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第八話

「ああ、この人なら確かにここで働いていましたよ。随分昔の

写真みたいですが、この綺麗な切れ長の瞳はちっとも変っていない」

シスター兼所長はマイクが差し出した古い写真を見ながらニコニコと笑う。

豊満な身体を包む修道女の聖服、

その紺色のスカートの裾を幾つもの小さな手が握り締めていた。

「まだ若いのに赤ん坊や小さな子供の世話が本当に上手で

随分と助かっていたのだけれど故郷の親御さんが倒れたとかで、

急にやめてしまったのよ。残念ね」

「そうですか」

マイクはため息をつく代わりに、唇をかみしめた。

もう幾つ目になるのか、数えるのをとうに諦めた目撃情報の確認作業。

低所得者層が住人の大部分を占める下町の一角にある教会兼託児所で、

レイラが働いているという情報が寄せられた時は、

ガセネタもいい加減にしろと思ったが、それでも確認に出向かないわけにいかない。

無駄足だと思ったのに、まさか本当だったとは。

「それはいつの話ですか」

「そうね、三日前よ。ところで彼女、一体何をしたの?」

黙りこんでしまったマイクに代わって質問を続けたのはケネスだ。

「……何をしたって、テレビを見ていないのですか?」

「あのテロ以来、どのチャンネルを回しても嫌な映像しか映らないし、

この仕事をしていると元々余り見る暇もなくて、

ここ十日程はスイッチにさわりもしてないわ。

でも、テレビのニュースになるような事を彼女はしでかしたの?」

「いえいえ、単にちょっとした交通事故の目撃者なんですよ」

思わず詰問口調になってしまったマイクの質問に、

すかさずケネスがフォローを入れる。

「そうなの、じゃあちょっと待っていてね。

彼女の住所と電話番号をメモしてくるから」

そう言って、シスターが豊満な身体を揺らしながら別室に消えると、

盾をなくした子供達がじっと二人の刑事を、いや、正確にいえばマイクを見上げた。

その表情にマイクは嫌な見覚えがあった。

駅や電車内をパトロールしている時に後ろ暗い所がある人間が自分達を

こっそりと見つめるソレによく似ている。

なぜ、こんな年端のいかない子供達がそんな表情をするのだろうか。

マイクは落ち着きなくコートのポケットの中で手を動かしながら、

ケネスの表情をうかがうと、こちらはサンタクロースのような笑顔を浮かべて

子供達を見つめ返していた。

ふいに、子供の一人が堪え切れないように泣き出す。

「あらあら、ごめんなさいね」

メモ用紙片手に小走りに戻ってきたシスターは

そのぽっちゃりとした手で泣き出した子供の頭を優しく撫でる。

「こんな場所の託児所だから、皆警察官、特に白人の方には余りいい印象がないの。

自宅に踏み込まれて親を目の前で逮捕された子もいるし」

「そうですか、では怖いおじさん達は早々に退散する事にしましょう。

ありがとうございました」

シスターからメモを受け取り、相変わらず笑顔のままで踵を返したケネスの後に

マイクも慌てて続こうとしたが、コートの裾を引っ張られて振り返った。

「どうしたんだい?おじょうちゃん」

精一杯優しい声で、コートの裾を掴んだままの褐色の肌に縮れた髪をおさげにした

少女に尋ねる。そういえば、この託児所にはシスターを含めて白人は一人もいない。

「お姉ちゃんを、捕まえちゃうの?」

おどおどとした小さい声の、それでも精いっぱいの問いかけに

マイクは答える事が出来ず、曖昧な笑みを浮かべたまま少女の手の中から

コートの裾を引き抜くと、無数の同じ問いが込められているだろう

視線を背中に感じながら教会を出た。


                    ※

「おい、どうした。そんな顔をして」

 ケネスに尋ねられたのは、託児所を兼ねた教会が

完全に見えなくなった場所にある小さな空き地でだ。

さび付いた網のないバスケットゴールが二つ、

落書きだらけの壁にはさまれて置かれている。

「いえ、あのその」

「テロリストが託児所で働いていた事がそんなに意外か?」

思っている事をズバリ言われて、マイクは小さくうなずいた。

「そんなに驚く事じゃない。テロリストだって人間、ましてレイラは女性だ。

しかし、上手い場所を見つけたな。ここの住人たちにとって

警察は厄介な存在でしかないし生きていくのに手いっぱいで

他人を構う余裕がある奴も少ない。ああいう託児所は

常に人手不足だから、経歴など碌に確認もせずに雇ってもらえるしな」

「しかし、彼女は大部分の乗客が幼稚園児であった地下鉄の車両に平然と爆弾を

仕掛けたんですよ。そんな悪魔みたいな人間が」

