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錯乱簿ファンタジー  作者: 川月 仁
第一章 農村の少年
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1.少年と酔客


「この前の礼拝でね、牧父様がこの世界は神様が作ったって言ったんだ。」


 お髭のガルフリッドおじさんならきっとこの話をしても最後まで聞いてくれる。おじさんは、酒場ではガルフリッドさんとか、ほら吹き閣下とか呼ばれてた。パパやママは下の弟が泣き出したり、上の弟と妹がけんかを始めたらそっちに飛んで行っちゃうから、ゆっくりお話を聞いてもらえない。言いたいことにたどり着く前にいつもお話が途中で終わってしまう。牧父様と神様の話をするのはちょっと怖い。村のいたずらっ子のトビーが教会の大事な像におしっこをかけた時、牧父様がすごく怒った後に異端審問官がやってきてトビーのお父さんを遠くに連れて行ってしまった。トビーのお父さんは遠くで大事なお仕事をしているらしい。もう帰ってこないかもしれないってトビーは言っていた。牧父様を怒らせたからだって。ガルフリッドおじさんはいつも酔っぱらってるけど、ずっと笑っている。この前はガルフリッドおじさんのローブで鼻をかんだけど笑って許してくれた。きっと神様の話をしても怒ったりしない。今日も木でできた樽みたいなジョッキでしゅわしゅわ泡がはじけるエールを飲んでる。


「ふむ。聖典にもそう記されておる。牧父ならそう言うだろう。そういわぬなら牧父とは言えまい。がはははは!」


 ガルフリッドおじさんは何でも知っている。神様の話をしても怒らないのに、聖典の中身も全部知ってる。聖典は牧父様が持っているかっこいい本で、何が書かれているのか村の大人も知らない。だから十日ごとに教会の礼拝で何が書かれているのか牧父様が教えてくれる。ガルフリッドおじさんは何でも知ってて頼もしい。初めて会った時も、おつかいで迷子になってた僕を助けてくれた。あの時は一人で街にこれたのがうれしくて、市場の端から端まで冒険してたら帰り道が分からなくなってしまった。僕の村から町までは毎日往復の乗合馬車が出ていて、領主様がたくさんの騎士様で周辺のパトロールをしてくださっているから、盗賊や子盗りはめったに出ない。パパは10歳になったんだから一人で町までおつかいに行けるだろうって言ってくれたけど、入ったことない道をずんずん進んでたら覚えきれなかった。迷子になって失敗したなんてパパが知ったらもう一人でおつかいなんて任せてくれないかもしれない。このまま帰り路が分からなければ、もう家には帰れないかもしれないと思うと涙が出て、道の端っこでちょっと泣いてしまった。ガルフリッドおじさんはそんな僕の姿を見て心配そうに声をかけてくれて、迷子だと説明すると大声で笑って、近くの酒場で骨付き肉をごちそうしてくれた。おなかがいっぱいになって元気になった僕は、お礼にいつも一人でさみしくお酒を飲んでいるというガルフリッドおじさんの友達になってあげることにしたんだ。それからは町におつかいに来るたびに、一緒に街を散歩してこうして酒場で骨付き肉をごちそうになりながらお話をしてあげる仲になった。ガルフリッドおじさんは、髭のおじさんみたいな人について行って子盗りとか悪い人だったらどうするんだっていったけど、ガルフリッドおじさんが悪い人なら騎士様がやっつけているはずだから大丈夫だって言ったらいつも道理に愉快そうに笑った。


「でもさ、世界を作る前に神様がいるならもう神様がいる世界があると思うんだけど、その神様の世界を作る神様がいたのかな。神様の世界を作る神様の世界を作る神様もいたのかな。神様がたくさんになりすぎて困る気がするんだ。」


