03.香子先輩と彼の街まで
「いけないことしてるわね、わたしたち」
窓の外を眺めながら香子先輩が言った。
土曜日の早朝。
ゆっくりと遠ざかっていくホーム。
僕たちは特急列車のボックス席に向かい合わせで座っている。
遠恋中の彼氏の浮気を疑う香子先輩に「だったら会いに行けばいいじゃないですか」と提案した結果――僕たちは彼氏の住む街へ向かうことになった。思いがけない二人旅に、正直、心躍っている。
「思わせぶりなこと言わないでくださいよ。単に部活をサボっただけじゃないですか」
「わたしとキミがそろって来てないって気づかれたら、変な噂が立つかもしれないわね」
「香子先輩がいないのを気にする人はいるでしょうけど、そこに僕の不在を結び付けて考える人はいないと思いますよ」
「ふぅん、そう?」
短くつぶやくと、香子先輩はまた窓の外に視線を向けた。
ベージュのワンピースにネイビーの上着というしっとりコーデと相まって、非常に絵になる横顔だった。良家のお嬢さまのお忍び一人旅といった趣。
ガタンゴトンと車輪が鳴って、架線の影が過ぎていく。
「ふぁ……」
良家のお嬢さまがあくびをした。
大きく開いた口元を手のひらで隠して、じろりとこちらを睨む。
「見た?」
「楽しみで眠れなかったんですか?」
「ちゃんと寝たわよ。これを作るために早起きしたから」
香子先輩は隣の席に置いてあるバスケットにポンと触れた。
「……弁当ですか?」
「遠恋中の女子高生彼女が直接持っていく手作り弁当、よ」
属性盛り盛りの訂正を入れてから、またあくびをひとつ。
「先輩って料理するんですね」
「いつもはしないわ、特別なときだけ」
「特別な相手ですしね」
「そういうことよ」
香子先輩はバスケットを撫でながらほほ笑んでいる。楽しそうで何よりです。
ただ、僕ではない男のことを想いながら浮かべる笑顔というのは、直視するにはまぶしすぎる。急ブレーキの反動で弁当が吹っ飛べばいいのに、と少しだけ思った。
「だけど……」
そんなネガティブ思考がバレたわけではなかろうが、不意に、先輩の表情がスッと凪いだ。夢から覚めたかのような表情。
「え?」
「作ってるときは何も考えてなかったんだけど、いざ完成して冷静になってみると、手作り弁当なんて重いだけなんじゃないかしら」
「しかも片道3時間のウーバーですしね」
とさらに重い現実を付け加えると、香子先輩は目を伏せた。
「……わたしが同じことをされたら、きっと引くわ。病みを疑うレベルね」
「ヤンデレを好む人間もいるので」
「それはあくまでフィクションとしての嗜好品でしょ。リアルでそういうのはちょっと」
「まあ高明先輩の趣味はともかくとして、喜んでくれると思いますよ。試合で弁当持参のときとか、作ってくれる彼女が欲しいって言ってましたし」
「ふぅん、そんなこと言ってたんだ。同じ学校に通ってるあいだに、作ってあげればよかった」
遠くを見るような茫洋とした表情で、香子先輩はつぶやく。
記憶の中の高明先輩に、手作り弁当を振る舞う妄想でもしているのだろうか。
「……ふあ」
穏やかな想像が眠気を誘ったのか、香子先輩が再びあくびをする。
「寝ててください。乗り換え駅に着いたら起こしますから」
「キミは大丈夫なの?」
「娯楽があるので」
文庫本を取り出してページを開く。
「じゃあ、お言葉に甘えて」
香子先輩が目をつむると、数分ほどで寝息が聞こえてくる。
僕は小説の文字列に没頭するふりをして、表紙越しに香子先輩の寝顔を眺め続けた。そういう娯楽である。