第九話 夜摩篷家の事情と応雷の事情4
碧の作った夕食を終え、三人でリビングのソファーに並んで座り、特に訳も無くテレビをつけ、日〇百名山を視聴する。
それこそ特に訳も無く、幸せな一時だった。
三者三様に今後のことを口に出さずに考える。
(ラハムも思ったよりも居心地のいい子っスね。今のところは応雷しか眼中にない感じっスけど、一緒に生活していれば私のことだって、嫌でも目に入るようになるっス。この子に好かれるかどうかは、その時までが勝負っスか)
共同生活を送る以上は、ただ幸せだなあとばかりは言っていられない。互いに気を使い合わなければ、一緒には暮らしていられないものだ。
気の置けない仲とは、自然体で気を使い合える仲ということだろう。碧は自分にはそれを課すが、ラハムからそれを要求するつもりは無かった。
碧がラハムから受ける感じでは、この子は疲れない範囲で碧に気を使う様子だった。それも応雷から来る遠慮の様で、この子自身には碧に生活の面倒を見てもらう事に対して、媚びる気配はなさそうだ。
碧にとっては、ラハムのそういう気風の良さは好ましく、この子の居心地の良さの理由とも言えた。儚い印象とは違い、中々に気の強い少女である。
(で、これからどうしたもんスかね)
応雷が訝しがるように、碧は、応雷やラハムの正体や抱えている事情、彼らの背後に何があるのかについては、全く関心が無かった。
あるいは自分で意識的に、それらに対する関心を断ち切っているのでもあろうか。
昨日、襲い掛かって来たムシュフシュその物のみならずその背後にも、何か巨大な存在が控えている様子が、ハッキリとうかがえる。
このままだといずれ、碧までもその存在に飲み込まれることは、確実だろう。だからこそ応雷も、そうなる前にこの街を出て行くと言っているのだろうし、碧もそれを覚悟すると約束している。
碧は所詮、高校二年生に過ぎない。この先の自分の人生、将来どうなっているかなど、まるで見通せるはずも無い。
それでも碧は、今この瞬間の幸福が、永遠のものになってくれるよう、切に願っていた。
(なんだろう、コレ)
ラハムは今、応雷がここしばらく感じていた途惑いと、同じ感傷に囚われている。これまでの自分の知る仲間たちとは、根本的に碧は違っていた。
(何が、違うのだろう。碧………、まるでオウライみたい)
これまでの仲間たちの中で、応雷だけが、ラハムにとって特別な存在だった。だからこそこうして、他の仲間たちも、今まで従っていた彼の者達も裏切り捨てて、応雷の元に駆け付けたのだ。
だが、自分は応雷の何を特別視していたのか、それを考えたことは無かった。
ただ、ムシュフシュから碧の存在を聞き出した時、その少女も恐らく自分と同じような感情を応雷に対して懐いたのだろうと、漠然とした意識でそう思った。
その思いは、ラハムを突き動かさせた。即座に碧という少女を探り出し、応雷を取り戻さなくてはならないと、ラハムを駆り立てたのだ。
そしてその場に応雷自身が現れて、自分より、他の全てより、碧を選んだと知り、ならば自分も全てを捨ててでも、碧から取り戻せないなら自分も碧を受け入れてでも、応雷のそばにいることを望んだのだった。
その時点で、碧はラハムの敵わぬ敵でしかなかった。
だが、応雷と一緒にラハムを待つ間、帰って来た碧と碧の家族に会いに行った時、再び戻って碧と夕食を共にする際、今こうして三人でくつろいでみると、碧の存在も、応雷と同じく、ラハムの中で特別な何かになっていた。
ここに至ってラハムは、応雷の何を特別視していたのか、碧の何が自分にとって特別なのか、それを考えずには済まされなかった。
いくら考えようとしても全く思考の進まないその問いが、ラハムにとって幸せだった。
(さて、これからどうすっかなァ)
