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第四話

「ジョン・スミス6歳両手と顔に軽度熱傷。

経過は良好だが夜尿症と夜驚の症状あり、電車の音、轟音に怯える……」

 ICレコーダーから流れ出る自分の声を、

佐々木は一心にカルテに書き写していく。

 ペンを握る手が軋むように痛み、時折書いている字が霞んで読めなくなる。

 それをこらえてもう一枚、書きかけのカルテを目の前に置いた。

 テロ当日から十日が過ぎた。最終的に犠牲者は死者百三十人、

重軽傷者は二五〇人以上となり、

現場には死者の半数以上を占めた幼い子供達の為に

おもちゃや花が山と積まれ、TV は連日悲しみにくれる家族を映し

犯人の情報提供を呼びかけている。

 被害者の治療のためにニューヨーク中からかき集められた

医師達の半分以上が自分達の勤務する病院へと戻り、

被害者達は臨時の治療施設だった教会から

M病院の一棟に纏めて移され、平穏なとはいかないが、

事件の前と見かけは変わらない日々が戻りつつある。

だが、それに反比例するように佐々木と王の受け持つ患者はその数を増していった。

平穏な日常が突然崩れ去り、目の前で大勢の人々が死んでいった事件は被害者、

特に子供達の心に目には見えないが深い傷を刻んだ。

 大人ほど豊富な語彙を持たない子供の心の悲鳴は身体の不調となって現われる。

 佐々木と王は朝一に小児科や外科のドクターと共に被害者達を回診し

経過は良好だと言われながら、痛みや不快感を訴える子供たちの話を聞き、

それが終わると同じ理由で通院してくる被害者の診察に明け暮れた。

 本来小児の精神疾患は診断だけでも時間がかかる。

 佐々木達の勤務している病院では専門医とレジデント、

そして複数の看護師と心理士がチームを作って

お互いをフォローしあいながら治療にあたっていた。

 だが、ここでは診断から最低限の治療まで一人でこなさなければならない。

 食事や休憩の時間をすべて返上しても一人の患者と話せる時間は十分以下で、

後は付き添いの大人から症状を聞き、機械的に薬を処方するのが精いっぱいだ。

 怖い、苦しいと訴える子供たちにそんな治療しか出来ない自己嫌悪と

早朝から日付が変わるまで治療に追われる身体的疲労が

心と体、両方を鉛のように重く疲弊させていく。

 ニューヨーク市から宿舎として病院にほど近い小奇麗なホテルを提供され、

食事も中のレストランからルームサービスまで無料だと言われても、

食欲など真っ先に減退してしまい、近くにある日本食材が豊富なストアから

豆腐と醤油を買ってきてそればかりを食べて過ごした。

 と、卓上の電話が鳴った。

小さく舌打ちして佐々木はカルテを書く手を止めて、受話器を取る。

「Mr.佐々木。外線からお電話が入っております」

慇懃なフロントマンの声が終わった直後

「あの、佐々木先生ですか。私は日本のY新聞社の者ですが、

先生が今回のテロ被害者の方々の精神的ケアを行っているとお聞きして、

是非お話を……」

まるで機関銃のように喋りはじめた相手に佐々木はうんざりとしたため息をついた。

「すいません、今はそんな時間はないんです」

「あの、もしもし、もしもし」

喋り続ける相手に構わず受話器を置いて、もう一度大きなため息をつく。

一体どこで情報を仕入れてくるのだろう、

この手の電話はテロ当日から途切れることなくかかってくる。

携帯は留守番電話のメッセージが二十件を超えたのを見て以来、

電源を入れていないが、ホテルの電話までは線を引っこ抜くわけにはいかない。

ーー所詮は、他人ごとかーー

再びカルテにペンをはしらせながら佐々木は思う。

悲しみにくれ、やり場のない怒りを持てあますのは

事件の犠牲者や、それに関わるごく一部の人々だけ。

その他大勢にとってはこのテロ事件は退屈な日常を

忘れさせてくれる絶好のショーに過ぎない。

特にマスコミにとっては部数や視聴率を伸ばす絶好のチャンスなのだろう。

ーー人の事は言えないけれどなーー

数年前の同時多発テロ事件の時も、もっと昔、

十代の半ばに起こった阪神大震災や地下鉄サリン事件の時も

テレビの前に座っている時間が長くなり、普段買わない雑誌を買った記憶がある。

所詮人は、自分がその渦中に巻き込まれない限りどんな悲惨な事件でも楽しめてしまうのか。

どんよりとした重苦しい気持ちでもう一度ため息をついた時、ノックの音がした。

「俺だけど、入っていいか? 」

「王?どうぞ」

 返答すると同時にフォア・ローゼスの瓶を片手に入ってきた同僚は

 自分と同じく酷く疲れ切った顔をしていた。

「まだやっているのか、カルテの記録」

「追加だよ。現場で書ききれなくて録音したものを書きうつしているだけだ。

詳しい病状を書いておけば、引き継ぐ医師や心理士の参考になる」

「よくやるな、俺は殴り書きが精いっぱいだ」

「速記は殴り書きとは違うだろう。

君だってホテルで清書をしているくせに。で、何の用?」

「今日はもう飲んだのか、薬」

机の上の睡眠導入剤のケースを指差しながら尋ねる王に、佐々木は首を振る。

 身体は限界まで疲弊しているのに、ベッドに横になるとテロ当日の犠牲者の姿や

 今も不安と恐怖に苦しめられている子供たちの顔が浮かんできて

薬に頼らねば眠れない日々が続いていた。

「なら付き合え。薬よりはいいぞ、多分」

そう言って酒瓶を机の上に置いた同僚に、

