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いつ、どのように糾弾されるのだろうと、眠れず迎えた翌朝は意外にも
「失礼します、聖女さま。お目覚めですか?」
いつも通りのアシナの挨拶から始まった。
「お、おはよう…、ございます」
「ゆっくりお休みになられましたか?本日はラベンダーティーをお持ちしました」
カーテンが開かれ、部屋に朝の光が差し込む。
フカフカのスリッパに足を差し入れ、温かいお湯で顔を洗う。
美しい鏡台に移動し、首肩周りを解されながら、ハーブティーを飲む。
これはそう、実にいつも通りの朝である。
「今日の髪型はどうされますか?」
「あ…えっと、お任せします」
「今日はリクエストいただけないんですかぁ」と一瞬悲しそうな顔を見せたアシナだったが、即座に気を取り直し
「でも、今日もとびっきり可愛い髪型にしましょうね!聖女さま♡」
と意気込んだ。
なんというテンプレ。
とりあえずアシナは、私が偽物であることを認識していないのだろう。
この様子だと、パジャマで死ぬような事態は一先ず避けられそうだ。
「昨日のデートはいかがでしたか」というような質問を躱しつつ、身支度を済ませる。
シジが嬉しそうに持ってきたのは、いくつものパールをあしらった、新しいドレスだった。
そういった彼女たちの好意を、これから裏切ることになるのだと思うと心が痛む。
しかし、今更どうしようもない。
魔王から向けられた愛情も偽物なのだからおあいこだろうと、自分に言い聞かせた。
「ご朝食は一階でご用意しております。魔王様もご一緒に♡」
アシナにそう促され、私は意を決する。
そして断罪会場(朝食会場)へと向かった。
のだが、
「今日はデザイナーを呼ぼうと思ってて」
何かがおかしい。
「で、デザイナー?ですか?なんの?」
「家具と調度品の。部屋の内装、好きに変えてもらって構わないから」
おかしい、絶対におかしい。
なぜ魔王にさえ、私が偽物であるとバレていないのか。
相変わらずの甘い笑顔を向けてくる魔王に、私の頭は混乱した。
「あれ?嫌だった?」
「あ、いや…」
嫌ではない。
ただこの状況で、部屋の模様替えをする奴はいないだろう。
とりあえず断ろうと
「体調が」
と口にしたところ
「え?」
魔王の声色がサッと変わったので
「と、とても良くて」
「うん?」
私の言い訳もサッと方向転換する。
「おかげさまで、今朝はすごくいい夢を見たので」
「へぇ?」
「今日は、二度寝とお昼寝で、その続きを見ようと思います」
「それは器用だね」
「だからデザイナーさんを呼ぶのはまた今度にしていただいても?」
「…もちろんいいけど。すごくいい夢ってどんな夢?」
どんな夢か?
今のところ、この魔界から五体満足で帰れることが『すごくいい夢』だろう。
しかしそんなこと言えるはずもなく、恥ずかしいから内緒だとなんとかその場を凌ぎ、朝食を早々に切り上げる。
そしてアシナ達にも断って、自室に一人、立て籠もった。
なぜバレていないのか。
改めてカレンダーを確認するが、今日は間違いなく六月二十六日。
すなわち、聖女様の結婚式翌日だ。
たとえ時差を考慮して考えても、聖女様の神聖力はすっかり勇者に渡っているはずである。
結婚を阻止するために聖女を攫ったというのに、実際の結婚式がどうなったかを確認しないなどあり得るだろうか。
事前に開示されることのない聖女の地方巡礼を把握していた魔王が、前日の結婚式の情報を未だ得ていないなどあり得るだろうか。
考えたところで、答えは出ない。
ただもし、まだ気付いていないだけだとしたらどうだろう。
そうだとしたら…そうだとしたら、それはきっと
「逃げる、絶好の機会だ」
私の声が、私しかいない部屋で、小さく響いた。
うん、逃げよう。
逃げれば良いんだ。
結婚式が終わった今、聖女ごっこに身を投じる必要はどこにもない。
どうせ魔王らに失望されるのなら、私のいないところでやってもらった方がいいじゃないか。
とんだ贅沢生活で絆された私の心が今このとき、自由を取り戻したのであった。