応雷が心の底から願うのは、今この時の様な生活をあと何十年も続けたい、という願いだった。
(まさか俺にこんな生活がかなうとはねえ)
応雷が、天命に抗い、かつての仲間を捨てて逃亡し、追って来た彼らの一人を倒してまでも手に入れたかったもの。
それが何だったのか、それを手に入れたこの瞬間に至って、ようやくはっきりと分かったのだった。つまりは元々は、何を求めてそこまで踏み切ったのか、確信も無く行動したのだった。
(それでもそれは、間違っていなかった)
(ヤツラが運命を司っているってのは、ハッタリか。碧に出会えてこの生活に巡り合えたのは、ヤツラの思惑違いのはずだ)
(そうだな、かなうことならこのままここで何か適当な仕事でも見つけて、普通の日常ってやつをこの先ずっと続けて行ければな)
もちろん応雷も、なんの障害も無くただ幸福だけが永遠に続くと楽観できるほど、おめでたい人生を送って来てはいない。
だが、今までの応雷の過酷な半生は、普通の日常の中で起こる程度の困難など、幾らでも乗り越えて見せる、という自信の裏付けにもなり得るものなのだ。
そうだ。
彼は日常の中で過ごす人々には、あり得ない世界からの逃亡者だ。
(あの非日常の生活へは、絶対に戻りたくねえ。けど、ただここで安穏とした生活を過ごす限り、ヤツラの定めた天命からは、絶対に逃れられない)
(確かに今ここでの生活が永遠に続くなら、たかが何十年かの永遠にせよそれがかなうなら、それ自体が天命に抗うことになるだろう)
(そいつを俺だけでなく、かつての仲間だった異形の獣たちにも教えてやれれば)
ラハムのように。
(だがヤツラがそれを許すはずがない)
どうする。
応雷は考える。
ヤツラは応雷の知る限りどれだけのことが出来るかを。
応雷にとて、異能の力はある。
他者から生体エネルギーを奪い取る以外にも、ムシュフシュとの闘いで見せたような超常の力を、、使いこなせる。
しかしヤツラは―――――
(ヤツラの言う天命ってのは、俺たち十一体の異形の獣、異形の魔神を抹殺することだからな)
(自分の中でずっと認めまいとして来た事だが、結局俺は、ヤツラに殺されるのが怖くて逃げ回っていただけなのか)
(挙句、連れ戻しに来たウリディンムを、自分の方が殺してたんじゃ、卑怯者もいいところだな)
(俺たちが死んだ後で、碧はどうなるんだ。取り残されて元の生活に戻るだけか)
(それ以前に、ずっと気になってたコトが一つある。ヤツラ――――)
人類を滅ぼすつもりじゃねえだろうな。
(まともに考えたことは無かった。ヤツラの技がどれだけ強大でも、人類の実力はすでにヤツラすら超えていると思っていたからな)
(核兵器やらの近代兵器を備えた人類に、幾らなんでもまともにかち合って敵うはずが無い)
(だが、ヤツラは気象をコントロールし、洪水を引き起こし、地殻変動を呼び起こしと、地球環境を支配できる)
やり方次第じゃ、人類滅亡も不可能じゃねえ。
(俺たち異形の獣を抹殺することで、ヤツラの力はさらに強大になっていく。人類滅亡以前に俺もこのまま殺されて死ぬつもりはない)
(碧のいるこの人類社会を破滅させる意思がヤツラにあるなら、なおさら絶対に阻止しなけりゃならねえ。そのための方法はある。今度こそ…………)
(マルドゥークに今度こそ勝つ)
それは結局、ヤツラによって命を与えられた彼ら異形の魔神たちが、ヤツラの思惑通り抹殺される覚悟で、ヤツラに戦いを挑むということ
(また結局、振出しに戻って天命に従うことになるだけだな)
だがそこには、以前とは違う決意もある。
(こんな話、まともなヤツなら信じるはずが無い。が、話すだけは話してみるか)
「碧には」
「ん?」
「碧、この世界と神様の秘密、聞いてくれないか」
明日 投稿休みます。次話投稿、明後日に予定しています。