 教会で聞くお話の中には神様は神様しか出てこない。神様以外に神様を名乗るものがいたら悪魔なんだって聞いた気もする。だとすると悪魔だらけってことになるんだろうか。牧父様が一番詳しいんだろうけど、そんな話をしたらきっと牧父様は怒る。ガルフリッドおじさんならきっと何か知っている。知らなくても一緒に考えたり調べたりしてくれるだろう。世界の始めがどうなっているのか、考えだしたら怖くなって眠れない。夜に思い出しても大丈夫なように何か教えてくれるはずだ。


「つまり、イグナーツ少年はたくさんの神様がいることが問題だと思うのか?」


 そう聞いた後、僕が答える前にガルフリッドおじさんはエールをのどを鳴らしてごくごく飲んだ。本当においしそうに飲む。僕も大人になったら一緒に飲めるだろうか。始まりの秘密がわかれば、きっと神様がたくさん出てくることのない説明ができるはず。だから今は神様がたくさん出てくることじゃなく、世界の始まりがどうなったかのほうが大事だ。


「神様がたくさんあふれちゃうのも困るんだけど、それだけじゃなくて、いつまでたっても一番最初がわからないんだ。世界を作る神様の世界を作る神様の世界を作る神様の、って。どうする?」


 思わずどうする?って聞いちゃった。牧父様でもうまく説明できてないことを、同じ聖典の中身を知っていたとしてもガルフリッドおじさんが説明できるとは限らない。その場合、一緒に答えを探さなければならない。答えを探すといってもどうすればいいのだろう。ガルフリッドおじさんならどうするんだろうか。変な聞き方をしちゃっただろうかとガルフリッドおじさんを見ていたら、優しい目をして微笑んでいた。いつもなら大きな声で笑うのに。


「ではこうしよう。その皿の上にあるポワブロンを残さず食べたら、叡智を授けてやろうではないか。」


 しまった。ついお話に夢中になって油断してしまった。苦いこの野菜を無意識のうちに皿の端においやっていた。骨付き肉のおいしさにも集中しすぎたのかもしれない。家では限りある食料の中から家族が平等に分けて食べる。気を配っていても飢饉や凶作の年には食べ物が足りなくなる時がある。村で同い年のサーシャがいつの間にか礼拝に来なくなったのも、二年前の飢饉の年に冬を越せなかったんだと聞いた。あの時はうちでも食べ物がなくなり、すごくおなかがすいたのを覚えている。冬の終わりごろから春にかけての記憶はあいまいだ。あと2週間雪解けが遅ければ僕も生きていなかったかもしれない。


「ごめんなさい……」


 嫌いな食べ物でも粗末にすることは絶対に許されない。このポワブロンを食べなかったことで命を落とす未来があるかもしれない。食べておけば命がつながることがあるかもしれない。


「いや、お残しを咎めているのではない。少年よ、お前は幸運だ。」


「……運がいいの?」


 話の流れがよくわからなくて、聞き返してみた。運が良いとはどういうことだろう。戸惑っていると髭のガルフリッドおじさんはつづけた。


「左様。世界の始まりについて、訊けば答えを返してくるものは多くいるだろう。だが真に答えることのできるものは少ない。」


「牧父様でもだめ?」


「アリアス教の牧父でも、サダルス教の神師でも、ワスティタ教の聖職者でも、マハトマ教の僧侶でも、世界の始まりについて尋ねればそれぞれに答えを返してくるだろう。あれらは何万年もそのような問いに晒され続けてきたのだ。そのうえで今なお存続している。聞くものをそれなりに納得させ、疑いを持つ者の言葉によどみなく応じることができる。だが、それぞれの教えは別々のものだ。」


「嘘をついてるってこと?」


「嘘ではない。皆それぞれの教えを信じておる。欺こうとしているのではない。人が知り得ぬ物を前にしたとき、それを説明しようとして神話が生まれる。説明できぬものを説明せぬままに置いておくことは至極難しい。時とともに皆それぞれに説明し始める。それぞれの教えは違えど、みな同じものについて語っておる。そして強く信じてもいる。今日において皆が魔術を使えているのはそのおかげと言えよう。」


