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錯乱簿ファンタジー  作者: 川月 仁
第一章 農村の少年
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2.父親と少年


 上の息子の様子がおかしい。俺が変だと思い始めたのは二年ほど前からだったろうか。初めて町へお使いへやってから暫く経った頃だった。うちはお世辞にも裕福とは言えない農家だ。貧乏であるがゆえに子だくさんだ。貧しさを少しでも埋めるため労働力として丈夫な子を産み育てることが求められる。初めての子は女の子だった。長女ラーレは、元気に生まれすくすくと育つだろうと思われていたが2歳を過ぎたころから病気がちになり、6歳になる前に天国へ旅立ってしまった。二つ下のイグナーツには、日々の農作業や病弱な姉の看病にかかりっきりだったからかまってやれなかった。イグナーツのさらに三つ下に弟のケネト、五つ下に妹のヴィエナ、九つ下に弟のアイロスが生まれた。姉の看病と、弟の誕生の狭間で、俺と妻のエルザはイグナーツに子育てらしいことは最小限にしかしてやれなかった。奴は本当に手のかからない子だった。一人で遊び、一人で見様見真似で仕事を手伝い、親の目が届かない分、マイペースにのびのび育った。村には仕事しかない。教育らしいものといえば、10日に一度、村はずれの教会で牧父の説教を聞くくらいだ。村の大人には牧父のもつ聖典を読み下すような教養さえない。そんな環境で育ったはずのイグナーツが、いつのまにか文字が読めるようになっている。村に行商人が立ち寄った時には金勘定で計算をして見せた。それどころか、魔術まで使う。


 去年の春ごろは例年より極端に日照時間が短くて作物の育ちが悪く、このままではまた飢饉がやってくると予想された。村では冬を越すための食糧確保をどうするか、配分はどうなるのか、何度も寄り合いで話し合われた。こういった話し合いは早ければ早いほどいい。危機感が共有されないまま冬を迎えたら、村人同士で惨劇が起こる。とはいえ村人たちが話し合ったところでこれといった名案が出るわけではない。重い空気の中、誰ともなく村長を禿げとののしり、村長が杖で殴り掛かって応戦し、騒ぎ疲れたら皆で酒を飲んで和解する。そんなプロセスを経ることで、四の五の言っても仕方がない、助け合おうという空気を醸成するのである。


 そんな寄り合いになぜかイグナーツは興味を持ってちょこちょこついてきた。いずれ若衆として参加することになる寄り合いなので、早めに見せておいたほうがいいかと思いついてくるのを拒まずに参加させた。奴は話し合いが終わって酒の席が始まると、幼馴染のリタの父親の隣でお酌をしながら接待した。


「お父さん、とてもいい飲みっぷりですね!」


「俺らぁおべんちゃらいう奴ぁは嫌いだ。」


「お世辞なんかじゃありませんよ!リタさんからいつもドルフさんの頼もしさ男らしさはうかがっております。お嬢さんを僕に下さい!」


 将来を見据えて、リタを口説き落とすのと並行して父親を懐柔しようとしている。それが12歳の子供のすることか。子供ながらにしらふで酔った大人の相手をするのが妙にうまい。止めに入るべきか悩むところだったが、こういう時は今でも面白いので遠めに観察することにしている。見守るのも親の務めだ。



「またそれか。おめえはえらく熱を上げてるようだが、娘のどこに惚れたんだ?言ってみろ!」


「おっぱ…優しいところです!」


「おっぱいか!優しい所か!どっちだ!」


「太ももです!」


「てめえ!この野郎!ませガキが!……まあ、太ももならいいか。」


「ありがとうございます!」



 毎回怒鳴られつつお酌をして、べろべろになってうやむやのうちに終わる。そういったやり取りを飽きもせず繰り返していたので、もしかするとリタはうちにお嫁に来るのかもしれない。そんな気にさせられる。リタとイグナーツは仲良くやっているようだし、可能性は十分ありそうに思える。このまま外堀を埋めて関係を発展させようという画策はうまくいくのかもしれない。それを狙って毎回、寄り合いに付いて来るのかと思っていたがそうではなかった。


 その年の夏が終わるころまで、イグナーツは村の農地の周りをうろうろして空に向けて手をかざしていることが多くなった。上空で何やら空気を動かす魔術を使っていたようだ。天候を操作していたのではないだろうか。雨や日当たりの操作をやりすぎていないか、または足りているか、寄り合いで大人たちが話し合うのを見て聞いて判断していたのではないか。そう考えるのは親ばかだろうか。村の奴らは子供の散歩など気にも留めていない。イグナーツがそんなことをしていたと考えてるのはたぶん俺だけだろう。奴自身も何も言わない。言っても信じてもらえないと思っているか、逆に余計なことをするなと怒られると思っているのだろう。だとすると、我々村の大人は信頼されていないのだ。


