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ツイているのか、いないのか。
いや、おそらくツイていると言うべきだろう。
人気のない街角に一人立っていた私は、何者かによって背後から襲われ、速やかに昏倒した。
次に目を覚ましたときには、機関車らしき乗り物に乗せられており、移動すること二、三日。
今は、見知らぬ建物の中にいる。
手は拘束されており、決して良い状況では無いものの、これだけ周りに魔族が居るのだ。
ここは魔界なのだろう。
魔王の言っていた通り、攫った人間を魔界で売る集団が存在するようだ。
目論見通り魔界に来れたのなら、さっさとここから脱出したいところなのだが。
今この場から逃げるのは不可能であった。
手を縛られていることに加え、私と同じく攫われたであろう人達と共に檻の中に入れられている。
挙げ句、周りには、見張りともなんとも言えない魔族がゴロゴロと居る。
「とりあえず魔界に行けたらいいや」という自らの短絡的な思考を二、三度呪ったものだ。
しかしまぁ、売られるということは、いずれここから出られるということだ。
それならばこの先でも、はたまた売られた先でも、まだまだ逃げる機会はあるだろう。
ということで、状況が変わるのをただひたすらに待っているのだが、この異様な雰囲気、弱気にならないと言えば嘘であった。
マイナス思考が極まると、神聖力があったら助けられたかもしれない周りの人たちにも、無駄な責任を感じてしまう。
今の私に、他人を気にする余裕は無いのに。
周囲の不安で怯えた表情達から目を逸らすため、私はぎゅっと目を閉じた。
周囲が俄に騒がしくなる。
檻から五人が選ばれ、どこかに連れて行かれたようだ。
五人、しばらくしてまた五人、そしてまた五人。
私達の『売買』が始まったであろうことは明らかであった。
「この子だけは!この子だけはお助けください!」
誰かが誰かをかばう声がした。
しかし当然、それが聞き入れられるはずもなく、殴られ、地面に倒れこむ音が続く。
それでも私は、動くことができなかった。
檻の中の人数が半分程度まで減っただろうか。
そこでついに私にも声がかかった。
例に漏れず、他の四人と揃って檻を出る。
促されるまま、喧騒の段々と濃くなる廊下を進むと、魔族と一部人間の犇めく『会場』へとたどり着いた。
客であろう人々から一段高いところ、薄暗い場内で唯一光の当てられた壇上に、五人並んで立たされる。
下からの下卑た視線を不快に思う間も無く、私達の値付けは流れ作業のように始まった。
まずは一番端に立つ、年端もいかぬ少女から。高いとも安いともわからない値段が飛び交った。
人が、人の存在を金で買う、吐き気のするような光景だった。
それでも、今の私に出来ることはない。
ふと、聖女様に『正義感がある』と言われたことを思い出した。
今、他人のことより自分のことを心配している私を見て、聖女様はなんと言うのだろう。
最初の少女に値段がつき、次の競りが始まった。
この次は私の番だ。
頭の中で、ネガティブな感情がごちゃごちゃに混ざるのを感じた、そんなとき。
会場奥、開きっぱなしだった両開きの扉から、五、六人が連れ立って入ってきた。
彼らは、人混みを気にすることなく、真っ直ぐこちらに歩いてくる。
客が道を開けたわけではない。
先頭の男が近付くと、まるで何かに突き飛ばされたかのように、周囲の人が小さく弾かれるのだ。
その前を歩くのが誰であるかは、すぐにわかった。
彼は、最前列に立っていた男の後ろまでやって来ると
「ジロジロ見てんなって」
と言って、男の『目』に、背面から手をかけた。
目を潰された男が、汚い呻き声を上げ、その場に崩れ落ちる。
騒がしい会場内もやっと、侵入者の存在に気付いたようだ。
そんなこと気にする素振りも無く、彼はこの壇上にひらりと飛び乗った。
「ま…おう…」
私の、思わず漏らした独り言。
それに対して、
「『様』、つけなよ」
目の前の魔王が、無表情に笑う。
その顔を見て、魔王らを騙していたことがバレているのだと理解し、背筋が凍った。
魔王が、私を抱きかかえる。
突然のことで
「っひゃ゛」
と、変な声が出た。
客側には、魔王と一緒に入ってきた男達がいる。
その内の一人、一際大柄な男が、魔王の背に向かって声をかけた。
「レオ、ここ、どうすんだぁ?」
「知らない。潰していいよ」
そう魔王が言い切ったかどうかというところで、周りの景色がブツンと切り替わった。
転移した?
薄暗い、部屋の中に?
ここがどこなのか前後不覚のまま、私の体は寝台へと投げ落とされた。
それでわかった。
ここは魔王の寝室なのだろう。
わずかにハーブのような、あの魔王の香りがする。
上体を起こそうとした私の腕は、魔王によって再び寝台へと押さえつけられた。
「なんで僕が怒ってるか、わかる?」
押し倒された状態でまともに働く頭は持ち合わせていなかった。
それでも、魔王の怒っている理由くらい分かっている。
「…私が、聖女じゃなかったから、です」
「は?違うだろ、笑わせんな」
「へ」
全て観念し、覚悟を決めた私の答えは、いとも簡単に否定されてしまった。
『笑わせんな』と言う割に、魔王はちっとも笑っていない。
「魔界でも人身売買は違法なんだよ。つまりあそこに居たのは、罪を犯してでも人を金で買いたい奴らってこと。女の子の腕折らないとイケない奴とか、人が魔物に食べられてるとこ見ながら酒飲む奴とか、そういった異常者の集まりなわけ」
「異常者の、集まり…」
「それをわかってあそこに突っ立ってたのかって聞いてんの」
私を押さえつける魔王の手に、力が入った。
好きで突っ立っていた訳ではないのだが、下手なことを言うと、本当に腕が折られてしまいそうだ。
急いで一通りの謝罪を口にする。
「ご、ごめんなさい。わかってなかったです。私が愚かで無知でした。お、おお手間をおかけしてすみませんでした」
「あとさ、」
魔王の顔が、近付けられる。
鼻が当たってしまいそうな距離。
「神聖力無くなってるじゃん。何?勇者にあげたの?」
「あ、あげてない。あげてないです」
「じゃあどうしたの?魔物の血でも飲んだ?」
「あ、多分そうです!魔物の血、飲んだと思います」
「は?」
誘導しておいてキレるのは反則だろう。
そして、どうやら魔物の血を飲まされたらしいというのが地味に辛い。
自らの体の下で縮こまる私をしばらく見ていた魔王は、「まぁ、いいけど」と言いながら、指で私の唇をなぞった。
「あーあ、手首も赤くなっちゃって」
私の手首の縄が解かれた。
淡いランプの光に照らされた私の手首を、魔王がちらりと舐める。
そして「どうしようかな」と魔王が独り言のように呟くものだから、このまま食べられるんじゃないかと本気で思った。
人間ってどれ位食べられたら死ぬの
「あ、そうだ」
魔王の言葉で、私の混乱した思考が止まる。
「奴隷市場から拾ってきてあげたんだからさ。下働き、してもらおうかな」
「へ?したばたらき?」
私の間の抜けた声を聞いて、魔王の表情がやっと和らいだ。
魔王は、その琥珀色の目を鈍く光らせながら
「体力には自信あるって言ってたっけ?」
と悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「あり、ます、ね…」
なんたって聖女の替玉は重労働なのである。
かくして私は、囚われの聖女様から一転、ここ魔王城で働くことになったのだった。