 その答えにちょっとがっかりしてしまう。じゃあ、やっぱりわからないんだ。わからないということが分かった。無駄に考えなくてもよくなってしまった。でもやっぱり煮え切らない。果たして運がよかったといえるのか。もやもやした気持ちのまま苦い野菜を口に運んだ。


「そっか。じゃあ誰も知らないんだね。みんな信じたいものを信じてるんだ。その気持ちちょっとわかる。」


 寝る前に世界の始まりについて考えてしまったときには、何か他のことを考えてごまかそう。僕が少ししょんぼりしていると、髭のガルフリッドおじさんはエールを飲み干してお代わりを注文し、楽しそうに笑ってた。僕は少しずつ皿の上の緑色を減らしてその苦さにさらにしょんぼりした。



「落ち込むにはまだ早いぞ。真に答えることのできるものは少ないが、居ないわけではない。」


「でも、牧父様でもダメなんでしょ?」


 また話がぐるぐる回りだしたような気がする。ガルフリッドおじさんは酔っぱらっているので同じ話でぐるぐるすることがよくある。そういうのを昔の賢者のお話から”カン・ペーハ・ザマの慟哭”っていうんだってパパから聞いたことがある。あれは酔っぱらったからじゃなくて歳を取ったからぐるぐるしてるっていう話だったと思うけど、きっと似たようなことなんじゃないかな。思い出しながら最後のポワブロンを飲み込んだ。


「時として酒場の酔っぱらいが立派な牧父より詳しいこともある。」


「おじさんは知ってるの?世界の最初がどんなだったか。」


「いかにも。故に幸運なのだ。少年は世界の本質に迫る問いを立てた。そして、問いに答えうる余からその答えを得ようとしている。千載一遇のチャンスといえよう。」


 おじさんは得意げに言ったが、真顔で冗談を言ったり笑いながら大事なことを言ったりするから油断できない。僕がもう怖がらないように冗談を言おうとしているのかもしれない。僕はコップの水を飲んで口の中の苦さをさっぱりさせておじさんの次の言葉を待った。


「二つだ。」


 おじさんは指を二本立てて言った。


「二つ?」


「そう、二つだ。一つには、牧父が語るであろう説教を余の口からしてやることもできる。その場合、少年は少しアリアス教の教えについて詳しくなる。疑問は完全に解消されないかもしれないが、一定の納得を得て今まで通り村で生活することができるだろう。

 もう一つには、数多の教えが語ろうと試みたが語りえなかった世界のありのままの姿について伝えることができる。この場合、受け取り方いかんによって少年の人生は大きく変化するであろう。

 牧父の語る世界と、我が叡智、どちらを望む?」


 すごく大事なことを選ばされているような気がする。どっちがいいのか、全然わからない。どうやって選べばいいんだろう。おじさんのお話はいつも面白かったけど、いつも難しくて、でも半分くらいは理解できてた。今回のこの問いは全然わからない。牧父様が言うようなお説教なら後で牧父様に聞けばいいかもしれない。でも聞き方を間違ったら牧父様が怒って異端審問官にお父さんを連れて行かせてしまうかもしれない。文字を勉強して聖典を読ませてもらうというのはどうだろう。それができるとすれば、今はおじさんしか知らない叡智っていうのをもらったほうがいいかもしれないけど、人生が変わるってどういうことだろう。


「今は牧父様の説明を教えてもらって、お大人になっていろいろなことが分かるようになってから、おじさんの話を聞くかどうか決めちゃだめかな?」


 欲張りな答えだと思う。でも今決めてしまうのは怖い。おじさんも都合のいいやつだと呆れたかもしれない。怒られるかなと思っておじさんの顔を見たら、意外にも満足そうに笑っていた。


