公爵家へのご挨拶
ブランシェの実家であるルサージュ公爵家。
フェーブル領の南200km程度に位置する領都ラマンタンを中心として、広大な面積を所有している。
その領土は日本の紀伊半島に匹敵する。
王国内では第5位の勢力を誇る。
先祖は一介の騎士に過ぎなかったが、代を重ねるごとに叙爵を重ね、現当主の代で公爵位にまで上り詰めた。
その昇進の過程は、騎士から男爵、子爵、伯爵、侯爵を経て、ついに公爵となった。
王国の公爵位には2種類存在する。
一つ目はルブラン公爵。
これは王家の血縁者に与えられる称号であり、王家の親類派閥を増やす政治的意図が強い。
主に王の兄弟や従兄弟などが叙任される。
二つ目はドュック公爵。
これは卓越した功績を残した者に与えられる称号で、貴族階級の最高位に位置する。
軍事、政治、経済など、様々な分野での功績が評価される。
この2種類の公爵位を同じ「公爵」という名称で呼ぶのは、両者の間に差別が生じないようにするためである。
これにより、王家と有力貴族の間での不必要な対立や軋轢を防いでいる。
ルサージュ公爵家の王国への貢献は、主に二つの分野で顕著である。
第一に、軍事的功績。
代々のルサージュ家当主は、王国屈指の魔導士としての力量を持つ。
現公爵も、北方異民族の侵攻を撃退した功績や、海賊討伐での活躍など、数々の軍事的成果を上げている。
特に魔導士としての能力は、王国内でも五指に入るとされる。
第二に、商業的功績。
ルサージュ領の第2都市であるリーベル港湾都市は、王国最大の貿易拠点の一つとなっている。
東方諸国からの香辛料、南方からの絹織物、西方からの宝石類など、海外からの珍しい産品を大量に輸入し、莫大な富を築き上げている。
その富を元手に、各地の有力者や商人たちへの融資も行っており、時には王国の戦費すら一手に引き受けるほどの経済力を持つ。
現在の商業的成功は、ルサージュ家第1執事のアルフォンスの手腕によるところが大きい。
彼は元々大商人の三男として生まれ、父から受け継いだ商才を活かし、かつては一地方都市に過ぎなかったリーベルを、王国有数の国際貿易都市へと成長させた。
特に海外商人とのネットワーク作りと、効率的な物流システムの構築に優れた手腕を発揮している。
さて、ブランシェ救助の報は即座に公爵邸へと伝えられた。
ルサージュ公爵は、その報を受けてから3日後に来領した。
王都での重要な公務や会議を全て延期または代理に任せての来訪であった。
公爵夫妻は、精鋭の騎士団50名を護衛として従えていた。
騎士たちは全員が魔導士としての素養も持ち合わせており、万一の事態に備えていた。
館に到着するや否や、親子の涙ながらの対面となった。
通常、貴族は他人の前で感情を表に出すことを良しとしない。
しかし、公務を投げ打って飛ぶように来領したこと、そして思わず流れ出た涙からは、彼らのブランシェに対する深い愛情が垣間見えた。
公爵は事の経緯を次のように説明した。
「今回の件は、まるで準備されていたかのように、あっという間にブランシェへの包囲網が敷かれた。我々には防御する暇もなく、娘を逃がすので精一杯だった」
と、事態の急展開ぶりを語った。
「やむを得ず、ブランシェを見かけ上廃嫡し、公爵家から追放して修道院に送り込んだ。しかし、それでもなお執拗な追跡があったことには驚愕を禁じ得なかった」
つまり、これは周到に計画された追放劇だったのである。
「目的の一つは、明らかに私の失脚を狙ったものだ」
王国第1王妃の実家であるバレール侯爵家は大規模な商業組織も持っている。
彼らは特に海外貿易で莫大な利益を上げており、ルサージュ公爵家が関わっている市場の独占を狙っているのだ。
さらに、ルサージュ家が各地の有力者に貸し付けてきた莫大な資金。
その債務を帳消しにしたいと考える勢力が数多く存在する。
その中には王家も含まれているという。
また、一代で公爵にまで上り詰めた成り上がり者として、旧来の貴族たちから侮蔑の目で見られることも多かった。
「ブランシェが国母の座に就けば、必然的に公爵家の地位は上昇する。それを快く思わない勢力が多いのだ」
それは理解できる説明だった。
「しかし、それらの理由を考慮に入れても、今回のブランシェ追放劇には不可解な点が数多く残る」
その指摘にも同意せざるを得なかった。
第一王子が、多くの貴族や外国使節が集う舞踏会という公の場で、婚約破棄を一方的に宣言し婚約者を追放するなど、通常ではあり得ない行為である。
外交上の配慮も欠いており、王家の体面を著しく損なう悪手と言わざるを得ない。
様々な情報を得た俺は、ひとまずブランシェを女神教会で保護することを提案し、了承を得た。
公爵夫妻は深い謝意を示して帰っていったが、俺はその後しばらく思索に耽った。
