第14話 ある魔法少女と蝗害
地の底より無数の亡者どもが血染めの手を地上に突き出したら、こんな光景になるだろうか。
闇に追いやられ地平線に呑まれつつある朱色が、名残惜しそうに亡者の手のごとき花々に縋りつく。
救いを求める亡者の手のごとき真っ赤な彼岸花どもは、地平の果てまで咲き誇っていた。
そんな彼岸花だけの世界には、どこから流れてくるのか小さなせせらぎが横たわっている。
(ここは……)
この異様な光景を、小川の畔に立つユメハは冷静に認識していた。
――これは『夢の狭間』だと、自覚していた。
間もなく花々の影に縋り付く陽光はとうとう引き剥がされ、闇に呑まれてゆく。
やがてユメハの正面の地平線に、青白い満たされた月が顔を覗かせる。
その時……ユメハは見た。
川の対岸に、誰かが立っているのを。
月影に重なる彼は、何者なのだろうか。
彼岸の向こう側の少年は、狐の面に顔を隠し虚ろに立ち尽くしている。
ユメハは何をするでもなく、狐面の少年をただじっと見つめていた。
すると、狐面の少年はおもむろにユメハの後ろを指さした。
ユメハは狐面の少年の指した方向へ振り返る。
すると――曼珠沙華で満たされた世界はみるみる内に遠ざかってゆく。
そして、ユメハは目覚めた。
時刻は深夜の11時半。
カコの胸に抱かれ、温もりの中で再び微睡みに身を任せようとしていた。
ユメハは微睡みの中で、先程の光景を思い返していた。
――あの、【狐面の少年】……カコお姉ちゃんの【ミライお兄ちゃん】に酷似。解析不能。
似ていたのだ。
狐面の少年が、行方知れずのカコの兄に。
「ユメハちゃん……もっとお食べ、えへへ……」
自分を抱き枕代わりにするカコは、何やら料理でもしている夢を見ているようだ。
今日はユメハの誕生日だった。そしてカコと出会って1年という記念日でもあった。
「……」
――今日のような日がずっと続けばいいのに。
そう思い、瞼を閉じようとした……その時だった。
「……!!」
ユメハは突如として、周囲に異常な魔力を感知した。
それはまるで災獣の腹の中にいるかのようなほど、濃密であり得ないほど強大な魔力。
ユメハの本能が、機械の脳が全力でアラートを鳴らしている――
「カコお姉ちゃん――!」
そう叫んだのと同時に――街は巨大な『異相空間』に飲み込まれた
「んむ、ユメハちゃん……? どうしたの?」
隣で眠そうに顔を上げるカコ
「異相空間が発生しました。魔力反応から推測するに直径は20kmです」
「ほぇ?」
呆けた顔のカコを叩き起こし、ユメハは窓の向こう側を睨む。
得体の知れない闇が、夜に成り済まして空を覆っているように見えた。
*
「「変身――!」」
寝間着のまま2人は魔法少女へと変身し、自宅を飛び出した。
秋だというのに外の空気は異様に粘っこく、喉に貼り付くように感じられた。
慣れ親しんだ道に、異形の影が蠢く。
――ぐちゃっぐちゃっ、むしゃむしゃ……
水気を孕んだ音と、独特な生臭さが鼻を突く。
「……!」
『それ』はアパートの前で蹲っていた。口元は赤く汚れ、人間の腕のような前足で赤い塊を押さえつけて貪っている。
桃色に可愛らしいケーキ柄の布の切れ端が、赤い肉と共にその大きな口の中へ消えていった。
宙を駆けながら、カコは視界に入った災獣に真っ白な槍を投擲する。
槍は緑色の災獣の胴体を貫通し、地面に縫い留めた。
『お、おぉぉぉ、おなかすい、た』
緑色の災獣の人間じみた開口部が、虚空を齧り歯を打ち鳴らす。
もがき、羽根をばたつかせ、太く長く大きな棘だらけの後脚を振り回し、災獣は呻く。
「何これ、バッタ……?」
