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お給料というものは、非常に尊いものだ。


これまで教会の指示に従い、今から思えばかなりの『労働』をしたものだが、それに対して給料が支払われることはなかった。

ただただ衣食住が保障されていただけである。


しかし、なんとこの魔王城の使用人は、労働の対価としてお金がもらえるらしい。

メイド頭を始め周囲の人々は、お給料に対して過度に喜ぶ私を憐れんだ。

私からすれば、恵まれた環境を当然のものと考え、その幸せを自覚できな…と、まぁ虚勢はさておき。


「エディ、今日はお休み?どこか行くの?」


渡り廊下で、メイド仲間から声を掛けられた。

時間は朝の午前九時半。

メイドの始業からはしばらく経った時分で、彼女の手にもしっかりと、掃除用具が握られていた。


「はい。お給料をいただいたので、お休みをとって、ちょっと近くまで」

「あらそう!いってらっしゃい」


「気をつけてね」とだけ付け加えて、彼女は本館の方へと歩いていった。

自分以外の同僚は働いているのだと思うと、なんだかソワソワしてしまう。

気を取り直し、私は使用人の通用口へ向かった。


今日は、新市街地の奥まで行こうと思っている。

魔王と訪れたときは、魔王城から見て手前、露店の並ぶ賑やかなエリアを見て回った。

しかしその奥には、また雰囲気の異なる職人通りがあるそうだ。

散歩がてらその辺りまで歩いて行って、パンでも買って帰ってくるつもりだ。


衛兵に会釈し、通用門を抜けると、そこは久しぶりの城外である。

そういえば帰ってくるときは普通に入れてもらえるんだろうか等とぼんやり考えながら、周囲を木々に囲まれた下り道を歩き始めた。


魔王城の周辺は自然豊かで、小さな森の中に城があるのだと言っても過言ではない。

魔王城の裏にあたる通用口から続く道は、特に不安になるくらいの山道なのだと聞いてはいたものの


「熊が、出そう…」


聞きしに勝る雰囲気であった。

まさに魔界と聞いて思い描く、ステレオタイプな光景の一つである。

しかし、ここで引き返すわけにはいかない。

テネトにお土産を買って帰ると約束したのだ。

鳥とも動物とも知れない鳴き声にいちいちビビりつつ、私はただ足を動かした。




脇道に逸れないよう注意しながら進むことしばらく。

やや疎らになった木の隙間から、ようやく旧市街地の建物がちらほらと見えてきた。

森での迷子は一先ず避けられたようで、少し安心する。

街に入って、大通りに出れさえすれば、もう道に迷うことは無いだろう。


「よし」と気を引き締め直したところで、私の後ろ襟が、強く引っ張り上げられた。

気持ちの悪い浮遊感を挟み、投げ落とされたのは冷たく、毛足の長い布地の上。

これがソファであることを、少しの間の後に認識した。


事故のような衝撃と、何よりこの一瞬の転移。

これは間違いなく、大教会からの『呼び戻し』であるはずだった。

それなのに、顔を上げた先にいたのは


「…アース、リット?」


タドラ大司教ではなかった。


いつぞやの牢屋で会った小悪党は、大仰なデスクチェアで、忙しそうに手を動かしている。

ペンの音に混じって、聞き覚えのある声が聞こえた。


「エディ、元気にしておったか」

「…なんで」

「なんでって、お前も知っておろうが。忌々しいことに、魔王が近くにいたら呼び戻しは出来ん。ほんに忌々しいことよ」

「そうじゃなくて」


私の焦れた声に、アースリットが顔を上げた。

透明感のある若い顔立ちは、その口調と一切合っていない。


「これ、この呼び戻しが出来るのは、大教会だけで。いやそもそも、神聖力の無い私のことはもう、呼び戻せるはずがなくて」

「神聖力のある人間しか呼び戻せないのは、大教会に渡した術式じゃ。人間が扱うには、対象を特定する必要があるからの」


自らを『人間では無い』とでも言いたげな口ぶりであった。

いやそれどころか、人間に術式を渡したのは自分だと言いたいのか。

眉根をひそめる私に、アースリットはゆったりとした笑みを返した。


「…大教会じゃないなら、ここはどこですか」

「ここか?ここは我の執務し…おい、睨むな、冗談の通じん奴じゃの。ここは『カエリ』という世界で、お前たちの世界ではなんと呼んでおったかの」

「…天上界」

「おぉ、そうじゃ。ここは、お前たちが天上界と呼ぶ世界、神の住む国よ」


カエリは、創造主たる神々の国として、神聖魔法の詠唱に出てくる言葉だった。

たしかにここは大教会ではないのだろう。

それはこの、磨き抜かれた大理石の床を見ただけで判った。

しかしだからと言ってここが天上界であるなど、とんだ世迷言である。

ついこの間まで投獄されていたこの男が、天上界に住まう神であるはずがない。


「…それで、私に何の用ですか」

「まぁそうけんけんするな。茶でも飲め」


そう言ってアースリットは椅子から立ち上がり、私の隣に腰を下ろした。


「あの、普通、向かいに座りませんか」

「…エディ、お前、この前から細かいの。いいか、お前みたいに一見警戒心の強そうな女は、一見無害そうな男にコロッと騙さ…だから睨むなと言うておろうが」


アースリットが、向かいのソファに座り直す。

すると執事らしき男が、目の前のテーブルにお茶の準備を始めた。

このきちっとした身なりの男がいつからこの部屋に居たのか、私にはわからなかった。


淡水色のティーカップに、紅茶がトクトクと注がれた。

爽やかで果実味のある香りが広がる。

品良く紅茶を飲むアースリットを横目に、私もカップに口をつけた。

紅茶が腹に落ちるのを待って、


「神聖力を戻してやろうと思っての」


アースリットは話し始めた。

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