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第十一話

ごめん、久代小母さん。色々あってずっと携帯電話の電源を切っていたんだ。

うん、俺は大丈夫だよ。ちゃんと食べているから。じゃあ、また電話する」

 バスタオルを体に巻きつけただけの姿でミナが

バスルームから出てきたのを見て

佐々木はベッドの上で電話を切った。

「日本の小母さん?」

「うん、日本でテロの様子が報道された時に、

どうも俺が映り込んでいたみたいで……寒くない?そんな恰好で」

「大丈夫。その映像、カリフォルニアでも流れたわよ。教会の中だったかしら、

酷く怖い顔でレポーターに日本語で何か叫んでいたわね」

「そうだったかな、覚えてない」

あの時はとにかく目の前の被害者を治療する事で手一杯で、

その他の事に気を配る余裕など全くなかった。

「でしょうね。無理もないわ、あんな酷いテロだったんだもの。そうだ

日本からあなた宛てに、病院のメールボックスに届いていた

Eメールとそれに添付していた書類。

印刷をしてきたわ。ツボウチホスピタルからよ、知っている?」

とミナはスーツケースからバインダーを取りだす。

「うん、俺がインターンの時に研修をしていた病院だよ。

ああ、片先生からだ」

すぐ隣に腰を下ろしたミナの首筋や鎖骨の辺りに、

先ほどまでの行為の名残を見つけて

佐々木は気恥ずかしさを覚えながら、バインダーを開いた。

『佐々木、お前カリフォルニアにいるんじゃなかったのか?それともへまをやって

病院を追い出されてニューヨークまで流れてきたのか?まあ、事情はどうあれ

TVを見ていて驚いたよ、精神科医のお前があんな場所にいたんだから。ちらりとしか

写らなかったが、外傷外科の手技は衰えていないな。

きっと指導医の教育が素晴らしかったんだ、

と冗談はさておき、H大震災時の小児のPTSD治療の方法と

その後の経過をまとめた資料を送る。何かの役に立てば幸いだ。

佐々木、いくら優秀な医者でも出来ることには限りがある、

余り自分を追い詰めるな。そして、何でもいいから食べられるモノを食べておけ。

片丈一郎』

口が悪すぎると評判だった指導医の言葉そのままの文面に、佐々木は苦笑しつつも

胸の奥が熱くなる。真っ暗な長いトンネルをとぼとぼと歩き続け、

ようやく出口の明かりが見えた時こんな気持ちになるのかもしれない。

「何て書いてあるの?」

「何でもいいから食べろってさ」

「貴方の食の細さは有名なのね」

 ミナの白くたおやかな手が、そっと佐々木の頬をなでる。

「今も碌に食べてないんでしょ。大分痩せたわよ、顔色も悪いし」

「ごめん、食欲も食べる暇もなくて。ミナはその、少しふっくらした?」

その言葉にミナは顔を赤くして、両手で自分の肩を抱きしめた。

「貴方のせいよ。ちっとも連絡をくれないから、イライラして……

一番手っ取り早いストレス解消法に奔ったのよ。三キロ、春まで

院長のドーナツから逃げ回らなきゃ」

「ごめんよ」

今度は佐々木がミナの頬を優しく撫でる。

「実は、怖かったんだ。君の声を聞いたら、

全部を放り出して空港に行ってしまいそうな気がして」

「そうだったの、来て良かったわ」

「ああ」

頷いて佐々木は恋人に口づけをする。

「夢なら、……覚めないで欲しい」

「夢じゃないわ。私は確かに今、貴方の隣にいるのよ」

 少しふくよかさを増した身体が佐々木を抱きしめ、口づけを続けながら

二人はベッドに倒れ込んだ。


                   ※


本当にこの国の男は単純だ。

化粧室の鏡に、長い時間をかけて練習した

男の保護欲をかき立てる甘い笑みを浮かべた自分を映しながらレイラは思う。

悲鳴を上げて抱きつく。ただそれだけの事をしただけなのに、

どうして初対面の自分の言動を全て信じてしまうのだろう。

さすが、映像技術だけは素晴らしい薄っぺらい勧善懲悪の映画を量産する国だ。

今、扉の向こうにいる王陰月と名乗った男の顔を、

何処かで見た事があると思っていたらテロの被害者の治療のために、

カリフォルニアの病院から派遣された精神科医だと説明されて、

合点がいった。そうだ、テロの翌日、

治療を受ける被害者達の様子を伝えたニュースに彼が映っていたのだ。