ルサージュ公爵の人物像について。
一目見た瞬間から、その卓越した風格に圧倒された。
俺は前世で中規模企業の経営者として、様々な人物と交渉を重ねてきた経験がある。
頂点に立つ人物には、型破りな奇人や、常識を超越した怪人が多い。
しかし、その一方で、真に抜きん出た人格者も少なくない。
ルサージュ公爵は明らかに後者に属する。
その身から発する威厳に満ちたオーラは、まさに王者のそれだった。
人の上に立つ者が持つべき資質を体現したような存在感である。
そのオーラを目の当たりにした瞬間、俺は公爵に強く惹かれた。
実は、俺自身も領地経営を進める中で、一つの限界を感じ始めていた。
狭小な領地内での発展だけでは、将来的な成長に限界がある。
仮に王国全体が敵対的な姿勢を取った場合、対抗する術がない。
いかに俺たちの軍事力が優れていようと、人口わずか6万人の小領では、数千万の人口を擁する王国全体には太刀打ちできない。
そのため、他領との同盟関係の構築が不可欠だった。
つまり、他の支配者層との密接な関係作りが必要不可欠なのである。
これまでは漠然と、辺境伯が潜在的な同盟者になり得ると考えていた。
しかし今回、さらに理想的な協力者と出会えたのである。
俺は公爵が領地を去った後、黒猫に徹底的な調査を依頼した。
公爵としての統治能力。
軍隊の指揮能力。
領民からの評価。
全ての項目で素晴らしい結果が得られた。
「(伊達にブランシェ様の父親であるわけではありませんね)」
黒猫による調査でも、最高ランクの評価が下された。
夫人も、賢明な貴婦人として高い評価を得ていることも判明した。
俺はこれまで貴族との関わりを意図的に避けてきた。
しかし、ここで決断を下すべき時が来たと判断した。
そろそろ貴族の中から同盟者を作る時期に来ている。
俺自身もそれなりの地位と実力を築き上げてきたのだから。
まず最初に、ブランシェを通じて根回しを行った。
公爵が女神教会の信徒となる可能性について打診してもらったのである。
同時に、黒猫の特殊な能力を使って、信徒契約を結ぶ資格があるかどうかの確認も怠らなかった。
結果は両方とも良好だった。
公爵は以前から女神教会に関心を持っていた。
というより、最近の女神教会の急速な発展を目の当たりにして、関心を持たない者の方が少ないだろう。
黒猫による事前確認が必要だった理由は、もし信徒契約の締結に失敗した場合、取り返しのつかない事態になりかねないからだ。
同盟者として迎えようとした相手が、逆に敵対者となってしまう可能性もある。
万全の準備を整えてから契約に臨む必要があった。
ただし、最大の障壁は日々の清掃活動である。
信徒には毎日の清掃活動が義務付けられている。
この点についても、ブランシェから丁寧な説明がなされ、公爵夫妻も難色を示しながらも最終的に納得してくれた。
日本人の感覚からすれば「たかが掃除」と思われるかもしれない。
しかし、この王国において、それは極めて高いハードルとなる。
清掃は下層民の仕事という認識が強く、高貴な身分の者が清掃をすることは、あってはならないこととされている。
そういった価値観が幼少期から徹底的に教え込まれているのだ。
◇
「君の契約魔法には本当に助けられた。少なくとも、我が館に潜入していた不審人物を容易に発見できた」
女神教会の信徒契約を公爵邸の使用人全員にも結んでもらった。
すると、数名が契約を結べないことが判明。
調査の結果、彼らは敵対勢力のスパイであることが明らかとなった。
「お役に立てて光栄です。私も自領での人物評価に大いに活用させていただいております」
「ところで、どの程度の信用度判定が可能なのかね?」
「あくまでも参考程度の判断材料です。真の信頼関係を築くには、やはり時間をかけた交流が不可欠です」
「なるほど。その言葉を聞いて安心したよ。もし魔法だけで全てが決まってしまうのであれば、我々が長年の経験で培ってきた人物を見る目など、無意味になってしまう」
「その通りです。ただ、そのような見識をお持ちなのは、閣下のような豊富な経験をお持ちの方だけです。私のような若輩者は、魔法契約という補助具がなければ、適切な人物判断もままなりません」
「いやいや、それは謙遜が過ぎるだろう。君はまだ14歳だったかな? 成人年齢にも達していないが、その精神年齢は驚くほど高いように見受けられる」
「過分なお言葉、恐縮です。しかし、それは私の実力以上の評価というものです」
実際のところ、俺の精神年齢は30代なのだが。
それなりの社会人経験もある。
ただし、レナルドという少年の精神にも多少は影響を受けているし、元々俺自身にも幼い部分が残っていることは認めざるを得ない。




