婚約者エレーヌ
私は日本名を佐橋音羽といった。
短大出たてのOL。
そこそこ大きな企業に勤めていた。
楽しい学生時代とは全く違う。
毎日が無味乾燥した灰色の世界だった。
帰宅後に深夜まで没頭するゲームだけが私の救いだった。
私はいつも願っていた。
私の愛するゲームの世界への転生を。
そして。
目が覚めたらそこは見慣れない世界だった。
いや、違う。
この世界を私は見慣れている。
いつもモニターの中でのみ存在する世界。
私は迷うこと無く理解した。
ここはシャルマンオブフォーチュン。
略称COF。
私がほぼパーフェクト攻略した乙女ゲーム。
恋愛シミュレーションゲームの世界だ!
乙女ゲームなのに内容がダークなのよね。
人気はあんまりなかった。
でも、私は逆にのめりこんだ。
ダークな面にはまったわけ。
そんなリアルCOFに転生した私の名はエレーヌ。
主人公の名前!
私はCOFの主人公に転生した!
驚きと喜びが半分。
だけど、すぐに気持ちが落ち着いた。
この世界は本来、私がいるべき世界なのだ。
その世界の主人公に私は転生した。
それはごくごく自然なことであった。
この世界での私の第一の武器は『蠱惑』。
人を私の虜とし、思うままに操るスキル。
だって、私は可愛いから!
私は完璧な美少女。
それをスキルにしたのが蠱惑。
しかも、蠱惑は検知できない。
この世界の人は自分のステータスをチェックできる。
でも、蠱惑はステータスに記載されない。
私の蠱惑は状態異常じゃないからだ。
あくまで、自然に私に惹かれているということ。
そこがこの蠱惑スキルの強力なところね。
第二の武器は『回復魔法』。
いまだ初級ではある。
が、これは後年、上級回復魔法にまで進化する。
聖女、現人女神様としてこの世界を照らし出す。
でも、いまは内緒。
だって、回復魔法が使えるなんて知られたらやばい。
すぐに教会がすっ飛んでくるからね。
そしてら私は回復マシンとして一生飼い殺し。
そんなのまっぴらごめん。
私は私のタイミングで回復魔法を売り出す。
この世界は私のためにある。
この世界の住民は全て私を中心に回る。
蠱惑と回復魔法。
私にとって非常にふさわしいスキルだ。
これらで私はのし上がる。
さて、目が覚めた場所は孤児院。
本日は領主様の孤児院訪問日だった。
「おや、この子は?」
私は領主である子爵に蠱惑を使った。
「子爵閣下さまぁ、はじめましてですぅ」
この甘さをたっぷり含んだ私の必殺悩殺ボイス。
恥ずかしそうに喋るのがポイント。
蠱惑と言っても、恋愛感情だけじゃない。
様々な好意の感情を与えることができる。
そして私の願う行動をとらせる、それが蠱惑。
「おお、可愛いじゃないか! エレーヌというのか。今年はこの子を養子とするか」
チョロいわ。
子爵は毎年1人、孤児院から養子をとる。
これはCOFの最初のイベントだ。
私の蠱惑の使い方を学ぶ、チュートリアルだった。
重要な第二のイベントがレナルドとの婚約。
彼はフェーブル伯爵家長男である。
レナルドは重要な登場人物だ。
容姿も性格も醜い。
この豚男はやる気を出して成長すると魔王になる。
ゲームの裏ボスである
討伐が非常に難しい。
討伐したとしても王国が荒廃する。
それはどちらかというとバッドエンドだ。
だから、極力そのルートをとりたくない。
正解は、火炙りルートを目指すこと。
一揆を起こしてレナルドを処刑するのだ。
これが確実である。
ああ、豚男の悲鳴が聞こえてくるわ。
ゲームではいつもゾクゾクしちゃう。
あの火炙りの瞬間。
これが私の火炙りルートを選ぶ一番の理由よ。
豚男は本当に豚だった。
年齢は一個下の九歳。
醜く太りまだ子供なのに脂ぎった顔、鈍重な動き。
