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02.香子先輩は浮気を疑っている

「わたし、浮気されてるかもしれない」


 香子先輩は憂鬱そうに言った。

 予想していなかった告白に、反応が少し遅れる。


「……高明先輩が、浮気してるかもしれないってことですか」

「そうよ」


 香子先輩はうなずくが、にわかには信じられない。


 高明先輩はバスケ部のOBで、前年のキャプテンだ。強いリーダーシップで部員を引っ張ってくれたが、上から押さえつけるようなタイプではなく、むしろみんなの声をよく聞く人だった。


 チームが強いのはみんなの力だ、俺は何もしてない――そんな風にいつも謙遜していたが、高明先輩がキャプテンだったからこそ、みんなの力を引き出せたのだ。僕は今でもそう思っている。


 だから。

 そんな高明先輩の浮気を疑う、香子先輩への返事はこうだ。


「勘違いじゃないですか? 高明先輩はそんな不実な人じゃないですよ」


 香子先輩に反論するのはつらいが、理性が出した結論には従わざるを得ない。


「何よ。わたしよりも高明を信じるっていうの」


 香子先輩はムスッとした顔になる。すぐ感情が顔に出るところなんて意外と子供っぽい。先輩のクールなところに憧れている女子たちが見たらどんな反応をするだろう。


「証拠――じゃなくて、何かそう感じるきっかけがあったんですか?」

「高明ってあんまり女子慣れしてなかったでしょ」

「女子慣れとかはともかく、香子先輩が初めての彼女だったんですよね」

「ゴールデンウィークにね、高明が帰ってきてたんだけど」

「よくある帰省のタイミングですね」

「そのときに、なんていうか、その……、上手に扱われたっていうか」


 香子先輩はテーブルの上で指を絡ませて、視線をそこに落としている。心なしか頬が赤くなっているような気がする。なんかもじもじしている。

 上手に扱われたって、そういう……、性的な意味?


「な、仲がよろしくて良いことじゃないですか」

「良くないわよ、どこで練習したのかって気になるじゃない」

「練習……」


 と僕は繰り返す。

 些細なことかもしれないが、練習という言葉を選ぶあたりに自信が表れているなと思う。自分こそが本番であり、それ以外の女は練習相手に過ぎないのだと、無意識に考えているのだろう。

 バスケでもそうだ。

 自分の能力に自信があるからこそ、自分にボールを回すよう要求したり、取れるか取れないかのギリギリのパスを出したり、難しい状況でもシュートを打てたりするのだろう。


 それにしても、先輩たちの情事の事情なんて聞きたくない。

 気まずいし、精神的にも堪える。

 話を変えたい。変えよう。


「ええっと……、他に何か変わった点はないんですか」

「メッセージへの反応が鈍いわ」

「既読スルーとか?」

「最近は既読すら遅いときがあるの」

「なるほど……」


 いちおう頷いておくが、僕はあまりメッセージのやり取りをするような相手がいないので、いまいちコトの重大さがわからなかった。


「浮気を疑う兆候は、そのくらいですか?」

「細かい違和感はいくつかあるけど、大きいのはその二つね」

「それで、どうするつもりなんですか」


 あるていど事情がわかったところで、そう尋ねてみる。

 彼氏の浮気に気づいた彼女は、いったいどういう行動を取るだろうか。


「それなんだけど……、どうしたらいいと思う?」


 香子先輩は背中を丸めて肩を落とし、今さら内緒話でもするみたいに、テーブル越しに顔を近づけてくる。


「こういうときって、はっきり言うべきなのかしら。それとも、しばらく様子を見た方がいいの?」


 彼女がいたためしのない僕には難しすぎる問いかけだった。

 訊く相手を間違えてしまったら、どれだけ簡単な問題でも難問になる。


 それでも、頼られているのだから堂々と答えよう。

 間違えてても知りませんよ。

 

