揺れ惑う心
秀行と医大で同期生の斉藤は雅和の入院する病院の勤務医だった。斉藤からの報告で雅和の病状が重篤でないことに安堵したが見過ごせない気になることがあった。意識が戻った雅和に記憶障害と失見当識が見られるというのだ。
「西條君、頼まれていた井川という患者の件だけど今話せるか」
「忙しいのに悪かった この借りは必ず倍にして返すよ」
「お互い様だからそれはいいよ 井川さんという患者だけど足と腰の骨折だけで西條が気にしていた内蔵や脳には損傷はなかったよ」
「それなら不幸中の幸いだな」
「でも担当医師に付き添った同僚の医師が患者の言動が少しおかしいと言うんだ」
「その話を詳しく教えてくれ」
「患者は自分が病院にいることを認識できていないのか何度もここは何処かと訊ねるらしい 記憶が飛ぶというか事故前後の記憶がなく事故を起こした事も忘れているようだ 子供が亡くなったことは患者の関係者が伝えたそうだがそれさえすぐ忘れてしまう 娘の死に取り乱していた井川さんが数日後には娘は元気ですか会えますかと聞いてくる、西條、もしかするとこれは」
「あぁ間違いなく記憶障害だな 脳をもう一度詳しく調べたほうがいい」
「西條きみもそう思うか やはり頭部外傷の可能性大かもな」
雅和の病状を詳しく知りたい秀行は担当医師に会おうとしていた。脳外科である叔父のもとで様々な症例をみてきた秀行は頭蓋内血腫があるのではないかと疑いを持った。斉藤は雅和の担当医師と連絡を取ると秀行をドクタールームにとおした。
「西條君紹介するよ 井川さんの担当医師の鑓水君だ」
「はじめまして西條です 無理を言ってお手間を取らせてすみません」
「かまいません 優秀な斉藤君のように僕は忙しくないですから」
「そうでしたか良かった、あっ失礼しました」
「気にしないでいいです 率直な人僕すきですから 西條先生が聞きたいのは井川さんの病状ですね 上司も当然脳血腫を疑いました 出血が多ければ脳細胞がやられてしまいますが患者の出血は微少で、ですから手術にはいたらず」
「その後検査はしたのでしょうか」
「いいえ、でもここ最近の患者の言動を見ていると検査は必要でしょうね」
「いまから患者と会えますか 会わせて頂けますせんか」
「わかりました 入院棟に案内しますからどうぞ」
入院病棟の奥まった病室に案内された秀行は一人で部屋に入っていった。そこは白い壁に囲まれた個室だった。ノックの音にも反応せず雅和は微動だもせず横たわっていた。