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「どうぞ」
差し出された銀色のコップを受け取る。
ロイべは、焚き火を挟んで向かいに腰を下ろした。
「葡萄ジュースです。三百年後にもありますか?」
「…絶対、私の話、信じてませんよね」
「信じてますよ。信じてますし、」
ロイべが、私の顔をじっと見た。
「…僕の呼んだ痕跡があるんですよね。でも、いつ契約したんでしょう」
「契約?」
「恋人同士のおまじないみたいなものです。上手くやれば、こうやって相手を呼び出せるんですよ。この時代でさえ、もうあまり使われてませんけどね」
「…それで未来の人間も呼び出せるんですか?」
「…多分。上手くやれば?」
本当かよ。
その言葉を飲み込むように、葡萄ジュースを口に運ぶ。
仄かにシナモンが香った。
「その契約って、どうすれば成立するんですか?」
「実は意外と簡単でして。人の『存在』に関わるものを受渡しすれば、成立します」
「…『存在』?」
「分かりやすいところだと名前ですね。名前をつける、もらう。あとは血を飲むとか」
血?
そういえば、タドラ大司教に飲まされたアレ。
「私、前に、その、得体のしれない血を飲み、いや飲まされたんですけど」
「…三百年後ってけっこう過激なんですね」
三百年後だって別に、そういう犯罪が横行している訳ではないが。
「まぁ、それが僕の血だったなら、その受渡しで契約が成立した可能性はあります。ただ」
「ただ?」
「契約には、どちらかの意思が必要です。渡した側が契約における主人ですが、別に受け取った側でもかまいません。僕たちの契約が成立したということは、僕か貴女に、契約する意思があったということです」
「…私には、ありませんでしたけど」
ロイべが、声を出して笑う。
「そりゃそうでしょう。貴女は今、契約の存在を知ったんですから。あったとしたら僕ですよ」
「え?あるんですか?」
「無いですよ、今は。でも、この後、貴女と契約したくなるんでしょうね」
時系列がよくわからない。
私の眉間に皺が寄った。
「でもまぁ、ということは僕が、三百年先の世界から貴女を呼んでしまったんですね」
ロイべは「うーん。あり得るかな」と、自嘲気味に付け足した。
◇
「…ディーバ、さん」
「ん〜?なぁに?」
私は、這いつくばったまま、ディーバに声をかけた。
彼女はもう、その靴を私が舐めることの出来そうな位置まで近付いている。
「私の、名前、知ってますか」
「え〜。知ってる訳ないじゃん」
ディーバは私の側にちょこんとしゃがみ込んだ。
「私、エディバラって、いいます」
「聞いてないけどォ」
「私たち、被ってませんか」
「…え?何が?」
「名前」
ディーバが首を傾げる。
彼女の顔には、同意したとも、同意してないとも判別のつかない表情が浮かんでいた。
「だから、あだ名、つけてください」
「えっ、あだ名?今?」
「今」
「…嫌に決まってるじゃん」
当然の反応である。
「新人ちゃん、おかしくなっちゃった?」と、ディーバがつま先で私の頭を小突いた。
しかし、諦めるわけにはいかなかった。
「私も以前、ディーバって、呼ばれてたんです。魔王さまに」
少しでも動くと吐きそうな中、声を振り絞る。
「だから、嫌なんです。魔王さまが、あなたをディーバって呼んでるの、不快なんです。思い出しちゃうから、私、違う名前を、」
三文芝居のはずだった。
でも、魔王の口から『ディーバ』という言葉を聞きたくないのも事実だ。
思わず気持ちが入ってしまって、私は言葉を詰まらせた。
それにディーバが「…ふゥーん」と相槌を打つ。
その嬉しそうな声色で、私はちゃんと、頭が冷えた。
「なんだかよくわからないけど、ちょっと可哀想かもォ。こーんな弱いのにノコノコ出てきて、必死になって」
ディーバが私の顎を掴む。
顔を無理矢理引き上げられ、私とディーバの目が合った。
「それで?もう魔王さまに名前呼んでもらえないのが辛いんだァ。『ディーバ』って聞くと、自分のことだと思っちゃうんだ?カワイソー」
ディーバに嘲笑が滲む。
なんだっていい。
早く名前をつけろという気持ちで、ディーバを睨んだ。
「それなら、何か名前、つけてあげようかなァ」
ディーバが思案するように視線を上に滑らせる。
「わかったァ。じゃあ、ペルシカのゴリラちゃんとオソロイで、ネズミちゃん!」
ディーバがその細い人差し指をピンと立てたとき、私は再び、この『デバフ』を『ディーバ』に『譲り渡す』ことを願った。
契約が成立していたかどうかなどわからない。
しかしその瞬間、確かに、私のデバフが消えた。
そしてそれと同時に、デバフよりも酷いと錯覚する程の脱力感に襲われる。
それが魔法の発動によるものだと自覚する余裕はなかった。
ただただ、やっと動いた手足をもつれさせ、ペルシカの折れた刀身を拾い上げた。
刃の前後ももうわからない。
なにも考えず、手に取ったものを、うずくまるディーバの背中に向けた。
審判は止めたのだろうか。
最後の記憶は、剣を握った手から零れた、私の小さな血溜まりだった。
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