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07.香子先輩の手作り弁当


膝に乗せた弁当箱のふたを外し、横にずらすと中身があらわになる。

白日の下にさらされた香子先輩の手作り弁当。その状態は――


「思ってたほどじゃないわね」

「ですね」


 のぞき込んでいた僕たちは、中身の無事を確かめてうなずき合う。

 あんな衝撃を加えられた弁当の内部がどんな有様になっているか不安だったが、意外にも原形を保っていた。


 唐揚げに卵焼きに何かのきんぴら。おかずの配置は崩れていないし、おにぎりの入った箱の方は作りたてのように整然と並んでいる。上蓋に多少くっついているが、これくらいは許容範囲だろう。


「詰め方が上手だったから、多少の揺さぶりでは崩れなかったんですね」

「普通に作っただけよ。レシピどおり普通に。特別なことは何もしてないわ」


 香子先輩はやけに普通をアピールするが、たぶん相当気合を入れて弁当を作ったのだろう。安堵からか口元が緩んでいる。


 この一件の喜ばしいところは、香子先輩が気合を入れて弁当を作った結果、きちんとした弁当が出来上がったという事実である。


 つまり、香子先輩は料理ベタではなかったのだ。


 料理ベタという無駄な属性持ちの人間は、どれだけ時間をかけようが、気合を入れようが、労力をつぎ込もうが、ダメな料理しか作れない。香子先輩がそうではないことがわかってひと安心である。

 偏見かもしれないが、あまり料理が上手じゃなさそうなイメージがあったので。


 ――いや。きちんと味を見るまでは、決めつけるのはまだ早い。

〝見た目はきれいだが味がダメ系の料理ベタ〟である可能性が残っている。


「それじゃあいただきます」

 

 まずは唐揚げから。

 スーパーやコンビニで売っている凡百の唐揚げと同じように扱ってはいけない。いつもより丁寧に箸でつかみ、舌の上で転がすように咀嚼して、香子先輩の手作りを食しているのだという事実を噛みしめながらゆっくりと飲み込んでいく。


「揚げたてのサクサク感こそ失われてますけど、ほどよい歯ごたえと濃いめの味付けで、冷めていてもおいしく食べられる、見事な調理だと思います」

「普通に作っただけよ、でも、実際にそう言ってもらえるとホッとするわ」

「じゃあ、次は卵焼きを」


 続いて卵焼きへと箸を伸ばし、無言でいただく。

 しっかり噛んで飲み込んだあと、あふれてくる想いを冷静に言葉へ変える。


「お箸でつまむとぷるんと揺れる、薄黄色の可愛いやつですね。口に入れるとほとんど抵抗なく噛み切れてしまうやわらかさは、冷えてもなお健在。味付けはシンプルであっさり目ですが、これは唐揚げで脂っこくなった口の中への配慮ですね。料理単品だけではなく食事の流れにも気を配った繊細な味付けには脱帽です」


「どうしたの? ちょっと変なスイッチ入ってない?」

「きんぴら行きます」


 箸で取るとき、唐揚げや卵焼きよりも慎重さを欠いてしまったのは事実だ。

 だって、きんぴらといえば主役になれない弁当の脇役、いつも片隅に配置されるおまけのような存在である。扱いが雑になっても仕方がない。だが――


「このきんぴらはただの脇役ではありませんね」


「そうなの?」


「――いや、脇役には違いないんですが、こいつにはプライドが宿っている。主役に追いやられて脇役になったのではなく、脇役を全うする覚悟を持っているとでもいうのか。『こういう役目も必要だろ?』とニヒルに笑うベテラン役者のような、いぶし銀の存在感があります。シャクシャクしたレンコンと弾力のあるこんにゃくが混然一体となった食感、これは一朝一夕で出せるものじゃあありませんね……」


「それ、冷凍食品を自然解凍したやつなのよ」


「近年の冷凍食品の進歩は目覚ましい。一朝一夕ではない企業努力の結晶を、僕たちは味わっている……」


「キミってそんなに口が回る子だったのね」


 香子先輩はこちらの話を聞き流しながら、淡々と箸を動かしている。


「単品でもおいしいですけど、これらが一つの箱に入っていることにも意味がありますよね。まるで数式みたいだ。これとイコールで結べるほどの価値のあるものが、この世にどれだけあるか……」


「こっちのおにぎりがほしいって遠回しに言ってるの?」


 二段重ねの弁当の片割れ、おにぎりの詰まった箱を差し出す香子先輩。


「……いいんですか?」

「いいも何も、ただのおにぎりよ。具も入ってないし、そっちのおかずに比べたら手間はかかってないわ」


 かけた労力という意味では、確かにおにぎりはおかずに劣るのかもしれない。だけどこれは香子先輩が手ずから握ったおにぎりなのだ。そのしなやかな指が触れたご飯粒の集合体なのだ。もはや香子先輩の分身といっても過言ではない。


「そんなことはないですよ。やっぱり違うんです、おにぎりっていうものには、人の手から伝わる温かさが宿っているような気がするんです」

「温かさ、ね。……伝えたかった相手にはもう届かないとしても?」

「どのみちご飯は冷えているので、すべては受け手の気分次第ですよ」

「キミねぇ……。ま、そう思うなら好きにしなさいな」

「もちろん有り難くいただいてます」

「調子がいいんだから」


 香子先輩は軽くため息をついて、ふたたび箸を動かし始める。


 呆れられてはいるようだが、少なくとも怒ってはいない。

 今はそれで十分だった。

 嫌なことを思い出して落ち込むヒマもないくらい、呆れてくれればいい。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 人というのは腹が満たされると眠気が来るようにできている。昼食後は特にだ。


 弁当作りで早起きをしていた香子先輩の陥落は早かった。

 食後すぐに舟をこぎ始め、数分が過ぎる頃には完全に寝入ってしまう。


 先輩を起こさないように、静かに席を立つ。


 寝顔を眺めるチャンスを捨ててまで離席したのは、これからのやり取りを聞かれたくないからだ。車両の連結部のスペースでスマホを取り出して電話をかける。


 居眠り美少女を一人きりにしたままでは不安なので、ドアの小窓からそっと見守りつつ待ち続けていると、やがて、


『……おう』


 元頼れるキャプテンの倉知高明先輩は、その肩書きからは程遠い、ダルそうな声で電話に出た。

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