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第十九話


「名前で想像がつくと思うけど、俺の家のルーツは中国だ。1943年、

第二次世界大戦が終わる少し前に祖父と祖母がこの国に移住してきた」

美しいが物悲しいポップスの音色を奏で続けるパソコンを足元に置き、

銃を構えたまま鉄製の扉と、それ以外唯一建物と外を繋ぐ

王が腰かけたベッドの真上の天窓に交互に鋭い視線を向けるレイラに、

王はゆっくりと語りかける。

「国を捨てたのね、恥知らずだわ」

「国に対する考え方は一つじゃない。祖父たち中国人の中には中華鍋一つ背負って

世界中に散って行った人達もいた、それだけの話だよ。

特に第二次世界大戦前後の中国は

政治的にも酷く不安定な状態だった。

国民党と共産党が内戦状態の上、日本とも戦争をしていたんだからね」

「日本?」

レイラは呟いて首をかしげ、すぐにああ、と頷いた。

聞いているかどうか判らないといいつつも、やはり気になるらしい。

「ああ、真っ先にアメリカを支持して戦えない軍隊を派遣した国ね。

原爆を落とされたのに不思議な話」

王は口元に僅かに苦笑を浮かべた。

「さっきから君が電話で話している佐々木の母国でもあるよ。

あの国には『水に流す』という言葉があるそうだ。

過去の事にいつまでもこだわっていてもしょうがない、

という意味らしい」

レイラは少しむっとしたような表情でそっぽを向く。

「俺の祖母はアメリカに移住する前は、中国の南京と言う町に住んでいた。

首都だった事もある大きな町だったらしいけれど、ある日そこに日本の軍隊が

侵攻して、住民の大部分を虐殺した。もちろん、

その中には祖母の家族も含まれていたよ」

「……」

レイラが再び王の方を向いた。

「たった一人、死体の山に紛れ込んで助かった祖母はそのまま着の身着のままで

上海に逃れ、そこで祖父と出逢ったそうだ」

「そしてアメリカに逃げ出した、と言うわけね。貴方の祖父母は恥知らずの上

卑怯者だわ。自分だけ安全な場所に逃れて、ぬくぬくと暮らして。天国で

さぞかし殺された家族が嘆いているでしょう」

吐き捨てるように言ったレイラの顔を、王はじっと見つめて静かに問いかけた。

「本当に、そう思う?」

「当たり前よ」

叫ぶようにレイラは答える。

「同じことをされた私は銃をとったわ」

「それが正義だと君は思っているんだね」

「そうよ。私の両親も、弟も、夫もそして子供も。人を殺したわけでも

物を盗んだわけでもない。ただ、イラクという国に暮らしていた。それだけで

ある日突然訳も判らないまま殺されたの。この国の人間に、正義の名のもとに。

これ以上酷い話がある?誰も家族を殺した奴らを罰してくれないのならば、

私がこの手でやるしかないじゃない」

「そう」

王は頷いた。

ほんの二時間前まで楽しそうに子供達に朗読劇を演じていた女性が、

今、目の前で怒りに満ちた表情で皮膚が白くなるほど銃を握り締めている。

「地下鉄を爆破して、今度はニューヨークに核爆弾を落とす……。

君はどれだけ人を殺めれば、満足するのかな?」

「……」

虚をつかれたような表情のレイラに、王はさらに問いかける。

「君が殺した人々も、殺人も窃盗もしたことがない善良な人々だったと思うよ。

そして、殺された人々の家族は、

かつての君と同じ思いを抱いているんじゃないかな」

何も悪い事をしていないのになぜ家族は殺された、と。

「最初に戦いを仕掛けたのはこの国よ!!」

何かを振り払うように激しく頭を振ってレイラは叫ぶ。

「私は孫に何十年もの間、家族を殺された話をすることしか出来なかった

弱虫とは違う」

「いや」

今度は王は静かに首を振った。

「俺の祖母は亡くなる少し前に、初めてこの話を家族に打ち明けたんだ。

俺も、祖母の息子である父も、いや、

一番長い時間を一緒に過ごしてきた祖父ですら

祖母が天涯孤独であった本当の理由をやっと知ることが出来た」

「……なんですって」

