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ふと意識を取り戻し、でももう少しだけ寝ていたいと思った。
体にかかる布団を引っ張り、胸元に抱え込む。
清潔感のある匂いがする。
しかしその中に、青々とした苦みのある香りがわずかに混じっている。
それに気がついたとき、私は急に、目が覚めた。
慌てて確認したこの部屋には見覚えがあった。
ここは魔王の寝室だ。
私はここで寝ていたらしいが、その前のことを何も覚えていない。
服は変わっているし、手の傷も治っている。
状況に頭の追いつかない中、この部屋を出たらどうなるのかということも気にかかった。
この隣の居間に魔王がいるのか。
伴侶は誰に決まったのか。
今になってジワジワと、あの伴侶選びの場に出ていったことの後悔と責任を感じた。
ただ起きてしまった以上、人様のベッドで時間を潰している訳にもいかない。
私は、隣の部屋に続くドアを、静かに押し開けた。
「あ。目、覚めた?大丈夫?」
魔王は、居間のソファに寝転がっていた。
本を読んでいたようだ。
そんな魔王から意外と優しく声をかけられ、
「あ、大丈夫で、す。べ、ベッドお借りしてごめんなさい」
と声が裏返る。
「何か飲む?あと、何か口に入れた方が」
「あ、いや、夜も遅そうですし、今日はもう、お暇しようかと」
魔王と何かを話す前に、自らの仕出かした事の大きさを確認しておきたい。
そう思って逃げるように、部屋の扉に手をかけた。
すると
「そんな格好で外出れないでしょ。いいからそこ、座って」
魔王が後ろから、ドアノブに置いた私の手を掴んだ。
そんな格好と評された私は、下着に大振りのシャツだけを被った状態だった。
心許ないのは確かだが、でももう魔王の前には出ている訳で。
そんな私の心を見透かしたように魔王は、
「僕はいいじゃん。元カレなんだから」
と言った。
魔王の淹れた紅茶は少し甘みがあった。
そのせいで、自分が意外と空腹であることに気付く。
何か食べ物を持ってきてもらえるらしく、私はそれをソファの隅で待つことになった。
「…私、半日ぐらい、寝てましたかね?」
少し離れたところで足を組む魔王を、ちらりと見る。
「いや、一日半位かな」
「え」
一日半?
そんなに?
「魔力欠乏のせいね。魔法覚えたての子どもがなるやつ」
「…それは、ご迷惑をおかけしまして」
「魔力無くなったら死ぬって知らない?」
「…聞きました」
魔力が無くなると死ぬのだということは、確かロイから聞いたはずだ。
「怒ってます?その、」
そこまで言って口籠る。
怒っている理由を当て損ねて怒られたことがあったのを思い出したからである。
「…怒ってないよ」
「あ、それは良かっ」
「イライラしてるだけ」
わかりやすく絶句した私に、魔王が
「なんでカーブから出てきたの?」
と言った。
「…それは、私が戻ってきたから、イライラしてるっていう?」
「そう」
私の的外れな返事を封じるように、魔王が更に質問を重ねた。
「君、今の僕の状況わかってる?」
「…それは、勇者との戦いが迫る緊迫したご状況だと」
「そう。つまり僕はもうすぐ死ぬってこと」
私はロイに、どんな気持ちで『戦ってみないとわからない』と言ったんだろうか。
魔王に対してはなぜか、同じ言葉が出てこなかった。
「だから、そんなときに好きな子に戻ってこられても虚しいだけでしょ。それでイライラしてんの」
好きな子。
好きな子?
きっと間の抜けた顔をしていたであろう私に、魔王が呆れて「わかってる?」と言った。
「…私、ちゃんと、好かれてたんですね」
「…君、怒られたいの?」
「あ、いや、ごめんなさい。あの、でも一つ聞いてもいいですか?」
「なに?」
「私のどこが好きなんですか?」
「…前、言ったけどさ。とんでもなく不器用でお人好しなところだよ」
「そういえば前に聞きましたね」と言いながら、私は思わず笑ってしまった。
そう、同じことを以前、言われたことがある。
魔王に攫われた直後のことだ。
そのときには『不器用』で『お人好し』という言葉が、私を偽物聖女であると疑う言葉にしか聞こえなかった。
「っていうか、その好きな理由、酷くないですか」
「…そんなに笑ってるところ、初めて見たんだけど」
魔王が溜息をつき、私の隣に座り直す。
そして、身構えた私の体を持ち上げ
「え、あ」
「いいじゃん。僕、元カレなんでしょ」
膝の間に座らせた。
覆いかぶさるように、私の肩に、魔王の腕が回される。
「わかる?これ、もっと早くしたかったの」
耳元で魔王が呟いた。
その甘い声に、『私も魔王が好き』だと言ってしまいそうになる。
でもきっと、魔王の中ではもう終わった話で、なんなら私が終わらせた話なのだ。
そんな虫のいいことを今さら言う訳にはいかなかった。
「もう一個、聞いていいですか」
「なに?」
後ろから抱きしめられたまま、お互いの顔は見えない。
「もし勇者に勝てたら、この世界、どうしますか?」
「…なんもしない。多分、ほっとく。ここの街見てればわかるでしょ」
私は、この魔界の王都が好きだった。
こんな街が増えて、広がるならば、それは素敵な世界になるだろう。
それから暫く続いた沈黙の間に、魔王と私はきっと、全く違うことを考えていた。
勇者が四本目の柱を倒したのは、伴侶選びの日から間もなくのことであった。
その数日後、私は魔王軍本部の一室を訪れた。
「おっ!姫ちゃん、いらっしゃーい」
「…何ですか。その呼び方」
「えっ知らんの?未婚の伴侶は『姫』って呼ぶねんで」
そんなの誰からも呼ばれてないが。
「まぁ、ええわ。入って。聞きたいことあるんやろ?」
「…聞きたいことと、お願いも」
ウーリィがにやっと笑った。
「ちょーど僕も、キミに聞きたいことあんねん」
その細い目が、更に細くなる。
きっとこの男は信用出来ない。
だからこそ丁度良かった。
「どうぞ」と言って開かれたその部屋に、私は足を踏み入れた。




