とある貴族子弟との揉め事
俺達は早朝、まだ日が昇りきらない薄暗い時間帯に宿舎を出発した。
俺は身分的には馬車で向かう資格があるのだが、当然のように他の受験生たちと同じように徒歩で学院に向かうことにした。
学生街には、この重要な受験のために用意された宿舎が立ち並んでいる。
普段は閑散としているこの街も、この季節だけは特別だ。
王国の隅々から、数多の人々が集まってくるのだ。
集まってくる人々は、受験に挑む生徒だけではない。
家族や友人など、受験生を応援する人々も大勢加わる。
そのため、この学生街は年に一度の受験日のためだけに存在する特別な場所だと言っても過言ではないだろう。
これだけの規模の宿舎群が民間の経営であるわけではない。
多くの建物が学院直轄の施設として管理・運営されているのだ。
莫大な建設費用から日々の維持費に至るまで、学院の負担となっているのである。
「昨夜の夕食、まずかったよなぁ」
ジャイニーが不満げに呟いた。
「受験前夜だっていうのに、あれはないですよね」
スキニーが同意するように頷く。
「いやいや、俺達の飯って昔はあれより酷かっただろ?」
俺が昔を思い出すように言う。
「まあ、そうなんだけど。もうだめだよ。舌が肥えちまって。あの頃には戻れない」
「ですね。宿舎の料理だって王国基準では決して悪いもんじゃないって話しですけど。領の飯はレベルが高すぎるんですよね」
「結局、全員完食できなかったよな」
「そうだぜ。おまえら、贅沢すぎ」
「そういうジャイニーなんか一口食べて放り投げてたじゃないか」
「お? そうだったか?」
「何とぼけてんだよ。みんな見てたっての」
「まあまあ。結局、坊っちゃんが夕食を用意することになったんだから」
「まあ、予想はしてたけどな。夕食は事前に領で用意してたし。往復は転移魔法陣で一瞬だからな」
「朝飯なんか、宿舎レストランに行きさえしなかったね」
「もう、坊っちゃんの配給に頼りっきり」
「飯もあれだけど、もう一つ、領と全然違うのがあるよな」
「そうだぜ」
「ああ。この臭い」
「ひどいもんだな」
「これも昔の領都なんか悪臭で目がバシバシしてたけどな」
「今の領都からは想像できないけど、しっかり思い出したぜ」
「一つの原因が……ほら、あれだよ」
ちょうど、豪華な馬車が俺達の横をすぎていった。
馬からはポトポトとあれが垂らし放題であった。
「バケツとか準備しとけばいいのにな」
「ホントだぜ。民度が低そうな馬車だよな」
「バカ。指を指すんじゃねえぞ。あれはどこぞやの高位貴族様だぞ」
などとワイワイしていたら、俺達を通り過ぎていった馬車が急に止まった。
そして、顔を真赤にしたガキが一人馬車から降りてきた。
俺達と同年ぐらいだ。受験生だろう。
高価な服を着こなしているが、その表情は醜く歪んでいた。
「くそったれ、おまえら俺の馬車を馬鹿にしてたろ!」
くそったれはおまえの馬だっての。
そう、全員が思ったのだが、それにしても口の悪いお貴族様だ。
「(へへへ、ジャイニー、おまえの兄弟か?)」
「(馬鹿言うなよ。俺様はもっと丁寧だっての)」
「(どこがだよ)」
「ああ! そうやってクスクス笑って! 不敬であるぞ!」
ガキは更に顔を真っ赤にして叫んだ。
「ああ、すまなかった。別にあんたのことを馬鹿にする意図はないんだ。不快に思ったのなら、この通り謝罪する」
俺は丁寧に謝罪の言葉を述べた。
「なんだ、その口調は! 庶民のくせに!」
「何言ってるんだ? 俺は伯爵家のものだぞ?」
「なんだと? じゃあ、なんで歩いているんだ? 馬車もない貧乏領ということか?」
「別に領の他の受験生たちと行動をともにしていただけだ。おまえこそ、俺達を馬鹿にしてるのか?」
「ふざけろ! 貧乏人め!」
ああ、沸点の低いガキが。
俺もムッとしたので、ついついそのガキを睨んでしまった。
威圧スキルを発動したわけじゃないんだが、
「む? なんだ、その殺気は……あああ」
ガキの顔から血の気が引いていく。
「うわっ、こいつ立ったまま気絶したぞ!」
「坊っちゃん、威圧スキルはイカンだろ!」
「使ってねーよ! ただ睨んだだけだってーの」
「坊ちゃま、それでも坊ちゃまの睨みは凄みがあるんですから気を付けてくださいよ。僕たちはなれてるからスルーできますけど、普通はああなりますよ」
うーむ。
いや、本当にちょっと睨んだだけなんだが。
ムッとしたことは認める。
「しかたねーな。ほれ」
俺は手を伸ばした。
馬車から慌てて御者が降りてこようとしたので、俺は覚醒?スキルを放った。
ごく微量の雷魔法をこのクソガキに放ったのだ。
「うわっ!」
ガキは飛び上がるように目を覚ました。
「おまえ、ちゃんと寝てなかったんじゃないか? 道の真ん中で寝るんじゃないぞ」
「は? 俺は寝てなんかいないぞ!」
「はいはい。おい、相手しないで、スルー一択だぞ」
俺は仲間たちに声をかけた。
クソガキはまだわめいていたが、俺達は学院めがけて歩いていった。