「子供の俺がいうのもなんだけど父は腕のいい料理人で、

何人もの弟子を抱えている。

その中には日本人もいるよ。そして、佐々木……俺の親友も日本人だ。

祖母が自分の体験をうらみがましく父や俺に話していたら、

恐らくこの関係が築かれる事はなかっただろう。

祖母は憎しみが次の世代に伝わらないように、一人で辛い思いを

抱えて生きてきた。それは多分、

テロを実行するより何倍も勇気ある行動だと俺は思う」

「詭弁だわ」

レイラの口調は相変わらず強く、吐き捨てるようだったが

その語尾は僅かに震えていた。

「貴方のお祖母さんは、黙っていただけで

心の中ではずっと復讐を夢見ていたかもしれないわ」

「かもしれないね。でもそれは誰にも判らないよ」

「中国人の祖父母を持っていても、貴方は心の底からこの国の人間よ!

自分の祖母の行動を赤の他人に押し付けようとするなんて」

自らに言い聞かせるように、レイラは言葉を紡いでいく。

「目の前で家族を、愛する人を殺された私の憎しみや悲しみは、

同じことを相手にやり返して初めて癒されるの。

いいえ、私だけじゃない。一度は祖国を捨てた同胞が私の考えに賛同し、

自爆テロに参加してくれたのがいい証拠よ。憎しみの連鎖が続くのは不幸かもしれない、

でも最初に戦争を仕掛けたのはこの国よ、矛はそちらが治めるべきでしょう」

「……百人以上を殺しても、癒されないのかい?」

独り言のように王が呟いたその瞬間、銃を握ったレイラの手が思い切りその頬を

張り飛ばした。


                 ※

「百人以上殺しても、癒されないのかい?」

王の呟きが、レイラの心の中の何かを激しく揺さぶった。

頭が怒りで真っ白になり、鈍い音に我にかえったとき、

そこには鉄枠だけになったベッドに

うつ伏せに倒れ伏す王医師の姿があった。

自分が彼を殴りつけたのだと気付くのに数秒かかった。

両手が縛られているために、思うように身を起こす事が出来ない

王医師の姿を見ていると心の中にある穴から冷たい風が吹き出してくるのを感じる。

家族を全て失った時に空いたそれは、いくらテロを重ねてもふさがることはない。

いや、それどころかテロを実行する度により深く、大きくなっている気がする。

そこからあふれ出る虚無感と憎しみは

いつしか感情の半分以上を占めるようになってしまった。

一体どの位人を殺せばこの穴はふさがるのだろうか?

ふと湧いた疑問に背筋が寒くなった。

なぜだ。今や眉一筋動かさず何百人も殺せると言うのに

私は何を恐れているのだろう。

「君は、テロに依存して家族を失った悲しみから目を背けているだけだと思うよ」

苦労してようやく上半身を起こした王医師の言葉に、無性に腹が立った。

激情に突き動かされるままに、もう一度医師の頬を思い切り殴りつける。

まるで人形のように、再び王医師は鉄枠だけのベッドに叩きつけられた。

「ニューヨークを更地にしても、君の怒りは収まらない。それどころか

益々激しくなるだけだ。君が自分の心と向き合わない限りね」

二度の殴打にもめげずに喋り続ける医師に、

ついにレイラは銃口をその額につきつけた。

「いい加減に黙りなさい。人質という立場を忘れたの?

そうだ、いい事を教えてあげましょうか。

私は教会でテロの被害者を必死で治療する

先生たちの姿をテレビで見て、次のテロをここでやろうと決めたのよ。

私の家族は、包帯一つ巻いてもらえずに死んでいった。不公平でしょう。

先生には自分が助けた人たちが、もう一度

目の前で死んでいく様をじっくりと見せてあげる

私達の悔しさと悲しさを思い知るがいいわ。さあ、おしゃべりは終わりよ。

次に何か喋ったら、起爆スイッチを押すわ」

レイラは倒れ伏したままの王医師の体を乱暴に引き起こすと、

その唇の端から流れ落ちる血を自らの舌でなめとり、凄惨な笑みを浮かべた。


続く








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