ブヒブヒと言わないのが不思議なくらいだ。
あ、レナルドを豚というのは豚さんに失礼だろう。
豚は綺麗好きの可愛いペットでもあるのだから。
だから、醜い豚とよぶことにする。
豚さんが醜いのではない。
豚さんのうち醜い固体、という意味ね。
まあ、そんな気持ちはおくびにも出さない。
それ以前に蠱惑でクズ男を落としている。
私としては全く問題ないんだけど。
この婚約にはいろいろな思惑が絡んでいる。
子爵的には伯爵家のドル箱魔鋼鉱山を奪いたい。
子爵と伯爵は隣同士。
お互いの領境がその山を通っていた。
そして、魔鋼鉱山の所有権を主張し合っていた。
魔鋼鉱山は魔導具を作るための絶対に必要な材料。
この世界では金よりも貴重だった。
当然、伯爵家の経済力を一気に引き上げていた。
子爵も所有権を主張している。
でも、伯爵は強力な魔導師だった。
外見はレナルドの父親らしく醜い豚なのに。
王国ではこの手の紛争は腕力で決まる。
子爵はシシャモのような貧相な体つき。
武力が強いタイプではなかった。
だから、搦手で私を伯爵家に送り込んだのだ。
勿論、これは私が初期から想定していた。
子爵をそのように誘導したのだ。
私としても醜い豚家に輿入れする気は全くない。
目的は三つ。
魔鋼鉱山を手に入れることは当然として、
魔鋼鉱山の隠し部屋にある神器を探り当てること。
伯爵家の地下室にある古代魔導具と天界言語の巻物を取得すること。
これらはこのゲームの攻略上、非常に重要なアイテムだ。
取れなくてもゲームの進行を妨げるわけじゃない。
でも、ハッピーエンド達成は少し難しくなる。
◇
さて、転生してから三年後。
順調に推移している。
この世界に不満はない。
といいたいところだけど、食事がマズイ。
ここ、乙女ゲームの世界よね?
中世風な側を持つ現代日本の世界だと思ってたのに。
かなりガチで中世。
固い黒パンとか臭いお肉とか。
まあ、慣れたけど。
さて、本日はフィルマン辺境伯邸の懇親会。
辺境伯の寄り子の子弟が集まる日だ。
十歳から十三歳までの四年間、四回出席する。
初めての出席で勇者と出会うことになる。
勇者は辺境伯の養子である。
彼は正義厨でプライドが高く曲がったことが嫌い。
この彼も当然ゲームの重要人物だ。
レナルドの対抗馬となるのだ。
ハッピールートではフェーブル領で一揆を先導。
伯爵一家を火炙りの刑に。
魔王ルートでは、勇者として魔王討伐に向かうことになる。
初めてあったときに私は勇者を魅了した。
これは恋愛感情を植え付けるものだ。
そして、フェーブル領の酷薄さを刷り込む。
事実であり、あっさりとディオンは義憤を巻き起こした。
そして、フェーブル家を代表する醜い豚、レナルドを目の当たりにして厳しい対抗心を燃やすことになる。
それはいかにして現れたか。
レナルドのちょっとした所作への小さなダメ出しの連続だった。
まあ、端からみていも非常にうざい。
レオナルドじゃなくても怒るわ。
ディオンとしてはレナルドのため、そして領民のための当然の忠告のつもりだ。
しかし子供らしく衣も着せぬ苛烈な言葉になり、やはり当然のように諍いとなる。
レナルドは伯爵家長男という肩書を除けば単なるクズ。
魔力も腕力も頭脳も貧相。
対してディオンは勇者候補だ。
魔力も腕力も頭脳もレナルドよりも数段上。
喧嘩をしてもまるで相手にならない。
初めての喧嘩も、二年目もディオンの圧勝だった。
三年目は喧嘩ではなかった。
決闘だった。
きっかけは私の四回目の出席となる本日の懇親会。
私がレナルドとの婚約破棄を宣言したことだ。
そもそも、婚約が私には非常に苦痛だった。
私は世界一の美少女だ。
なのに、こんな醜い豚と婚約をしなくちゃいけないの?
