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通りを抜けた後は、美味しいらしいチョコレート屋さんに立ち寄り、アシナ達へのお土産を買った。
さてそこからどうしようかと思いきや、魔王が「夕食までちょっと時間あるんだけど」と前置きした上で、
「お風呂入らない?」
と持ちかけてきた。
「…お風呂?」
「そう。旧市街の方まで戻るけど、薬草風呂の温浴施設があって」
薬草風呂の温浴施設!
それは行ってみたい。
でも
「魔王さま」
「ん?」
「女性はデートで」
今日の外出を『デート』と表現したことに恥ずかしさと気まずさを感じ、一瞬言葉に詰まった。
「ンンッ」と咳払いで誤魔化す。
「デ、デートの途中でお風呂に入りません」
「なんで?」
「それはだって…髪型とかお化粧とかが崩れちゃうじゃないですか」
「メイドさん呼んだらいいじゃん」
「え、そんなわざわざ?ダメです、ダメ。無理、呼べません」
大して仕事の無さそうに見える彼女たちだが、きっと裏では忙しくしているはずだ。
充分に身支度をして送り出してもらったのに、お風呂入ったから来てなどと
「大丈夫大丈夫」
「えっ、ちょっと待っ」
魔王から背中を押され、通りに停まった馬車に押し込まれる。
その上品に装飾されたワインレッドの馬車は、よもや辻馬車ではないだろう。
「わかりました」「お風呂上がりは自分でなんとかしますから」「ちょっと聞いてますか?」と喚く私を乗せ、馬車は旧市街地の方へと走り出した。
温浴施設は、魔王城ほど近くの高台にあった。
「じゃあ僕は一旦戻ってるから」と言う魔王と別れ、施設職員の丁寧な説明を受ける。
男女分かれた大浴場は賑わっていたが、私は個室へと通された。
化粧室から続く浴室には、二つの大きな浴槽が並んでいる。
それぞれ異なる種類のハーブを使った薬湯なのだそうで、その一部は魔王城内で育てたものであるらしい。
これを独り占めとは、なんとも贅沢なことである。
体を流し早速、まずは黄色の薬湯へ身を沈めた。
温かく、柔らかなお湯が、歩き疲れた足に染み渡る。
微かな柑橘を思わせるお湯の香りも心地よい。
幸福感にじわじわ侵食されながら、
本当、私、何やってるんだろう
そうぼんやりと思った。
結婚前、最後の地方巡礼であった。
聖女は、結婚を堺に、その神聖力を勇者に譲る。
そのため結婚式が終われば、聖女の替え玉なんてものは必要無い。
だから私にとってその地方巡礼は、偽物聖女として最後の仕事になるはずだった。
それがそこで魔王に攫われ、散々甘やかされた挙げ句、今はお風呂でとろけているというのだから人生わからない。
人間界ではそろそろ、本物の聖女の結婚式が終わった頃だろう。
つまり、私が偽物聖女であると、いつバレてもおかしくないということだ。
城に戻った魔王が、まさに今、報告を受けている可能性だってある。
今のうちに、逃げた方がいいのかもしれない。
それでも、逃げる気にはなれなかった。
「こんなに良くしてもらってるんだもんなぁ…」
魔王を相手に、恩も何も無いのだが。
しかし、この暮らしに情が移ってしまったのだろうか。
ここで逃げて、彼らから失望されるであろうことを恐れている自分がいた。
これは魔王の作戦通りなのかもしれない。
私は、細く息を吐きながら、浴槽の縁に首を預けた。
青色の薬湯に移り、しばらく経ったとき
「失礼します、聖女さま。逆上せておられませんか?」
浴室の外から、アシナのこもった声が聞こえた。
「あっ、ごめんなさい。もう出ます」
「体調問題無いようでしたら、ごゆっくりとお寛ぎください」
魔王め、本当にアシナを呼んだのか。
身体もすっかり温まり、確かにこれ以上入っていると逆上せてしまいそうだ。
最後に肩まで浸かって十秒で、私は入浴を切り上げた。
化粧室の鏡台に座り、薬草風呂で火照った体を冷ます。
「この後、落ち着かれたらご夕食と伺ってますが、髪型はどうされますか?」
鏡に映る私に向かって、アシナが微笑んだ。
彼女の手で丁寧に乾かされた私の髪は、すっかり真っすぐ艷やかだ。
「お召し物は、こちらを」
そう言ってシジが見せてきたものは、紺色の上品なイブニングドレス。
相変わらずの高級品であることはひと目でわかった。
「髪型…」
この服に合う髪型はもちろん、自分に似合う髪型すらわからない。
だからいつもアシナに任せていたのだが、
「じゃあ、大人っぽい髪型に」
「あら♡はい、承りました!」
こうして彼女たちに仕立ててもらうのも、これが最後かもしれない。
そう思うと、注文をつけたくなってしまった。
その結果、私の髪は、低い位置で緩く一つにまとめられた。
そこにシジが、鼈甲色のバレッタをつける。
彼女たちの完璧な仕事によって美しく着飾った私は、用意された馬車に乗り込んだ。