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そうと決まれば行動あるのみだ。
この部屋は幸いにも二階で、人気の無い裏庭に面している。
そしてこの部屋から見ている限り、早朝を除き、裏庭に人が出入りをすることはほとんど無い。
この条件であれば、自力で部屋を抜け出し、誰にも見つからずに魔王城を脱出することが出来るかもしれない。
クローゼットから選んだ最も地味な服に着替え、動きやすい靴に履き替える。
攫われた当時身につけていた装飾品だけを回収し、スカートのポケットに押し込んだ。
魔王城で与えられたアクセサリーとは比べ物にならないものだが、それでも旅費の足しにはなるだろう。
「よし」
これで逃げる準備は整った。
あとは逃走経路の確保なのだが、バルコニーから改めて下を確認すると、意外に高さがある。
飛び降りれば、骨折程度の怪我にはなるかもしれない。
神聖力ですぐに治りはするものの、痛いものは痛いのだ。
少し悩んだ結果、ベッドシーツをロープ代わりに降りることにした。
古き良き脱走方法である。
そうして降り立った裏庭は案の定、この時間帯、無人であった。
水彩画に似た美しさのある場所だが、きっとここはハーブ園だ。
目を楽しませることだけが目的ではない様々な種類の草花が、ある程度整理されて植えられている。
ということは早朝、これらが運び出される先は、あの薬草風呂の施設なのではないか。
庭の奥には、台車の出入りに使われる扉がある。
そこを通れば、魔王城の外に出られるかもしれない。
植物の間に作られた小道を通り抜け、奥の石塀にぴたりと嵌る木の扉へと手をかける。
内鍵を外し、開いた先にあったのは、緩やかに下る一本道。
その先が、昨日訪れた薬草風呂であろう建物に繋がっているのを確認して、私は小さく拳を握った。
なんという想定通り。
しかしまだ油断はできない。
私は足早に、魔王城の石塀から遠ざかった。
ハーブ園の続きと見紛う長閑な周囲は、開けているため緊張感がある。
だが、人影らしきものは全く見当たらない。
ハーブを運ぶためだけに使われる道なのだろうか。
それなら、魔王城に忍び込むにもぴったりである。
勇者に再び会うことがあれば教えてやろう。
そんなことを考えながら小走りすることしばらくで、私は無事、温浴施設の裏までたどり着いた。
蒸れた草の香りを感じながら表に回る。
入口付近には、前日同様、そこそこの人混みがあった。
人の輪の中にあえて身を投じつつ、お目当ての馬車を探す。
昨日はすっかり聞き流していたものの、施設職員は確か、ここと周辺都市を繋ぐ乗合馬車があると言っていた。
それに乗れば、手っ取り早く魔王城から離れることが出来る。
きょろきょろとする内に、少し離れたところで停まっている大ぶりの馬車を見つけた。
三両あり、どれも丁寧に行き先を掲げてくれているのだが、どの都市名も初めて見るものばかりだった。
調べる術も、時間も、なんならこうして迷っている暇も無いということで、私は一番手前の馬車に乗り込んだ。
中には既に、三名ほど先客がいたようだ。
なるべく目立たないように、入り口近くの席に腰を下ろす。
そして、他の乗客からの視線を避けるため、顎を引いて目を伏せた。
席についてから程無くで、私を乗せた馬車はどこかに向かって動き出した。
車窓の切り取る景色が流れ始めたのを確認して、私はやっと、肩の力が抜けるのを感じた。
いつの間にか少し、眠ってしまっていたらしい。
馬車の揺れで目を覚まし、慌てて外の景色を確認した。
すると周りには、風車の点在する畑が広がっている。
田舎の方へ向かう馬車なのかもしれない。
車内の様子にも変わったところは無いようで、そういえば途中の停留所などあるのだろうかと呑気に考えていたら
「ねぇ、あんた」
乗客の一人から話しかけられ、思わず肩が跳ねた。
狭い空間、少ない乗客、向かいの女性が誰に声を掛けたかは明白である。
「は、はい?私ですか?」
「そう。あんた体調悪いの?ずっと俯いて、大丈夫?」
「あ…体調、は大丈夫、です」
お、おぅ、なんだ。
ただ心配してくれているだけか。
「それならいいけど。あんた一人?カブリバの人?」
カ、カブリバ?
この馬車の行き先そんな地名だっけ?
いずれにせよ、この話の流れは良くない。
「あ…えーっと…」
目を泳がせながら、カブリバの人を自称するべきか否かについて必死に頭を回す。
そんなとき、
「っ?!」
私の後ろ襟が、強く引っ張られた。
呼吸の詰まりを味わう間も無く、私の体は『大教会の』床へと打ち捨てられる。
これは初めてのことではない。
何が起きたのかはすぐにわかった。