 同じころ、うちが耕している畑に隣接する農地が持ち主を失って荒地になりかかっていたのを、イグナーツが耕させてほしいと言ってきた。夏の終わりから耕しても作物を植え付けるのは秋ごろになるだろうと思われた。そのころに植えるちょうどよい作物は何かあっただろうかと思案していたところ、お使いから帰ってきたイグナーツは、良い香りがする球根を抱えて帰ってきた。それを植え終わった次のお使いの時には、押し車で肥料を持って帰ってきた。大白狼の糞を発酵させた肥料だという。それを冬のはじめと冬の終わり、春先に分けていい香りのする球根を植えた畑に分けてまいた。それを夏の前に収穫した。豊作だったといっていい。丸々と太った球根はやはりいい香りがして、肉料理によく合った。


 畑仕事はトライ&エラーだ。試しにやってみたことに一年かけて結果が出て、それに修正をかけてさらに試すとまた一年かかる。10歳から畑仕事を手伝って60歳で死んだとしても、試せるのはたった50回だ。自分の畑で責任をもってトライできるようになってからならさらに少ない。失敗したら食べるものがなくなるという重圧を常に感じながらでは、大きな冒険はできない。そんな中で少しずつ新しいことを試してやっとこさ成功させるのが常だ。俺が媚の七草の栽培に成功した時だってそうだった。初めて作った作物がいきなりあんなに収穫できるなんてまぐれにしてもできすぎだ。試しにやって成功したという感じではない。成功することをあらかじめ知っていたかのようだ。先の天候の操作にしてもそうだ。仮に天候を操る力があったとして、村の畑全体の収穫量を上げるような行いが果たしてできるだろうか。それを奴は数年の試行錯誤を経たりせず一発でやってのけた。イグナーツは普段通りに過ごしている。普段通りであることがどうしようもなく不自然に感じられる。もしかしたら、悪魔にでも憑かれているのではないか。


 イグナーツが変わった原因に心当たりはある。行かせている町へのお使いだ。町のスランツ商会へ月に一回、桃色の小瓶を2本届け空き瓶を2本受け取る。その途中でイグナーツは知り合った酔っ払いと仲良くなってお使いのたびに酒場で骨付きのお肉をごちそうになっているという。彼からいろいろ習っているのではないか。それにしても、月に一回会うだけで、読み書きに算術、ましてや魔術まで習っているとしたらどれだけ密度の高い講義なんだ。そんな事あり得るのか。二年近く酒場に入り浸っている彼は何者なんだろうか。話を聞く限りは毎回しょうもない世間話をしている様子だが。いずれにしろ、その御仁は息子の恩人である。もっと早くに会って礼を述べるべきだったのだろうが、できるなら町へ近づきたくはない。行けば町の入り口の検問で丹念な荷物検査を受けるだろう。万が一があってはいけない。子供のポケットの中に桃色の小瓶が二本あったとしても誰も気づくことができないだろう。虫や蛇の抜け殻が先にポケットから顔を出すからだ。それ以上探っても無駄だと思わせるには十分な量のがらくたが大人の詮索を阻む。そういう意味では、あの息子は無邪気な12歳の子供なのだ。少なくとも見かけ上は。町にひとりでお使いに行きたいと背伸びをしていたころはまだ普通の少年だった。あんなお使いにはいかせるべきではなかったのかもしれない。今からでも、もう行かせないほうがいいのではないか。


 こんなことをぼんやりと考え続けられる平和なひと時を過ごしていると、もう日が暮れかけていたようだ。目の前で家のドアが開き、イグナーツが満面の笑みで帰ってきた。何がそんなにうれしいのか。自分の畑での収穫でも喜ばなかった息子が、いったい何になら喜べるのか。


「聞いてくださいよ父さん!今日もリタのおっぱいが素敵だったんです!そしたら、そんなに見たいの?って訊かれたんですよ!これは、まんざらでもないって奴なんじゃないでしょうか!」


 あるいは、無邪気だったのは単に幼かったからで、ただこの二年で成長したというだけなのかもしれない。関心の中心が成長によってずれてきいるだけで、まっすぐに育っている。息子が何を考えているのかわからないなんて当然のことだ。親子といえど俺と息子は別の人間なのだから。


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