実母が愛した柳木沢って2
佐知はテーブル置かれたクッキーに手を伸ばした。母の手作り菓子の中でこのクッキーは3本の指に入る絶品だった。
「おいしい、やっぱりお母さんのクッキーは世界一だね」
紅茶を飲み干したそのとき箱を手にして園長先生が戻ってきた。千代紙細工が施されたその箱がテーブルに置かれた。
「これはさっちゃんを産んでくれたお母さんが大切に持っていた遺品なの 成長したあなたにいつか渡して欲しいと貞子さんから預かっていたのよ」
「お母さんの遺品?開けて見てもいいですか」
「勿論よ、ゆっくり御覧なさい 先生はホールで片付けをしていますからね」
箱を持ち上げてまじまじと見ていた。暖色系の色調と和紙特有の手触りは気持ちを和ませた。色褪せた群青色のリボンを外し箱を開けた。写真とメッセージカードが箱から溢れんばかりだった。
「赤ちゃんの写真がいっぱい これが私・・」
一枚、又一枚、佐知は無心に眺めていた。写真ひとつひとつの裏にコメントが書いてあった。
これがお母さんの文字・・
丸みを帯びた文字に温かみを感じた。顔の半分を占める大口を開けて笑う佐知であろう赤ちゃんの写真には[天使の笑み・愛しい我が子]という題名がつけられていた その下には、サッちゃん、あなたは幸せを運ぶ天使・大事な宝物です 私達のもとに生まれてきてくれてありがとう あなたはお父さんとお母さんの大切な宝・神がお与え下さった天使です 嘘のない誠実な人に育ってほしいと願っています あなたのお父さんのようにね 私たちの宝物はサッちゃんです お父さんとお母さんは毎日幸せです 幸せと喜びを教えてくれたサッちゃん一緒にいっぱい幸せになりましょうね
写真の裏は虫眼鏡を使わなければ読むないほどの字で埋っていた
「わたしは愛されていた 実母は私の誕生をこんなに喜んでくれていた」
手のひらサイズのアルバムには微笑む男女の写真が貼られていた。
これがわたしの両親なの・・
心に何かが確かに何か押し寄せているのに哀しいかな佐知は何ひとつの感情も覚えなかった。写真を戻そうと空箱を持ち上げた時だった。
スウッ・スゥー・・紙のすれる音が聞こえた。目を凝らし箱を覗くと端が不自然に膨らんでいた。ジャンプ台のように傾けてみるとその膨らみが動いて見えた。箱の底が二重になっていた。固い台紙を剥し捲ると一通の封筒がでてきた。しっかり糊付けされ厳重にテープまで貼られていた。
「この丸みのある文字はさっきと同じ間違いなく母が書いたものだわ」
柳木沢和人様と書かれた封筒に佐知の胸は訳もなく疼きだした。
柳木沢は何処にでもあるような苗字じゃないわ、お母さんもわたしと同じ柳木沢という人と出会っていたなんて
佐知は丁寧に封を開け薄紅色の便箋を取り出した。墨文字で綴られた冒頭の文面を見て佐知は恋人へ宛てた手紙だとすぐに分かった。
柳木沢和人様
柳木沢君を忘れ消し去るためここに想いのすべてを封印します
あなたと会えなくなって私はずっと後悔の日々を送っていました。なぜ自分の気持ちを押さえつけていたのか今更ながら悔やまれます。もっと正直に気持ちを伝えて甘えていれば未来は違っていたのでしょうか。若かった私には恵まれた境遇のあなたがまぶしかったのです。いつだって曇りのない満面の笑みを浮かべ陽気なあなたに私の苦労など分りはしないとずっと思っていました。ごめんなさい。おもえばもう二度と会えないと諦めていたあなたとの再会は夢のようでした。柳木沢君から電話を貰うなんて思ってもいなかったから驚きました。あの日あなたを困らせた私は閉じ込めていた想いを止められなかった。理性を失うとはこういう事なのでしょうね。あの時の私はどうかしていた、いいえ違う、私はそれを望んでいたのかもしれません。後々、子供を身篭った私はそれを確信したのです。私は躊躇なく一人で生み育てていこうと決心しました。宿った小さな命が愛おしくてたまらなかったのです。まるであなたが宿っているようにさえ思えました。
柳木沢君と一緒に過ごした幸せが帰ってきたのです。でもこの世に生まれた我が子は瞬く間に天に召されました。神は私の子供の成長をお許しになりませんでした。神が下した決定は残酷でしたが愛する人の分身・命を育む時間を与えて下さいました。身重の10ヶ月に及ぶ幸せな時間は唯一神から許された贈り物でした。幸せな時間が私を生きる喜びへと導いてもくれました。わずかな命を逝ききった我が子は私の父のお墓で一緒に眠りについています。子供の名前はあなたから一字頂いて和由と付けました。あなたの和人の和と私の由里子の由で和由
失ったものは大きすぎましたが私はこれまで以上に力強く生きて行きます。二度と大切な愛を手放さぬよう正直に生きてゆきます。黙ってあなたの子供を産んだ事をお許しください。もうこの世に居ない和由は柳木沢くんと私の愛の賜物でした 由里子
「実母が愛した柳木沢は雅和の父親と同じ苗字・・柳木沢さんの下の名前聞いておけばよかった」
手紙に書かれた柳木沢という男の影が頭から離れなかったが一番の衝撃は実母が男の子を産んでいたことだった。
「私には兄が、和由というお兄さんがいた」