「まだ容疑の段階なので、いきなり浮気したのかって聞くのはどうかと思います」

「そうよね……」

「でも、疑問を放置したままだと先輩の気分が晴れませんよね」

「そうなのよ……」


 香子先輩の気持ちに軽く寄り添ったところで、本題に入る。


「先輩の悩みには、根本的な問題があると思います」

「根本的な問題?」

「はい、それは、どうして疑ってしまうのか、ってことです」

「高明が疑わしい行動を取るからでしょ」

「それ以前にどうしようもないハードルがあるんですよ」

「……何?」

 香子先輩は首をかしげる。

「距離ですよ。近くで見てないから不安になる」

「仕方ないわよ、遠恋なんだから」


 勿体もったいつけた割に当たり前すぎる理由だったからか。

 香子先輩は首をかしげたまま、呆れ気味にため息をつく。


「だから、もういっそのこと、会いに行けばいいんですよ」


 僕の提案はシンプルだった。

 会って話す。それだけだ。

 効果は確実にあるだろう。香子先輩が抱えている不安は、直に顔を合わせなければ解消できないものなのだから。

 もちろん、不安が的中していて、見たくなかった現実を直視してしまう危険もある。それでも、


「知らないまま浮気され続けるくらいなら、現場を押さえてやめさせる方がまだマシじゃないですか?」


 思い悩んでモヤモヤするよりも、行動に出てスッキリする方を選ぶのが香子先輩だ。その性格を踏まえた一押しすると、顔を上げてうなずいた。


「現状維持よりはずっと前向き、か……。わかったわ、採用」


 気に入ってもらえたようで何より、とこっちが安心していると、続けて妙なことを言い出した。


「次の休みだと、土曜か日曜ね。キミはどちらが都合がいい?」

「へ? ……なんで僕の都合を聞くんですか」

「決まってるでしょ、付き添いよ」

「付き添い? 僕が……?」

「キミの助けがほしいの」


 反応の鈍い僕へ向けて、先輩が右手を差し出してくる。

 かと思うと、すっと引き戻して、薄い胸元に当てた。


「わたしは不運の星の元に生まれついているから」

「不運というと?」

「乗り換えでいつも反対の列車に乗ってしまうのよ」

「それは不運じゃなくて不注意です」


 思わず素で突っ込んでしまった。


「……友達とかじゃだめなんですか。僕と一緒だと変な誤解をされるんじゃ」

「誤解?」


 香子先輩は首をかしげる。

 わかっているくせに言わせようとしている顔だ。


「僕も一応男子なわけで、彼氏持ちの香子先輩と二人で出かけるのは――」

「わたしは女子の友達がいないの」


 香子先輩はとても悲しいことを、どこか誇らしげに言い切った。


「じゃあ男子は」

「同行希望者をつのれば、叩き放題のモグラのように飛び出てくるでしょうね。だけど、そんな下心まみれの連中、それこそキミの言う〝変な誤解〟の元になっちゃうでしょ」

「……まあ確かに」


 うなずきつつ考える。

 僕はそんな下心まみれの連中とは違うと思ってくれているのだろうか。それとも僕の気持ちなどとっくに気づいていて、その上で、問題なく受け流せると考えているのか。


 同行者に指名されたことはうれしかったが、それを表に出すのはちっぽけなプライドが許さない。


「はあ……、わかりましたよ」


 そんな風に渋々ながらの体で返事をすると、


「……ん」


 そこでようやく、香子先輩は口元をゆるめた。


「――お待たせしました、ミルクティーのお客様」


 僕たちのやり取りがひと段落するのを見計らったようなタイミング。

 メイド服の店員さんがアイスティーのグラスを持ってきて、僕の前にそっと置いた。

 しかし僕は何も注文していない。

 

「いや、僕は……」

「わたしのオゴリよ」


 香子先輩は気前よく言うが、喫茶店の飲み物は高い。自販機の缶ジュースとはわけが違う。

 簡単におごられるのはちょっと……、と迷っていたら、続けて理由を上乗せしてくる。


「口止め料よ。だから」

 唇の前で人さし指を立てて、

「わたしが彼氏の浮気であれこれ悩んでたってこと、誰にも言わないように」

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