『解。ワタリバッタに酷似しています』
カコは槍をもう一本手の内に呼び出し、巨大なバッタの頭部を潰した。
緑色の汁が溢れ、直後に黒い塵となって霧散する。
「……急ごう」
地面に散乱する少女の残骸を横目に、カコは再び走り出す。
ここは異相空間。
空間内では無尽蔵に災獣が湧き続け、内部の人間を食い尽くす。
それを止めるためには、核である異相空間の主を倒さねばならない。
2人はより濃い魔力の流れる方角へと、民家の屋根や信号機を伝って進んで行く。
道中で遭遇するバッタどもは、ユメハが頭部を一撃で撃ち抜く事で処理していた。
「た、助かった……?」
「すぐに頑丈な建物の中へ避難してください。災獣は私たちが必ず何とかします」
間一髪、バッタに食われかけていた青年を救い、カコは決意を露にする。
「君たちも、死なないようにな」
「……えぇ、もちろん」
カコは微笑んで、先を急ぐ。そして、大声を張り上げ
「災獣が発生しています!! 家の中から絶対に出ないでください!!」
辺りの住民たちへ警告する。
しかし……
「助けてくれぇ!!」
誰かの悲鳴がこだまする。
カコはすかさず悲鳴のする場所へ駆けつけるが……
そこにあったのは、数匹のバッタどもが群がっている光景。
カコとユメハはバッタどもを一撃で処理するも……。
そこにあったのは、頭や半身の欠けた人間たちの骸。一部はまだ痙攣しているが、とうに事切れている。
異常に気づき家族と共に家の外へ逃げ出し、そこを襲われたのだろう。
「……」
また救えなかった。
仕方ない事だ。どれほど薄明の聖騎士が強くとも、手の届く範囲には限りがあるのだから。
『……最速で敵性存在の核を破壊すること。それが犠牲を最小限に抑える方法と推察します』
「……そうだね、分かってる」
カコは俯き、血が滲むほどに爪を掌に食い込ませた。
――救えなかった、守れたはずだった。
力を手に入れて、強くなれて、これで今度は私が守れるって思っていたのに。
……ミライお兄ちゃん。
どこにいるの。はやく帰ってきてよ。
この痛みを知るのは、私だけでいいのに。
――――
2人が自宅を飛び出してから10分。
漂う魔力はより濃密になってゆく。
バッタ型災獣の姿も、犠牲者の成れの果ても増えてきた。
「バッタの数が多くなってきた……近い」
この先にこの惨劇を引き起こした親玉がいる。
……胸の奥から熱くて冷たいものが込み上げる。
更に速く、2人は駆け抜けた。
「……ここ?」
たどり着いたのは、県立の自然公園の広場だった。
闇に照らされ佇む滑り台が、獲物を待ち構えるカマキリのように見えた。
この場所を中心に濃密で異様な魔力が異相空間内へ広がっていくのを感じる。
しかし……
「何もいない……?」
核が、異相空間の主が、この場にいないはずがない。
カコは辺りを見渡すが――
その時、二人の足元の地面が突然隆起し割れた。
そしてそのまま2人は割れた地面の裂け目へと落ちて行く。
「きゃっ!? ヤバ――」
『! 下から敵性存在の――』
そこには鋭い杭のような、薔薇の棘のような、鍾乳洞のような……鋭い歯列が洞窟の奥まで渦巻くように続いていた。
巨大な災獣の口腔だ――
それを2人が理解するのと同時に、乱杭歯の並ぶ口は閉じられてしまった。
ごくん――
そして辺りに、大きな嚥下音が響き渡った。
――――
「くすくす……」
暗闇で少女は笑う。
ブランコを漕ぎ、きいきいと鳴らすよ音を。
大地を突き破り顕現した巨大な飛蝗を見つめ、少女は、魔女は、嗤う。
「やっと会えそうだね、〝戦争の魔女〟ちゃん」
少女はくすりと微笑をこぼす。
辺りの空気に飢渇が満ちる。




