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「私の、神聖力を?戻す?」
「そう、不便じゃろ。怪我は治らんし、自分の身も守れん」
「…そんなの」
「出来る。嘘はつかん。なんなら、勇者の神聖力を元に戻して、聖女の結婚をやり直させてやってもいい」
そんなこと出来る訳がない。
神聖力は、神が人間に与えた奇跡の力である。
私や勇者の神聖力を戻せる人がいるならば、それは神だけだろう。
「私の神聖力が戻ったとして、あなたに何の得があるんですか」
「メリットか?魔王が確実に倒されるであろうことくらいかの」
「…神聖力が戻ったところで、私はもう、魔王を倒そうとは思いませんよ」
「安心せい。神聖力が戻れば、魔王への憎悪も自ずと思い出す」
大教会に裏切られたせいだろうか。
今の私に、魔王を倒さなければという気持ちは一切無い。
勿論、教科書的な話は覚えている。
魔王の存在によって、強力な魔族と、凶悪な魔物が増えるという説明。
そして、魔界と人間界のバランスが崩れたとき、人間は魔族の奴隷となり、魔物の餌となるだろうという筋書き。
しかし、こんな『もしも』のために、魔王を殺す必要があるとは思えない。
神聖力が戻ったところで、この考えが変わることはないだろう。
神聖力が魔王を倒すためのものであるならば、その力を返してもらう必要は無かった。
「まぁ、今の勇者だけでも、魔王を倒すことに支障は無い。ただな、エディ。聖女として特別目をかけていたお前が、理不尽にもその地位を追われ、魔王なんぞに縋って生きておるのが哀れでならん」
『哀れ』という言葉に対して、胸に詰まるような不快な気持ちがじわりと迫り上がる。
それを押さえつけるように、「神聖力は、もういりません」と言った。
「持たない人間が殆どなんですから、無くたって生きていけるでしょう」
「そいつらは元より持っていない人間じゃ。生まれながらに恵まれぬ者は、足るを知っているというだけで幸いよ。真に不幸なのは、自分は恵まれていると露も思わなんだ人間が、自分は恵まれて『いた』のだとわからされること。そう思わぬか?」
アースリットの言っていることは詭弁だ。
私の置かれた状況に、ただ付け入っているだけである。
そうわかっているのに
「…後からでも、足るを知ればいいでしょう」
私の口から出てきたのは、悲しいほど鈍らの反論に思えた。
「あぁ。それが出来るなら、それでいい」
アースリットが、ソファの肘掛けに肘をついた。
彼の本心は、窺い知れない。
しかしいずれにせよ、神聖力を戻してもらうつもりは無かった。
そんなものがなくても私は、下級メイドとして暮らしていける。
同僚にも恵まれ、そして魔王にだって。
「とりあえず、神聖力はもう結構ですから」
「まぁ無理にとは言わん」
「じゃあ、帰ってもいいですか」
「せっかちな奴じゃの。紅茶一杯、飲みきったら帰してやろう」
渋々、ティーカップへと手を伸ばす。
紅茶の味には、なんの文句も無い。
「一つ、忠告じゃ。帰ると言っても、もうあそこには戻るな」
「あそこ?」
「魔王城」
「なんでですか?魔王が嫌いだから?」
「違わんけど、違う。お前に魔力が溜まらんとわかれば、魔王のやつが何をするかわからんからじゃ」
「…私に魔力が溜まらない?って何の話ですか?」
魔力?
神聖力じゃなくて?
「人間は神聖力を、魔族は魔力を持って生まれてくる。力の総量は、生まれながらに決まっておって、各人が大小様々な容れ物を持っているのだと考えればわかりやすい」
「それは知っています」
「じゃあその容れ物には、神聖力『も』魔力『も』入れることが出来るのは知ってるか」
それは知らない。
私の表情を見て、アースリットが続ける。
「お前の世界は、放っておけば、その容れ物に魔力が溜まる。でも人間は、神聖力を持って生まれてくるから、魔力は溜まらない。神聖力と魔力は混じらんからの」
「…神聖力が無くなった私には?」
「放っておけば、魔力が溜まる。人間も魔族も、容れ物の大きさ自体は変わらん。お前に魔力が溜まれば、相当なもんじゃ。魔王もそれを期待して、お前を近くに置いとるんじゃろ」
あぁ。
そうか。
魔王が足繁く確認しに来ていたのは、それだったのか。
私に会いに来ていたなんてとんだ勘違いだった。
魔王は、私が『使いものになったか』を確かめに来ていたのだ。
自らの置かれた状況を理解してしまうことに対する、息苦しさを感じた。
「…じゃあ私に、魔力が溜まらないって言うのは」
「我が溜まらんようにした。悪い溜まり方をしておったからの」
なんだそれ、と思った。
しかし、抗議の言葉は出てこなかった。
神聖力は要らないのに、魔力は要るなんて、そんなの無いだろう。
そんなの無いはずなのに、魔王城に、いや魔王の近くに居るために必要ならば、魔力が欲しいと思ってしまう。
私は結局、アースリットの言う通り、魔王に目をかけられている『特別な自分』に縋っていたんだ。
減らない私のティーカップを尻目に、アースリットが自らのお茶を飲み干した。
ソーサーを静かに下ろした彼は、何も言えずにいる私に
「じゃあ、急に呼びつけて悪かったの」
と清々しく微笑んだ。
その顔を見て私は、アースリットがこの『呼び戻し』の目的を果たしたであろうことを理解した。
別れの挨拶を言われただろうか。
それを確かめられないまま、気がつけば元の道に立っていた。
まだ山道ながら、木々の間を縫うように旧市街地の街並みが見える。
白昼夢を見たのかもしれない。
口に残った紅茶の苦みすら疑わしい。
それでも、こんなに胸が詰まっているのだ。
無かったことには出来なかった。
魔力が溜まらないと知られたところで、魔王から酷い仕打ちを受けるとは思っていない。
何なら、魔王城に居座ることも許されるだろう。
それでも、魔王が私への興味を無くすであろうことが耐えられない。
それ程に私は、魔王にとって特別だと、自惚れていたのだ。
私の多くない初任給の使い道は、すんなりと決まった。
旧市街地のケーキ屋で売られていたクッキー缶と、可愛い便箋。
そして、見知らぬ土地への片道切符。
自分でも笑えてしまう下手な逃げ方に、聖女様から褒められた特技すら、失った気がした。