「子供達の世話をし、しかも慕われていたのか理解できない、か?」

もう一度頷いたマイクにケネスはほろ苦い表情を浮かべた。

「マナスが公開している情報によると、

彼女は1991年の湾岸戦争で家族を全て失い

2003年のイラク戦争で夫が戦死、

子供がアメリカ兵の誤射により撃ち殺されたそうだ」

何と答えていいか判らなくなり、ただ黙りこむマイクにケネスは続ける。

「もしかしたら、彼女を悪魔にしてしまったのは俺たちアメリカ人かもしれんな」

その言葉に、マイクはポケットの中から古びたレイラの写真を引っ張り出した。

中近東出身の人間にしては切れ長の瞳がその中からじっとマイクを睨みつけている。

教会を訪問するまで、マイクの中で彼女は血も涙もない極悪人に過ぎなかった。

ちょうどテレビの中に映し出される戦争が、本物だと言われながらどうしても

テレビゲームの画面にしか見えなかったように。

いや、世界貿易センタービルにジャンボジェットが突っ込んだ時でさえ

マイクは、いや大部分のこの国の人々はただテロリストの非道さに怒り、

復讐を誓うだけだった。

自国の軍隊が他国で「世界の平和」の名目で何をやってきたのか考えもしないで。

「何て顔をしているんだ」

ぽんと肩を叩かれて我に帰ると、

ケネスが刑事の表情でマイクの顔を覗き込んでいた。

「ここでいつまでも油を売っているわけにはいかん、この住所は多分偽物、いや、

仮に本物だったとしても、退職してから三日たっているから

いる確率はゼロに近いが一応行ってみよう」

「は、はい。でも」

「あのな、マイク」

ケネスは刑事の顔で言葉を続ける。

「世の中には、レイラよりも酷い経験をしながら、

それでもまっとうに暮らしている人間は五万といるんだ。

そして私たちの仕事はそんな人々を守ることだ」

「は、はい」

背筋に一本筋を通された気持ちでマイクは頷いた。

そうだ、自分は刑事なのだ。今やるべき事は百三十人の死者を出したテロの主犯の

迅速な逮捕。彼女の境遇を憐れむのはそれからでも遅くない。

と自分に言い聞かせて、マイクは歩き始めたケネスの後を追った。


               ※


「そう、刑事さんが先ほど。シスターありがとう」

 丁寧に礼を言ってレイラは携帯を畳む。もう少し時間を稼げるかと思ったが

案外早く見つかってしまった。まあ、あの日以来いくら子供の頃の物とはいえ、

連日連夜TV で自分の顔写真が放送されれば、無理もない。

それとも、有色人種の低所得者ばかりがすむこの界隈で働きもせずに

アパートに籠り続けるのは流石に目立つと、

託児所で働き始めたのもよくなかったのだろう。

壁に張り付くようにして窓から外をうかがうが、

まだそれらしい人影はどこにもない。

だが、ここに刑事達がやってくるのも時間の問題だ。

きゅっとレイラは荒れた手を握り締め、

そこに残る子供達の肌の感触を打ち消した。

視線を向けたテーブルの上には、出来たばかりのC-4と

インターネットに接続され、何かをダウンロード中の

画面が映し出されたノートパソコンがある。

新しいテロを実行するための二つの道具、

一つは完成したがもう一つはもう少し時間がかかりそうだ。

もう少しここに隠れていたかった、だが、もうぐずぐずしている時間はない。

「まだよ、まだ私は捕まるわけにはいかないの」

逃げ伸びて、道具を完成させて、予告道理テロを実行するまでは。

何のために?

「……無論、罪なく殺された故国の人々の無念と怒りと悲しみを

この国の奴らにも味あわせてやるためよ」

胸の奥からの無言の問いに、レイラは声に出して答えを返す

同じ胸の中のぽっかりと空いた漆黒の

虚ろな穴から吹きつける冷たい風を感じながら。

その為ならなんだってやってやる。

そう、既に自分は二年の歳月をかけてこの国に移住していた故国の女性達を

言葉巧みに集め、戦争で崩壊した祖国の町並みや、

無残な死体となった人々の映像を見せて

彼女たちの罪悪感とこの国への憎悪をあおり、

善良な市民達をテロリストに変貌させたのだから。

爆弾とパソコンをかばんの中に放り込むと、

レイラは鏡に向かい肩下までのストレートな黒髪をひっぱる。

何の抵抗もなくずるりと手の中に落ちたウイッグを蓋つきのゴミ箱に放り込むと、

剃りあげた頭に金髪のショートカットのウイッグを被る。

さらにブルーカラーのコンタクトを入れれば、鏡に映ったのは

見知らぬ女性。短い神への祈りを呟くとレイラはかばんを担ぎあげ、

窓から非常階段へと身を躍らせた。


続く



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