あれを見て、私は次のテロの目標を決めた。

故国では皆この百分の一の治療も受けられずに、死んでいったのだ。

改めて心に湧き上がるこの国への憎しみを、

甘い笑みの裏側に押し込めてニュースの事を話すと

王は

「患者の治療が忙しくて、テレビなんかつける暇もなかった」

と答えた。それは益々好都合だ。

ならば、自分の昔の写真もきっと見てはいないだろう。

底抜けに優しくて単純な王医師は、本当にレイラを抱いて靴屋まで歩いてくれた。

さらに靴だけでなく、その格好じゃ寒いだろうと暖かな冬服一式まで買ってくれた上に

君さえよければつきあって、と席の全てが個室になっている

高級なチャイニーズレストランに案内された。

ホテルの部屋に連れ込まれるかと思っていたのに、

女性の扱いに手慣れている割には以外と身持ちが固い男らしい。

その事にレイラはほっと胸をなでおろした。

復讐を誓いハマスに入って以来、男を誘い、身を任せ、

油断と信頼を勝ち取った事も一度や二度ではない。

だが、それに嫌悪感を感じないと言えば嘘になる

故国では、こんな風に夫以外に笑いかけることすらも

不貞と教えられていたのだから。

貴方が紳士でよかったわ、王先生。

胸中で礼をいい、今まで食べたことのない美味な料理を口に運びながら、

レイラはそのお返しに二年前、この国に密入国した時から

丹念に作り上げてきた「エミリー」の人生を遠慮がちに語った。

父はこの国が「悪の枢軸」と名指しした独裁政権国家の出身だが、

母はこの国の人間だということ、

一九九三年と二〇〇三年、戦争が繰り返される度に周囲の目が厳しくなり、

差別されるようになった事。

「それでも、父と母と三人で肩を寄せ合って暮らしていたんですが、

昨年のハリケーンの水害で二人共亡くなりました」

と声を詰まらせると、王は痛ましげな表情で大変だったね。と呟くように言った。

どうやら微塵も疑っていないらしい。それを確信してレイラはさらに語る。

「政府から弔問金がでたので、思い切って

故郷を出てシカゴの演劇学校に入ったんです。

俳優になるのが昔からの夢だったから」

「じゃあ、どうしてニューヨークに?」

「学校がクリスマス休暇に入ったので、

ブロードウエイのミュージカルを勉強のために見に来たんです

でも、テロのせいでミュージカルどころか帰らなくなってしまって」

テロから二週間たっても、まだニューヨークの空港は

旅行者に厳しい使用制限をしいたままだ。

「そう」

相変わらず同じ表情で深くうなずいた王に、レイラは心の中で高らかに嘲笑した。

精神科医だと言うが、この程度の嘘を見抜けないのなら藪医者だろう。

だが、この医者は使える。もっと同情を得ようと再度口を開きかけた時

「俺に何かできる事はないかな」

王はレイラが引き出したかった言葉をあっさりと口にした。

人を信じて疑う事のないその善良さに憐れみすら覚えながら、レイラは遠慮がちに

病院でボランティアを募集してないかと尋ねた。

「ボランティア?」

「ええ、あのテロで沢山の子供達が怪我をして入院していると聞いています

その子たちを慰めてあげたくて。一日中友達のアパートにいるのも窮屈だし

半分とはいえ、私もテロリストと同じ民族の血が流れています。何が償いがしたくて」

「君が責任を感じる事でもないのに」

 そう言う王に、レイラは遠慮がちにお願いしますと何度も言葉を重ねた。

ついに彼が首を縦に振るまで。

「お礼を言うわ。優しくて単純で愚かな王先生」

 今度は口に出して呟くと、鏡の中の自分にどうしようもない嫌悪感が湧いた。

 大いなる目的があるとはいえ、自分は何時の間にこんな娼婦のような笑みを自然に

浮かべられるようになってしまったのだろう。天国の夫が見たらさぞかし嘆くだろうに。

 自分への嫌悪感はすぐにこの国への憎しみに変わる。

 まだ足りない、もっと、もっと命を奪い取れ。心の中に空いた虚ろな穴から囁く声に

レイラは大きくうなずいた。あたりまえだ。

私達の怒りと悲しみはこんな程度では癒されはしない。

 火のような負の感情を笑顔の裏に閉じ込めて、

エミリーとなったレイラは化粧室を出て、王が待つ個室へと戻った。










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