭遇した。



「痛い!やめて下さい 私のお尻をつかんだのは誰」



お尻を鷲掴みされた美香は思わず怒りの声をあげた。素知らぬ乗客とは対照的に同僚二人は首を横に振り続けていた。この通勤に慣れるのは到底無理と眉間を曇らせながらこの日常を送っている都会の人ってすごいなぁと美香は乗客の顔を見渡していた。ため息を溢しながら電車に揺られる美香の精彩は失せて見えた。研修も残すところ一日となった。昼食の幕の内弁当が配られ緊張の糸がほぐれた瞬間だった。はらはらと床に崩れた美香に男性陣が駆け寄ってきた。



「美香さん大丈夫ですか 聞こえますか 美香さん」



薄れゆく記憶に名を呼ぶ声も遠のいていった。美香の姿に男性達が後ずさりを始めた。スカートがめくり上がり艶かしい太ももがあらわに出現していた。半開きで白目をむきだした美香の顔はそれは無残な有様だった。伊藤は自分の上着で露になった美香の下半身を覆い仁王立ちで盾になった。



「大丈夫です、席についてください 皆さんはお昼にしてください席に戻ってください」



大声で好奇な目を追い払っていたのは原田だった。美香の意識が戻ったのは病院に運ばれた翌日だった。傍には本社営業部長の山村が神妙な面持ちで座っていた。



うぅ・うぅ美香は小さな呻きを発して目を覚ました。



「木内君、わかるか」



「・・ここは」



「よかった、安心したよ 君は研修の途中で倒れ一昼夜眠り続けていた 念のために検査入院の手続きをとったからゆっくり体を休めなさい 命に係わる事ではなさそうだが上からの指示だからしょうがないな」



「ありがとうございます 研修途中なのに申し訳ございません」



「いや気にしないでいい 君は優秀なトップセールスウーマンだから研修は予定どうりに皆と一緒に終了だ」



「ありがとうございます」



「今回の件で君も女性だったって事を証明できて良かったんじゃないのか。女だてらにトップに登りつめたところで男社会の現実は君にとっては厳しい限りだ。体を壊してまで男と張り合おうなんて思わないことだ また倒れられでもしたら大ごとだからね 静岡の支店長には連絡済みだから心配しないでいいが支店長が言っていたぞ これからは少し手加減しますと 女は回りに可愛がられ気遣って貰うぐらいが丁度いいんだよ 会社は君に僕たち男と同じことを課してはいないのだからあまり無茶するな」



この山村という男は常々女を見下していた。今日の山村は男には勝てないのがわかっただろうと勝ち誇って見えた。怒りが込み上げ美香はこんな男を役職に就ける会社のために頑張ってきたのかと仕事漬けの日々が虚しく思えて唇を噛みしめていた。何かを察したかのように山村は腰を上げた。



「じゃ僕は会社に戻って君の報告をしなければならないから悪いがこれで失礼するよ 何か必要なものがあれば届けさせるから遠慮なく」



「ありがとうございます」



山村は枕元にそっとテレカを置いて帰っていった 握り締めていた汗ばんだ拳をそっと開いてみた。手のひらには爪あとが刻まれそれは赤黒く鮮明に浮かび上がった。怒りの感情がおさまると爪あとの痣も消えていた。消灯の時刻に新人らしき看護婦が袋を持って病室にやってきた。



「木内さん寝てらしたようで同僚の方が置いていかれたものをお預かりしていました 私すっかり忘れていてすみません」



「こちらこそ忙しいのにすみません ありがとう」



袋から出てきたのは原田と伊藤からのお見舞いの品だった。



親指をくわえたお猿の縫ぐるみは伊藤君でこの図書券が原田君からね

こういうとき人柄ってわかるのよね ありがとう原田君、伊藤君



モンキー伊藤またやらかしたな お前はいつも何やってんだ 美香は叱られてばかりの伊藤を思い出し笑いをこらえていた。伊藤に似たお猿の頭を撫でながら後輩の心遣いに感謝していた。



同じ頃、佐知は院長に同行し上京していた。学会を終えた院長は実弟(敏伸)が院長を務める病院へタクシーを飛ばしていた。佐知はいつも付き添い人として院長と行動を共にしていた。