それでも私は我慢した。
レナルドと婚約をする目的にある程度の目処がつくまで。
私は衆目の中、レナルドとの婚約をこっぴどく破棄した。
ああ、なんという快感!
驚愕の表情を浮かべる豚男の顔!
さあ、ブヒブヒ泣いて請いなさい!
婚約を破棄しないでと。
撤回しないけど。
そのことをディオンも熱烈に支持。
かっとなったレナルドが決闘を宣言したのだ。
ああ、私のために争わないで♪
勿論、結果はわかっている。
決闘とは言うものの、王国式決闘は生命を賭さない。
あくまで、相手が戦意を喪失するまで戦う。
目的は徹底的なコンプレックスを抱かせること。
レナルドの火炙りルートでは欠かせない。
下手にレナルドに対抗心を燃やされると困ったことになる。
レナルドは伯爵家の長男だけあって潜在能力はなかなかのものがある。
努力を重ねられて実力をつけられると魔王ルートになってしまう。
これは避けなくちゃいけない。
徹底してレナルドに劣等感を植え付け、やる気をなくさせること。
クズ中のクズに貶めること。
それは確かに成功していたはずだ。
「負けを認める。すまなかった」
それはディオンとレナルドの決闘で
勝者の決定した直後のことだ。
レナルドの口から信じられない言葉が。
「え?」
ディオンは驚愕の表情を見せた。
「「「え?」」」
ジャイニーとスキニーというレナルドの腰巾着も同様だ。
それ以上に私が驚いた。
あの気位ばかり高いクズ、レナルドが謝罪の言葉を口にしたのだ。
私はあのクズの謝罪の言葉を初めて聞いた。
腰巾着の表情から彼らも生まれて初めて見たのかもしれない。
私達は唖然としていた。
レナルドは1人で辺境伯邸の中に消えていった。
次の日、私はイヤイヤながらレナルドのもとに急いだ。
レナルドの様子をみる必要がある。
「おはようございますぅ」
偶然出くわしたかのような顔をして挨拶をした。
完璧だ。
どんな男もこれでコロリと顔を破顔させる。
ところが、醜い豚は私を怪訝《けげn》な顔で一瞥しやがった。
「(え、なんで。まさか、蠱惑が解けてる?)」
「大丈夫ですかぁ?」
私はいつものように甘ったるい声で
優しくレナルドに声をかけた。
私の必殺スィート話法を畳み掛けた。
どうだ! これで心もとろけただろ!
私は癒やしを与える世界一の美少女だから。
「ああ、ありがとう。まだちょっと頭がフラフラしていて」
ありがとう?
再び、レナルドの口から聞いたことのない言葉が。
婚約を破棄したばかりの私に対して?
私は面食らって、蠱惑を何度もかけ直した。
絶対におかしい。
レナルドは婚約破棄で嫉妬に狂っているはずだ。
頭を叩かれてピントがはずれてしまったのか。
一瞥したあと、レナルドは私を一度も見なかった。
それどころか、なんだか嫌そうな顔をしている。
「なんだっていうの……」
私には猛烈な違和感が襲っていた。
こんな事態、ゲームでは一度も経験していない。
レナルドを私にぞっこんにさせ、ディオンとの三角関係で嫉妬心を燃えさせ、ディオンと衝突させる。
そして何度も何度もレナルドに敗北を植え付け、そのプライドをへし折り、さらなるクズに貶めていく。
それが『正しい』作戦のはずだ。




