愛は砂の城
雅和が父と母の夫婦関係の修復を知ったのは桜が花開く頃だった。単位も修得し自宅に戻っていた。同じ頃、佐知は柳木沢から届いたメールを見ていた
/ホテル住まいに終止符を打ち妻と二人再出発を始めました。君のおかげです、ありがとう。家の電話番号知らせておきます。時間があったらまたお会いしましょう/
佐知は何かにとりつかれたように配慮も無しに電話をかけていた。
「ご主人様はご在宅でしょうか」
「失礼ですがどちら様でしょうか」
「あっ申し訳ございません はじめまして私は皆井佐知というものです」
「あら皆井さんって主人が話してくれた可愛い年下のお友達、その皆井さんかしら」
「あっ・・はい」
「お待ちになってね、すぐ呼んできますから」
柳木沢の妻の柔らかな声が心地よかった。短いやりとりだったが柳木沢と妻の円満な夫婦関係が読み取れた。
「あなた可愛いガールフレンドから電話ですよ」
子機を受け取った柳木沢はリビングを離れ庭に出た。
電話の向うの柳木沢はいつも以上に饒舌だった。さちは柳木沢と家族の新たな旅立ちにエールを送った。
携帯を切ると緊張がとけて全身の力が抜けていった。全力で駆け抜けた後のように大の字で天井を仰いでいた。
佐知は柳木沢の再出発をいつものようには喜べなかった。もう今までのようには会えないと寂しさを募らせていた
柳木沢さんは恋人でも愛人でもない
年上の友達、好かない中年男なのに・
佐知は何故か柳木沢のことが無性に恋しくてたまらなかった。
柳木沢が席をはずしたリビングでは電話相手の話題で盛り上がっていた。
「母さん、親父に女から電話だって」
「やあねそんなんじゃないのよ お父様が通っている病院にお勤めしてるお嬢さんで確か受付のお仕事をしているって聞いたわ」
「物好きな女もいるんだな」
「失礼よそんな言い方して 彼女はお父様の恩人なのよ 此処でうまく生活が出来ているのは彼女のおかげなんですって 彼女との出会いで僕は変わった そう云って笑っていたわ」
「へぇ親父が笑ったんだ、雨あられが降ってきそうだな それでどんな人、名前聞いた?」」
「確か、みないさんって」
「母さん、もう一度言って」
「みないさちさんって聞いたけど」
ご機嫌な柳木沢が戻ってきた。
「雅和、もう部屋に行くのか」
「うっ・・うん」
部屋の戻った雅和は自分の拳を力いっぱい壁にぶつけていた。何度もぶつけた壁が赤く染まった。
嘘だろう、なにかの間違いだ 間違いに決まってる
痛かった涙が出るほど痛かった それは心の痛みでもあった。
翌日父が忘れていった手帳を事務所に届けるように頼まれた雅和は何気なく捲ったページに書かれた名前を目にして愕然となった。
「親父が住まいにしていたホテルで二人は会っていた あいつと親父が」
久しぶりのデートに佐知は朝から浮き浮きワクワクしていた。しかし遅れてきた雅和はブルーな雰囲気をただ酔わせていた。いつもと違う話しぶりや態度に佐知は違和感を感じ始めた。
「今日の雅和はご機嫌ななめのようね またお父さんと喧嘩」
言葉を遮られ無言で店から連れ出された佐知が辿り着いた先は雅和とクリスマスを過ごしたホテルだった。1102号室に入った雅和の般若のような顔に寒気がしていた。口火を切ったのは雅和だった。
「君なのか、さちという名の女は 親父の密会相手は君だったのか」
「急に何を言い出すの 雅和のお父さんとは会ったこともないのに
「じゃあ柳木沢という男とは面識があるだろう」
「私が知ってる柳木沢さんと雅和が知っている人が同じなら」
「君の知っている柳木沢は俺の親父だよ」
「雅和の苗字は井川よ」
「親父は母さんの家に入った婿だ だから親父は外では旧姓の柳木沢で通している これで分かったろ、柳木沢は俺の親父で君が密会していた男なんだ」
「まって、密会だなんて・・私と柳木沢さんは雅和が思っているようなお付き合いじゃないわ」
「君と親父はホテルで会ってたんだぞ 何でもない相手とホテルで会うなんてどう考えても普通じゃないよ 誰だっておかしいと思うだろ」
「何と言われても私は雅和を裏切るような事はしていない、それだけは信じて、柳木沢さんとは精神の繋がり同志というか・・上手く伝えられなくてごめんなさい
でも雅和の思っているような事は絶対ない それだけは信じて」
「精神の繋がりを持ってこられたらそれはもっときついよ 精神の繋がりというのならそれは簡単には切れないって事だからね」
「自分が何を言っているか分かって言ってるの 雅和はお父さんに嫉妬しているのね」
「そんなんじゃない 俺の知らないところで君は親父と会っていた そんな君が許せないんだ 俺が東京に戻るとすぐ君は親父と会った その後も頻繁に会っていた事すべて親父の手帳を偶然目にして知ったんだ 皆井佐知、スケジュール表の土曜日は君の名前で埋まっていた 信じられなくって体が震えたよ」
「ごめんなさい誤ります でもこれだけは聞いて 柳木沢さん、いえあなたのお父さんは病院長の知り合いで患者さんの一人だったの まさか雅和のお父さんだなんて本当に知らなかった」
「知っていたら君は親父との付き合いを止めたのか」
「雅和は誤解している 出会った頃の柳木沢さんは苦しんでいたわ 家庭の事や自分の人生を顧みて悩んでいたのそんな柳木沢さんを放って置けなかった患者さんだったし 会ってお話するそれだけでお元気になられる柳木沢さんが嬉しくて 本当にそれだけよ信じて」
「この部屋で俺は佐知と初めてのクリスマスを過ごした 同じこの部屋に親父が滞在し、そこに君は躊躇もせず足を運んでいた それをどう理解しろって言うんだ」
「ホテルで会ったのは本当に軽率だった ごめんなさい」
「この部屋の番号は俺の誕生日11月02日で1102号・俺は迷わずこの部屋を予約したんだ 君とのクリスマスを忘れずにいたかったから なのに君は同じこの部屋で親父と会っていた この事実をそうだったのかなんて受け止められるわけないだろう 君は俺がそんなお人よしだと思っていたのか」
「本当にごめんなさい 疚しい事は何一つないのに誤るのは不本意だけど・・雅和の気持ちがわかるから痛いほど伝わったから謝ります 私の軽薄な行動でクリスマスの思い出を台無しにしてしまった 何も知らず気付かないで・・ごめんなさい本当にごめんなさい」
雅和の気持ちが佐知のそれよりも数倍も濃くて深いと知った。あふれる涙を止められなかった。
「泣いてごまかすのは女の特権だな 俺はその手で何度も痛い目にあってきたよ」
佐知はもう限界だった。