佐々木は頷いてカルテをバインダーにとじた。

  TV のバラエティ番組の空虚な笑いをBGMに二人は無言で杯を重ねる。

「初日、何人の患者を診た」

 ようやく王が口を開いたのは、瓶の中身が空に近くなったころだ。

「覚えていない」

 琥珀色の液体が底にこびりついたグラスを弄びながら佐々木は答える。

「俺もだ。初めてだったよ、あんなことは」

「俺だってそうだ」

 名前を尋ねるどころか顔を見る暇もなく、ただ目の前に運ばれてくる

犠牲者のトリアージタグを確認、触診をして専門医に引き渡す。

ようやく軽傷者の治療を始められた時は夜が白みはじめていた。

「俺はあの時ずっと言い訳をしていた。重症な外傷治療なんて何年もしていないから、

患者を救えなくてもしょうがないって」

「……王」

じっとグラスの中の溶けかけた氷を見つめながら言葉を紡いでいく同僚からは、

強すぎるコロンの匂いがする。

いくら服を着替えても教会に充満していた血と煙が混じったような匂いが

身体から消えないような気がするのは、どうやら自分だけではなかったらしい。

 佐々木の表情から言いたい事を察したのか、王の唇の端に苦笑のかけらが滲んだ。

「お前もすごいぜ、シャンプーの匂い」

「悪い、何かで誤魔化さずにはいられないんだ」

 しかし、友人のようにコロンなどつけた事がないので、

ホテル内のショップに売っていたシャンプーの中でも

一番匂いの強いモノを買ったのだが。

「謝るなよ」

 いつものように王は、癖のある佐々木の長い髪をぐしゃぐしゃとかきまわす。

甘ったるい香りが一層強く部屋の中に広がった。

「それに俺さ、実はこういう日が来る事を心のどこかで待ち望んでいたんだ」

ひとしきり友人の髪を書きまわした後、王は語る。

酒精でほんのり朱に染まった頬に今度は自嘲的な笑みが浮かんでいた。

「馬鹿げた話さ、俺は自分が映画やドラマの主人公並の活躍が出来ると

本気で信じていたんだからな」

「……」

「だけどいざ待ち望んでいた事態が起き、専門の患者を目の前にした時

俺は何をした?ほんの数分話を聞いて、睡眠薬や安定剤を処方するだけじゃないか。

場末のメンタルクリニックだってもっとましな治療をやっているだろうよ」

たまっていた何かを吐き出すようにそう言うと、王は今度は自分の髪の中に

両手を突っ込んだ。

「そんなこと、俺だって夢想したことあるさ。それに患者の数が多すぎる

普段は十日で診る位の人数を一日で診ているんだ」

そう言ったところで少しも慰めにならない事を、佐々木も判っていた。

限界まで力を振り絞っても、手の中からは受け止めきれない

患者の苦しみが零れ落ちていき、

代わりに無力感が心中に重くたまっていく。

「俺なんかがここに来て良かったのか」

うちひしがれた表情で、王は佐々木ではなく虚空に向かって問いかける。

「もっと優秀な医師が派遣されるべきじゃなかったのか?」

「王、多分どんな経験豊富な医者が来ても、

ドラマや映画のような事にはならないよ」

 半ば自分に言い聞かせるように佐々木は言った。

 そう、現実はいつだってどんなバッドエンドの映画よりも残酷だ。

「今は自分を責める暇があったら、

患者の治療に全力を尽くそうぜ。せめてあとで後悔しないようにさ」

「……強いな、佐々木は」

「強くなんかないよ。そうやって自分を誤魔化さないとやってられないんだ」

「お前と一緒で、よかった」

 そう言ってようやく苦笑以外の笑みを見せた友人に、

佐々木も同じような表情を浮かべる。

一緒でよかったのは自分も同じだ。一人だったら初日で根を上げていた。

多分院長はそれを見越して病院も人手が足りているとはいえないのに、

二人を一緒に派遣したのだろう。

 その時、TVからずっと聞こえていた笑い声が突然途切れた。

 代わりに緊迫した声色のアナウンサーが、

電車爆破テロを実行した犯人グループの潜伏先を警察がつきとめ、

包囲した事を告げる。

瞬時に画面が切り替わり、映し出されたのは

黒煙と炎を破れたガラス窓から吹き上げるごく普通の下町の集合住宅だ。

「犯人グループは建物内に立てこもり、警察の説得にも応じず発砲したために

銃撃戦となりました。恐らく大部分が射殺された模様です」

 照明器具に照らされたアスファルトの上に、

何人もの人間が無造作に転がされている。

 カメラが近寄っていくにつれ、それらが皆自分達と同じ年頃の女性たちだと判る。

 穏やかな顔をしている者などひとりもいない、

ある者は目をかっと見開き、ある者は口を絶叫の形にあけたまま

 無念の形相でこと切れていた。

と、また別のカメラが燃えている家のベランダに飛び出した少女らしい人影を捉える。

テロに実行犯から連想される凶悪なイメージなど欠片も持たない、

褐色の肌に中近東特有の大きな目をしたその少女は

「投降しろ」と大声で呼びかける警察に首を振り、

笑みさえ浮かべながら銃をこめかみに当てて引き金を引いた。

軽い発砲音と共に、すでに人でなく

肉と血の塊となったモノがベランダから落下する。

「やめてくれ!!」

叫びながら王は乱暴にテレビのスイッチを切った。

「なんで皆そんなに簡単に死んでいくんだ」

静寂が戻った部屋の中で呻くように言った友人に、

佐々木は今度こそかける言葉が見つからなかった


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