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第十六話

「佐々木先生」

午前中の診察を終え、一息つこうと廊下の隅の自販機にコインを

入れようとした佐々木は、掛けられた声に振り返った。

「ああ、ケネス刑事。でしたよね」

初老の黒人の刑事はええ、と頷いた。

「勤務中何度もすいません」

「いえ、今丁度一区切りついた所です」

佐々木が自販機からコーラの缶を取り出すと、ケネスも

投入口にコインを入れた。

「その後、アレックス君はいかがですか」

無言で顔を曇らせた佐々木に、ケネスは

「あまり、よくないようですね」

と続ける。

「ケネスさん達が来る前までは、少しづつではありますが

子供本来の明るさを取り戻してきていたんですが、

ここ数日はまた酷く何かに怯えるようになってしまって……」

「おや、我々はとんだ疫病神だったようですね。

マイクの質問の仕方は確かに早急すぎました」

「いえ、そんなつもりで言ったわけじゃないんです。

すいません、お気に障ったら謝ります」

その言葉にケネスは少し驚いたような表情になった。

「どうしたんですか?」

「そういえば、先生は日本人でしたね。英語が堪能なので

うっかり失念していました。その、正直に言うと怒鳴られる事を

想像していたのです」

「ああ、よく同僚にも言われるんですよ。なぜお前はすぐに

謝るのかって。謝っているつもりはないんですが」

「やはり、お国柄ですかね、ですが私は日本人のその、お

オクユ……」

「奥ゆかしい、ですか」

「そうそう、奥ゆかしい態度が嫌いではありませんよ。

長年自己主張ばかりする輩に囲まれていると、沖縄で過ごした

日々がひどく懐かしく感じます」

「そうですか」

佐々木は頷いて、よろしければ座りますかと傍らの長椅子を示した。

ケネスも頷いて二人は並んでそこに腰をおろし、

缶のプルタブを開けた。

「おっと、失礼」

多分落ちてくる時に缶が揺れたのだろう。吹きだしたコーラが

ケネスの手を濡らす。もう一方の手でポケットのハンケチを

引っ張り出した時、数枚の写真が床に木の葉のように散らばった。

それを、酷い傷痕の残る子供のように小さな手が拾い集める。

「ああ、すいません。先生」

「この写真は……ケネスさんの?」

「いいえ」

ケネスは首を振って、大分くたびれた写真を見る。

「地下鉄爆破テロ事件の主犯、レイラの潜伏先に残されていた

物です。多分家族の写真でしょう」

佐々木もまた、複雑そうな表情で写真を見つめた。

多分写真を取る、と言う事自体イラクでは特別なのだろう。

よそ行きらしい服を着て、少し緊張気味の笑顔を浮かべているごく普通の家族

そして、まだ小さな子供と軍服を着た男性のツーショット。

「俺はあの日、酷いけが人や無残な姿で息を引き取った人を

嫌と言うほど見ました」

コーラの缶を両手で包んで、佐々木は呟くように言った。

「俺はケネスさんに説明されるまで、こんな酷い事が出来る人間は

俺達とは別世界の、永久に理解できない精神の持ち主だと思っていました」

「そうあってくれた方が、我々はまだ救われる」

やけどの跡のある褐色の指先が、写真の破れた個所を丁寧に貼り合わせてある

テープをなぞる。

「佐々木先生、テロの後レイラは下町の託児所で働いていました。

赤ん坊の世話が上手で、子供達にも慕われていたと説明されましたよ」

「……そんな人が、どうして」

「彼女はきっと国にいたころは、何処にでもいる善良で平凡な

妻であり、母であったのでしょう。恐らく二度の戦争が

彼女をテロリストと言う名のモンスターにしてしまった。

そして、正義の名の元に戦争を仕掛けたのはこの国ですよ」

「だとすれば、俺にも責任の一端があるのかもしれない」

ケネスの苦しげな表情をしばらく見つめた後、佐々木は言った。

「先生が、どうして?」

「同時多発テロの後、イラクに宣戦布告をしたこの国に真っ先に

追従したのは、日本だったんですよ」

そしてそれは、大した議論もされずまるで心太のようにするりと

国会を通過してしまった。半世紀前自国が支持を表明した大国に

焼け野原にされたことなど、忘れ果ててしまったかのように。

「正義って何なんですかね」

「私にもよく判りませんが」

とケネスは首を振った。

「ただこれだけは言えます、自ら正義を叫ぶ奴は碌な奴がいない。

レイラも、この国も今でも無言で叫んでいますよ己の正義を」

人は、自分が正義と確信した時最も残酷になる。

そう書きしるしたのは誰だっただろう。

「……なるほど」

佐々木が淡い苦笑を浮かべた時、ミナが息せききって階段を駆け下りてきた。

「ミナ、どうしたの?」

「兵衛、王を見なかった?」

いや、と佐々木は首を振る。

「朝のミーティング以来見てないよ。エミリーさんと

ランチにでも言ってるのかな」

と、佐々木の白衣のポケットが震えだした。

「誰からだろう、ああ、噂をすれば王だよ」

なぜか大きく胸をなでおろしたミナに内心で首をかしげながら

佐々木は院内PHSの通話ボタンを押した。

「もしもし、王、どこにいる?何の用だ?」

「佐々木先生で、よろしいかしら」

耳に忍び込んできた聞き覚えのある女性の声に佐々木は面食らった。

「エミリーさん?」

「レイラと呼んで下さるかしら。先生、この名前はよくご存じよね」

手と足の先がゆっくりと冷たくなっていく。

「電池がもったいないから、用件だけ伝えるわね。警察は呼んでくださって

けっこうよ。まず、王医師は私と一緒にいるわ、ただし人質としてだけど」

 PHSを耳にあてたまま蒼白になった佐々木を、ケネスは怪訝そうな顔で

そしてミナは今にも泣き出しそうな顔で見つめた。


続く




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