けじめと決心7
秀行の父である西條病院の院長から手紙が届いたのは一年でもっとも寒い大寒のころだった。
院長直筆の手紙には秀和の将来を案じる内容が綴られていた。祖父として秀和が一人前になるまで金銭面の援助をしたいと書かれてあったが一つ条件が添えてあった。それは秀和には息子秀行と同じ医師の道を進み西條病院を継いでもらうというものだった。生まれたばかりの秀和の人生を決めてしまうのいかがなものかと当然ながら受け入れる事はできなかった。佐知は院長の真意が別のところにあるような気がして胡散臭くさえ思えた。もちろん志しなかばで逝った秀行の後を継いでほしいという思いは佐知にもあったがそれは秀和自身に委ねるつもりでいた。秀和は院長である父の姿を見て育ち自ら医師の道を選んだ秀行とは違う。生まれおかれた環境下で生じる様々な出来事に怯まず自ら望む未来を掴んで欲しいと願う佐知は院長に御礼と共に援助辞退を伝える手紙を送り返した。院長から届いた手紙を気に病む両親に内容を公言することはなかった。
しばらくして秀和を連れてまた顔を見せてくださいと夫人直々の手紙が届いたがそれが院長夫妻が佐知に送る最後の手紙となった。今後深く関わることはなくても秀和の成長を伝える手紙や写真を送ることで院長夫妻との繋がりを保って行ければと佐知は思った。秀行の両親であり秀和の祖父母は従業員だった佐知を娘のように可愛がってくれたその院長夫妻との縁を切るなど佐知には考えられないことだった。秀行と共に働いた西條病院での日々が懐かしく楽しい思い出ばかりが浮かんできて佐知の顔に笑みがこぼれた。今は亡き秀行を思い出すとき、佐知は喪失感や哀しみに涙する事も忘れてしまったかのように甦る秀行と過ごした幸せな日々に心は満たされいつも笑みがこぼれた。
佐知は恋人だった雅和と別れたときの事を思い出した。
雅和と過ごした日々を思い出すたびに止めどなく溢れでたあの涙はなんだったのだろう
雅和への未練を断ち切れなかったつらい日々が切り裂かれるようなあのときの胸の痛みと共に蘇ってきた。
佐知の目から涙がこぼれ落ちてきた。
悲しみの涙はもう枯れたはずだったのに・・
思わず流れ出た涙が悲しみの涙でないことは佐知には分かっていた。
どう生きるのか、どう生きたいのかで人生は変わってくる
自分の心と向き合えば自ずと雅和から出された宿題の答えも・・
佐知は再び湧き上がってくる感情を無理やり追い払おうとしていた。愛した秀行の子を持つ母となったいま再び女の感情を呼び起こす事に罪悪感にも似た感情を覚えた。これまで築いた雅和との友好な絆を男女の絆に変えるなど微塵も考えてはいけないと佐知は自制していた。
雅和への答え、それが嘘、偽りのない自分の心にあるのなら・・・答えは・・
一瞬ではあったが母からひとりの女に戻った佐知の目からこぼれた涙はほろ苦い味がした。




