第七話
佐々木はケネスの説明を聞きながら、写真を見つめた。
脳裏にテロ当日教会に次々と運び込まれる悲惨な姿に変わり果てた乗客たちの
姿が蘇る。あの地獄のような光景を作った人物が写真の中の少女だと言われても
はい、そうですかと素直に頷く事が出来ない。
爆弾制作のプロフェッショナル、凶悪なテロリスト。
そこから佐々木が想像するものはもっと荒んだ雰囲気の、
例えるなら故国にいたヤクザのような男性像だ。
多分こんな少女と街中ですれ違ったら自分は頬笑みさえ浮かべてしまうだろう。
「これは十年前以上前の写真ですから、今の彼女は立派に成人しているでしょう。
……意外ですか? こんな美しい女性が犯人と言われて」
内心を見透かされたようで、佐々木は気恥ずかしさを覚えながら頷いた。
「今回のテロは全てが予想外の出来事の連続だったのです」
コーヒーを一口すすってケネスは続ける。
「最初に爆破されたのは、アレックス君達が乗っていた地下鉄の車両でした。
使用されたのはプラスチック爆弾、通称C-4です。推定重量三百グラムほどの
それでは車両は完全に破壊されることなく、炎上したまま走り続けた。
ニューヨークの地下鉄は駅と駅の間がかなり短い。炎の塊となった電車は
そのまま駅に突っ込み、そこに仕掛けられた液体状の爆弾を爆発させ、
さらにそこで生じた爆風と炎は、煙突の役目を果たした地下トンネルを伝わった。
通風口の上にいた人や車を吹き飛ばしながら、さらに炎は第三の駅に
同じように仕掛けられた爆弾も爆発させたのです」
「警戒が厳しい中、よくそれだけの爆発物を地下鉄の駅や
車両に持ち込めましたね。ペットボトルの飲料すら持ち込み禁止なのに」
ケネスの表情が苦さを増す。
「市内の地下鉄ですからね、
空港並みのセキュリティシステムを敷くことはできません。
それに、爆弾は我々が予想もしなかった物に偽装されていたのです」
「なんですか、それは」
「ミルクですよ。哺乳瓶に入った赤ん坊の食事だったのです」
「……ミルク、ではまさか犯人たちは」
そこから想像した事の余りのおぞましさに、佐々木は絶句した。
いくらテロリストでもそこまではしない、いや、して欲しくない。
「御想像の通りです、先生。テロリストたちはミルクに偽装した爆弾を持ち
赤ん坊を連れていました。子連れの母親を装って、駅に座っていたのです。
炎よって爆弾が誘爆するその瞬間まで」
淡々と紡がれる言葉に、佐々木は嘔吐感を覚えた。
「大丈夫ですか、先生」
微かなうめき声を上げて、両手で口を押さえた佐々木にケネスが
写真のようにくたびれたハンカチを差し出してくれる。
「いえ、大丈夫です。失礼しました」
こみあげてくるものを無理やり飲み下して、佐々木は首を振った。
「なんて、酷い事を」
「本当です。このテロを計画した人間……恐らくレイラ……は
恐ろしく狡猾で冷酷です。二年も前にこの国に偽造パスポートで入国し
どういう手段を使ったかまでは不明ですが、
秘かに善良な市民であった移民した同国の女性達をテロリストに仕立て上げた。
世界同時多発テロ以来、テロに対するセキュリティは飛躍的に厳しさを増しましたが、
それでも女性、しかも子連れならば殆ど疑われる事はない。彼女自身
ケーキに偽装した爆弾を車内に持ち込んでいますからね」
佐々木は先ほど、アレックスがマイクに喋っていた内容を思い出す。
「では、アレックス君が目撃した女性が」
「レイラでしょう。乗車した駅のカメラには後ろ姿しか写っておらず
下車した駅の下車した駅のカメラは爆風で吹っ飛んで映像は残っていませんが、
同一人物の作った爆弾には必ず同じ特徴がある。
彼女は故国で二度爆弾テロを起こしていますが、その時の爆弾も
プレゼントのように美しくラッピングされていたそうです。我々はこの特徴と
ハマスの犯行声明から、今回のテロの主犯を彼女だと断定したのです」
「そうですか」
佐々木は頷いてもう一度写真の少女を見る。先ほどは可愛らしいと感じた
笑顔が妙に禍禍しく見えるのは、話を聞いた後の心境の変化からだろう。
「断定はしましたが、我々はまだ彼女を逮捕できないでいる。
射殺された女性達の身元は全て調べ上げましたが、その中にレイラはいなかった。
そして、あの国はアメリカが二度仕掛けた戦争のせいで国民一人一人の情報など
殆ど判らない。この写真が手に入ったことだけでも奇跡です」
とケネスはテーブルの上の写真を指差す。
「これで、我々が今日ここにきた理由がおわかりいただけたでしょうか、先生」
佐々木は頷いた。
「レイラの現在の姿の唯一の目撃者、それがアレックス君なのですね」
「はい、ハマスが新たな犯行予告を出した以上、猶予はありません。
一刻も早くレイラを逮捕しなければ、また新たな犠牲者が出る。
テレビでも連日この写真を写し、情報提供を呼びかけていますが
子供の頃の写真では限界がある」
とそこで一度言葉をきり、ケネスは佐々木をじっと見つめた。
「そこで先生にお願いがあります」
「俺に、何を?」
戸惑う佐々木に、ケネスは続ける。
「時間がかかっても……、と言いたい所ですが出来る限り早く
アレックス君からあの日電車に爆弾を置いていった女性の特徴を
聞きだして下さいませんか。先生の方が我々より話を聞きだしやすいはずですから」
「確約は、できません」
少しの間を置いて、佐々木は答えた。
「俺は医師ですから、証言よりを得るより治療を優先させます」
「それは判っています。しかしPTSDはその原因を思い出す事も
治療の一つではありませんでしたか」
佐々木は僅かに苦笑する。
「よく、判っていますね」
「PTSDが病として認識された戦争に参加していますからね。
お願いします、今我々はすがれる物ならば藁にでもすがりたい状態です。
もう二度と、ニューヨークからテロの犠牲者を出したくはない。
多分先生も同じ気持ちでしょう?」
ケネスが差し出したやけどの跡が残る手を、少し間を置いて同じように
酷い傷痕が残る手が、遠慮がちに握り締めた。
「判りました。アレックス君の負担にならぬ程度に全力を尽くします」
「ありがとうございます、では何か判りましたらこの番号に」
とケネスが携帯電話を取りだすと同時に、それが鳴りだした。
「もしもし、……わかった。すぐそちらに向かう」
短く会話を終え、ケネスは慌ただしく
机の上の紙ナプキンに九ケタの数字を書きうつした。
「呼び出しがありましたのでこれで失礼します。何か判りましたら
いつでもかまいませんからここに電話をください」
そう言って慌ただしく去っていく老刑事を佐々木は電話番号のかかれた
紙ナプキンを手にその後ろ姿が消えるまで、見送った。
続く