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自然と目が開いた。

まだ夜更けだろう。

しかし、眠りから覚めた理由はすぐにわかった。


「あぁ、ごめんね。起こしちゃった?」


ベッドに腰を掛け、私を見下ろす男。

やや褐色の肌に、鼈甲色の目を鈍く光らせるその男こそ、魔王その人であった。


「…今、お帰りですか?」

「そう。今」


魔王の顔が、少し近付く。

ぞっとする程に見目良いその顔は、十日そこそこで見慣れるものでは到底無い。

小さく軋むベッドも相まって、緊張感が否応無しに高まった。


「今日は何してた?」


やや高温の優しい声色。

魔王の指先が、私の頬へと伸びた。

触れられた肌から、ゾワリと不快感が広がる。


「今日は、刺繍を」

「刺繍?いいね」


魔王は軽く相槌を打ち、


「僕がいなくて、寂しかった?」


と改めて私の目を覗き込んだ。

私の『好意』は、魔王に疑われている。


「寂しかった…です」


お世辞にも艶があるとは言えない私の言いぶり。

それでも魔王は満足気に目を細め、「そっか。ごめんね」と言った。


「じゃあまた、明日の朝食で」

「はい、また明日」


蛇足ながら「楽しみにしています」と付け足した私に、魔王は柔和な笑みを返した。


「おやすみ」


魔王が、私の髪を一束すくい上げる。

そしてそこに唇を落とした。


「…おやすみなさい」


立ち上がった魔王から、青々とした苦みのある香りが広がった。

摘みたてのハーブを思わせる、どこか甘いその匂いに、私はいつも気を取られる。

そうして気が付けば、部屋のドアはパタリと閉まり、私は一人きりの空間を取り戻していた。

そこでやっと、小さく息をつく。


大丈夫、大丈夫。

まだ偽物だとはバレていない。


魔王との会話を反芻する頭にそう言い聞かせる。

本物の聖女様に危害が及ばぬよう、もう少しだけ耐えなければ。

早った鼓動を抑えつつ、私は再び、目を閉じた。




聖女様の夢を見たのは久しぶりだった。

これは一年ほど前、聖女様が婚約式を終えた後の会話だったと思う。

思わずホームシックになりそうな、あの透き通った声が聞こえた。


「エディは、私なんかよりもずっと聖女に向いていると思うわ」


ふわふわのストロベリーブロンドに、ほんのりと紅のさした丸い頬。

その透き通った金色の目に見つめられると、女の私でも照れてしまう。


「そんな訳無いでしょう」

「あら、本当よ。私より神聖魔法が上手いのはもちろんだし、正義感があるもの。ちょっと諦めは早いけど」

「…諦めが早いのは否定しませんけど」


私にあるものは、『正義感』なんて立派なものではない。

ただ、周りの人を悲しませないように、そして周りの人から失望されないように振る舞っているだけだ。ある意味利己的な人間であると思う。


「あと、逃げるのが上手い」


聖女様がにこりと微笑んだ。


「…それ、聖女にいります?」

「もちろん!」


そのときは、聖女のいつ、どこで逃げる必要があるのかわからなかった。

しかし今思えば、こうして魔王に囚えられたときのことなどを想定しておられたのかもしれない。

いずれにせよ私は、この朗らかに笑う聖女様が好きだった。

彼女が聖女でなければ、私は替玉を続けていなかっただろう。


その後、どんな会話をしたのだろうか。


私の曖昧な記憶に合わせるように、夢の景色もぼんやりと揺らぎ、そして消えていった。




翌朝。

約束通り魔王と朝食を囲む。

ここで出される焼き立てのパンは、悔しいがとても美味しい。

私の食べる様子をにこやかに眺めていた魔王がふと、


「明日、城下に行こうか」


と言った。


「明日?」

「そう。明日」


明日は、聖女様の結婚式当日だ。

つまり、私が偽物を続けなくてはならない最後の日。

明後日には、本物の聖女が結婚したという話が、魔界にも届くだろう。

そうなれば私は


「お出かけは嫌?」


この美しい魔王に殺されるのだろうか。


「…いえ。ぜひ、ご一緒したいです」

「良かった」


魔王の顔が綻ぶ。

私もぎこちない笑顔を返した。


「その代わり、今日は仕事しないといけないんだよね。まぁ…しなくてもいいんだけど」

「魔王様」


サボりの兆候を見せた魔王を、後ろに立つ男性が諌めた。

私は知っている。

この人が朝食まで付いてくるのは、魔王の書類仕事が溜まっているときだけだ。

一度名前を尋ねたが、魔王に「覚えなくてもいいよ」と遮られ、どこの誰だかは把握できていない。


「それなら私は今日、図書館で本を読んでいても良いですか?」

「図書館?もちろんどうぞ」


魔王城には巨大な図書館がある。

そこで本を読むのは、私のささやかな楽しみであった。

読書をしているだけなら、聖女の偽物だとバレることも無い。

「ありがとうございます」と言いながら、思わず私の表情が緩んだ。

そんな私を見て、魔王が


「えー。僕も仕事、図書館でしようかなぁ」


と肘をつく。

すかさず「何言ってるんですか」「絶対ダメです」「仕事にならないでしょう」「学生の勉強じゃないんですから」と詰められた魔王が、なんだか面白かった。

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