「一人で大丈夫だ 付き添いは要らないよ」



「いけません 今回も佐知さんに同行してもらいます」



院長の我が儘に夫人はいつも首を横に振り同意しなかった。院長婦人は何かにつけ目をかけて佐知を可愛がっていた。



「佐知さん、大変でしょうけど院長をお願いしますね」



ホテルに着くといつものように院長婦人から伝言が届いていた。首を長くして電話を待っている夫人の姿が浮かんだ。院長が出張先で倒れ大騒ぎになってから夫人は神経質になっていた。 院長に接する言動は時に殺気さえ感じ怖かった。婦人は院長の体調に問題がないとわかれば上機嫌で電話を切った。佐知に見せる婦人とは別の貞淑な顔が時折垣間みられた。



「佐知さんお疲れ様でした 明日は院長も敏伸さんの執刀に立ち会うと聞きましたけど」



「はいそう伺っています」



「明日の朝は院長にトマトジュースを差し上げて頂戴 オペの日はトマトジュースしか摂らないの 宜しくお願いしますね」



「はい分かりました」



院長は実弟が執刀するカテーテル治療に加わることになっていた。弟の敏伸はいち早くカテーテル治療を導入した脳神経外科医だった。患者は80代の男性。首の片側の血管が非常に細く殆どといっていいほど血が通っていない。放置すれば脳梗塞がいつ起きてもおかしくない病症だった。治療は足の付け根から管状の治療器具を入れ首の血管を拡げるものだった。高齢者にはリスクも高いため家族の意思も考慮した上での手術だった。



「先生、父にはもっと長生きして欲しいと思っています いつまでも元気でいて欲しいこれが家族みんなの願いなんです」



息子の言葉に黙り込んでいた患者が朴訥と口を開いた。



「先生私はね、もう十分生きた、だからもうこのまま天命に従おうと思っていたのです でも家族から弱気にならず長生きしてくれと涙されましてね 人はこの歳になっても、いやいくつになろうと生に執着するものなのですね 私は生きていたい、まだ死にたくないです 先生お願いします 助けて下さい」



「わかりました こちらこそよろしくお願いします 横田さんそしてご家族に副うよう全力を尽くさせて頂きます」



脳梗塞カテーテル手術が無事終了して院長が手術室から出てきた。疲れが色濃く見て取れる院長は空元気の笑顔を佐知に向けた。



「早く戻ろう 三日も病院を空けると患者のことが心配でたまらん 明日は通常通り朝から患者を診るつもりだから皆井君すまないが今日中帰れる様に頼むよ」



「はいわかりました 私から奥様にもお伝えしておきます」



「そうしてくれるとありがたい 頼んだよ」



院長は患者を第一に考える温かみのある赤ひげ先生そのものだった。携帯電話を握り締め院外に出ようと急いでいた。扉が開いたエレベーターに乗り込もうとした瞬間ドンと鈍い音と共に尻餅をついた女性が目に飛び込んできた。佐知は降りようとしていた入院患者を出会い頭に突き飛ばしていた。



「大丈夫ですか、お怪我はありませんか」



「これくらい全然平気、大丈夫」



「ごめんなさい、本当にすみません 私の不注意です 本当にごめんなさい」



「大丈夫、大丈夫!そんなに謝らないで」



「本当にどこも何ともないですか付き添いますから診てもらいましょう」



「本当に大丈夫、心配無用よ ほら、ねっ大丈夫でしょ」



身軽に起き上がった姿に佐知は安堵した。



「急いでいて本当に申し訳ございませんでした」



「いやだわ又謝ってる いつまで謝るつもり もう気にしないで 急いでいるならほら早く乗って さぁ早く」



「ありがとうございます 失礼します」



その場を離れ歩き出した女性の背に大きな声を出していた。



「本当にすみませんでした」



女性患者は後ろ姿のまま大きく手を振り去っていった。この女性患者こそが雅和の新恋人・美香だった。否が応でも雅和と再会せざるえない運命の糸が結ばれた瞬間でもあった。




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