「良い答えだ。だが駄目だ。どちらかに決めなければならない。選択を先延ばしにすることはできるだろうが、しかし大人になった頃に余を探すには骨が折れよう。」


 ガルフリッドおじさんはたぶん旅人だ。長くこの町にいてお使いのたびに会うからずっといるの気がしていたけど、きっといつかは次の町に行ってしまう。そうなったらもうおじさんには会えなくなるのかもしれない。はじめておじさんがいなくなるかもしれないということについて考えた。僕とは友達だからいなくなる前にはお別れを言ってくれると思うけど、おじさんは不思議な人なのでそんなこと気にしていないかもしれない。


「やっぱりだめか……」


 そうなるとどうすればいいんだろうか。僕がもっと賢ければいろんなことを考えて、ちゃんと選ぶことができるのに。わからないことが多すぎてどうすればいいのか全く分からない。


「そんな顔をするな。愚かな者は安易に即断するであろう。選択を正しく恐れ、悩み、これから来る別れに思い至り悲しむことができるというだけで少年は十分に聡い。胸を張るがよい。」


 牧父様はずっと村にいるだろう。居なくなっても牧父様が教えてくれるのはアリアス教の教えだから後からでも調べるチャンスはありそうだ。おじさんと話せるのは今のうちだけかもしれない。きっと今聞かなかったら後からずっと気になってしまうだろう。看板娘のお姉さんが、お待たせしましたと微笑みながらゴート山羊のホットミルクを僕の前に置いた。空いた皿を下げるためにお姉さんが前かがみになったとき、大きな胸が目の前にきて僕の目は釘付けになった。


「その(ちち)や良し!」


 おじさんがお姉さんのおっぱいを褒めた。ガルフリッドおじさんの目もまた釘付けになっていたんだ。


「だめですよ、ほら吹き閣下。小さな子をいじめてないで、たまには私の相手もしてくださいね。」


 お姉さんはにこやかに言いながら回収したお皿とともにテーブルの間を歩いていく。これがまんざらでもないというやつなのか。ほかの男性客が、俺が相手してやるよと声をかけたけど、お姉さんは下をペロっと出して手をひらひらさせながらカウンターの奥へ消えていった。僕はホットミルクをゴクリと飲んで、そして決めた。


「じゃあ、決めた。おじさんのお話を聞かせてよ。」


 僕の答えを聞いたおじさんは頷いてゆっくりと右の手のひらを前に突き出して言った。


「よかろう。愚者は大いに笑い賢者は苦悩する。行いと選択により資格は示された。最果てにおいて最も愚かなる者の名を以って小さき者イグナーツを十八番目に賢き者と認め叡智を授ける。」


 おじさんの右手の先がぼんやりと光った。そのまま右手の先、中指のあたりが僕のおでこにちょんと触れて離れると光が消えていた。すると、僕はすべてを理解した。ありのままの世界が見え、目の前の景色がその姿を変えた。時を一方向の流れととらえるから世界の始まりなんてものを想定しなければならなくなる。世界の端がないように世界に始まりなどなかった。世界と時のすべてが見えた。あらゆる不思議が不思議ではなくなった。代わりにあらゆる不思議がその魅力を失った。知りたいことの順位が消えた。やりたいことの順位も消えた。動けない。動く意味がない。あまねく物事の意味が消失しようとしていたころ、おじさんの左手が僕のおでこに触れた。


「近傍において最も賢き者の名を以って小さく十八番目に愚かなるものイグナーツへ愚かさの冠を授ける。」


 その声が聞こえたとき、指が動くのが確認できた。日が西に傾いていた。世界が彩を取り戻し、おなかがすいているのを感じた。おじさんが骨付き肉のお代わりを頼んでくれいていたようだ。また看板娘のお姉さんがお皿を運んできてくれた。テーブルにお皿を置こうとお姉さんが前かがみになったとき、また視界のすべてがおっぱいで埋まった。


「どうだ。すごかろう。それが世界のすべてだ。」


 真顔でそういうガルフリッドおじさんは、相変わらずどこまでが本気なのか分らなかった。



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