第九話
ーーどうやら、気持ちは切り変わったようだなーー
助手席で念入りに銃の確認をするマイクの様子を見て、
ケネスはそっと安堵のため息をついた。
レイラの経歴を話すのが早すぎたか、とここまで来る道すがら
ずっと危惧と後悔が入り混じった煮詰まったコーヒーのような想いを
抱えていたのだが、どうやら杞憂だったようだ。
この国の人達は、いっそ愛おしいほど無邪気で想像力がない。
改めてポケットの中からレイラの写真を取り出して、ケネスは思う。
もっともそれは自分も同じだった。青い空、
そしてそれをそのまま溶かしこんだような同じ色の海。
物悲しい弦楽器の音色とそれに合わせた歌声が、
いつもどこからか聞こえてくる
焼けつくような日差しの国の基地を出て、
息苦しいほどの緑生い茂った同じように熱さに不快な湿気が加わった
戦いの最前線に出た瞬間まで。
俺たちは、世界の平和を守るために戦っている。俺たちに逆らう奴は悪だ。
だが、正義の使徒であるはずの自分達を迎えたのは、
武装した百戦錬磨の戦士たちではなく
素朴な農民や、いたいけな幼い子供の格好をしたゲリラだった。
仲間以外の動くもの全てが敵に見えるようになるまで時間はかからなかった。
第二次世界大戦の時より格段に進歩したメディア技術により、
戦場の映像は誤魔化されることなく故国に伝えられる。
国のために命をかけて戦ったのに、国に帰れば罵倒と非難の嵐だと
つかの間の休暇で戻ってきた沖縄の基地で聞かされた。
「あんた達は勘違いしちまったんだろうね」
その話を聞いた行きつけの飲み屋のママは、
煙草を口に咥えたままで苦笑していた。
「家を焼き払い、女子供を無差別に殺してさぞや恨まれると思ったら
もろ手を挙げて歓迎され、がちがちの軍国主義だったこの国はあっという間に
民主主義に塗り変わっちまった。でもね、こんな国のほうが特殊なのさ。
誰だって何もしてないのに、家を壊され、親しい人を殺されれば怒るもんだよ」
ヒサヨといったそのママが、
太平洋戦争で家族を全て失っていたと知ったのは何時だったか。
ジャングルの中の戦闘で全身に大やけどを負って戦線を離脱し、
長い入院生活の後再び店を訪れた時、そこはシャッターが固く閉ざされ
「ククル」と書かれた店の看板の跡だけが残っていた。
故国に帰る寸前に、基地をぐるりと囲んだ平和活動家たちの「人間の鎖」の中に
彼女とよく似た顔をした人を見たような気がしたが、
それが彼女かどうかは判らなかった。
ただ、飛行機の中で戦友たちがどこかの飲み屋の子供を誤ってひき殺してしまったと
笑い話をしていたのを、胸が悪くなる思いで聞いていた記憶だけは
今でも鮮明に思い出せる。
「まだ、中にいますかね」
マイクの声がケネスを現実に引き戻す。
「判らん。だが相手は爆弾製造のスペシャリストだ。
なにかを仕掛けてあるかもしれん。用心するに越したことはない」
「ですね、応援は?」
「もう呼んだ。あと三〇分もすれば駆けつけてくるだろう。
もうしばらくの辛抱だ」
頷いてマイクは肩からつりさげたホルスターの中に銃を仕舞った。
「何をするんですか?」
「ゲンかつぎだ」
ポケットから取り出した皺くちゃの一ドル札にケネスは自宅の住所と
電話番号をかきつける。
「誰が始めたか知らないけどね、いつの間にかこんなに溜まっちまった。
まあ、金を預けておけば何としても取りに帰りたいと思うんだろうね」
やはり煙草を咥えたまま苦笑するヒサヨと、戦場へ行く前の兵士たちが残した
壁一面を覆い尽くす住所氏名が書かれた一ドル札が
ケネスの脳裏に鮮やかに蘇った。
「沖縄の基地にいた時、行きつけのバーのママに教わったんだ。
こうしておけば無事に生きて帰れるってな」
「へえ、俺もやりますよ」
二枚の一ドル札がパトカーの日よけに挟まった時、
レイラがいるらしい部屋の中から大きな音が聞こえた。
「マイク」
「はい」
声に弾かれるようにマイクがパトカーの外に飛び出す。
銃を構え壁を背にして階段を一歩づつ昇る。
ケネスはそのすぐ後に続いた。
ドアにかぎは掛かっていない。
「動くな、警察だ」
叫び声と共に開かれたドアの向こう、狭い室内の中には
見渡した限り誰もいなかった。
残されていたのは板張りの床に直接ひかれたマットレスと
台所のシンクの中に無造作に突っ込まれた化学薬品。
「彼女はまたここでC-4を作っていたのか」
「まだ、浴室の壁に水滴がついていて、シャワーを使った
形跡が残っています。レイラは少なくても朝まではここにいましたね」
部屋を一通り見て悔しそうにそう言ったマイクにケネスは頷いた。
「多分、ここから逃げたんだろう。応援を待たずに踏み込んでいたら
もしかしたら捕まえられたかもしれんな」
開けっぱなしの窓のすぐ下には非常階段がある。
「ちくしょう」
マイクがいらだち紛れにマットレスを蹴り飛ばす。
と、ずれたその下から数枚の写真が出てきた。
ケネス達が持っているのと同じ位古びているそれに写っているのは
中年の男女、そして若い男性と子供。
恐らく、レイラの失った家族達。
ーーあんたも、辛い思いをしたんだろうなーー
それを拾いあげながらケネスはそっと胸中で呟く。
ーーだがな、あんたのとった行動は最悪だ。
テロを実行した時点で、あんたは他国に攻め入った俺達と同じレベルに堕ちたんだーー
遠くから微かに応援に駆け付けてきたパトカーのサイレンの音が聞こえた。
続く