愛は陽炎
仕事復帰した雅和から月に数回ほど電話がかかってきたが佐知からかける事は皆無に等しくなっていた。佐知と秀行の関係が深まるにつれ雅和と佐知の距離は少しずつ後退していった その寂しさは雅和にとっては初めて味わう異質なものだった。それでも今も昔と変わらずそれぞれ互いの心情を読み取ることができていた。
未だに美香と明日香を忘れられず苦悩する雅和の気持ちは佐知にも痛いほど伝わっていた。雅和もまた連絡がなくとも佐知と秀行の関係が順調であることをうかがい知ることができた。
この日佐知はご無沙汰だった雅和に電話をかけていた 本当に久しぶりのことだった。
「雅和、いま話せる」
「佐知からの電話は随分ご無沙汰だったけど西條先生とけんかでもしたのか でなければ俺に電話してこないだろ」
「失礼ね、私たち喧嘩なんかしないわよ、超ラブラブだもの」
「そのラブラブ話を聞かせたくて電話かけてきたってことか」
「ねぇ聞いて、驚かないでよ わたしね、結婚してもいいかなって・・」
「もしかして西條先生との結婚が決まったのか よかったな佐知、おめでとう」
「ありがとう でもプロポーズの返事はまだしていないから、おめでとうは早いわ」
「佐知その場で返事しなかったのか それじゃ西條先生の立場がないよ 可哀相すぎる」
「肝心な時わたしはいつもそうなのよね その前もそのずっと前も秀行さんの前でドジばっかり踏んで」
「またまたドジっ子さっちゃんがでましたか」
「お願い真面目に聞いて、私がプロポーズを受けたのは先週なの すごく嬉しかったのよ だけど初めてだったからどう答えればいいのかわからなくて困っていたら秀行さんが返事は急がなくていいよ待っているからと言ってくれたの でもその数日後友人夫婦が事故にあって大変な状況になっていることを知らされた秀行さんはもうそれどころじゃなくて返事も出来ないままになって、それっきり」
「そうか、そういうことなら仕方ないな でも佐知はもう決めたんだろう 命の恩人でもある西條先生が相手なら俺は嬉しいよ」
「本当にそう思ってくれる」
「もしかして俺が今も引きずっているとでも、だったら残念ながらそれはないから心配するな」
「わかってるわ 引きずっていたのは私だもの」
「もう振り向くな、西條先生と幸せになれ、親父も雲の上できっと喜んでいるよ」
「もっと長生きしてくれたらよかったのにね 柳木沢さんの喜ぶ顔を見たかったわ 花嫁姿も見てほしかった」
「早足で駆けていったおやじの人生ってなんだったのかな」
「柳木沢さんの人生は柳木沢さんが一番わかってるからそれでいいのよ」
「そうだな」
佐知は多くの大切なものを失った雅和から贈られた祝福をかみしめていた。長い間囚われてきたしがらみが剥がれてゆくのがわかった。やっと見えた目の前にある幸せを手にする日を佐知は信じて疑わなかった。しかし蜃気楼にも似た陽炎が愛の行く先を阻止しようとしていた。運命さえ誤ってしまいかねないのその陽炎が佐知と秀行ふたりの人生に影を落とし忍び寄っていた。