第七話 夜摩篷家の事情と応雷の事情2
碧の通う高校は、おおよそ地元の周辺中学から進学する者がほとんどで、大体の生徒が一年もたてば皆顔見知りである。
特別仲のいい同級生もいないが、格別嫌われる相手もいない、当たり障りの無い学生生活を過ごして来た碧。
とは言え、始業式の後、直行で学校の裏山へ登り、街と校舎の全景を眺めに行く風変わりな生徒でもある。
それでなくても碧の容姿は人目に付きやすい。
三十年前には田舎者しか住んでいなかった街である。
街の住人の多くが他県から移り住んだ人たちではあっても、洗練された空気というか、あか抜けた土壌的な物が培われてはいない土地で、碧の様な都会的な見てくれは、否応なく目立つ。
皆、仲間には加えたいが積極的には動きにくいという立ち位置の碧に、気にはしつつも(特別親しくは無い)ただのクラスメートとして接していた。
そんな関係の同じ高校の生徒達が集まり出した登校路上で、一人、妙な少女が碧に近づいて来た。
不思議な少女だった。年齢は恐らく碧と同じくらいだろう。背丈は小柄な碧よりさらに五センチばかり低いか。真っ白で腰まで届くほどの、細いが豊かな長髪をしている。
何よりその、印象というか雰囲気。
碧よりなお、精緻で秀麗な容貌ながら、碧の様な快活な生気が感じられず、その容貌でありながら存在感が極めて希薄なのだ。
「儚い」という単語で言い表すのが良く合っている。肌も髪と同じく透けるように白い。
碧は最初、その少女に気がつかなかった。
登校中もずっと気に掛けていたのは、今朝の家族会議などでは無く、マンションに一人残して来た応雷の事だ。
(応雷はそこに居れば襲われないって言ってたっスけど、本当に大丈夫っスかね。早く授業終わってくれないもんスか)
などと考えて、周りが目に入らなかったのだ。
「あの人を返して」
突然耳に届いた声にも、自分が話しかけられたとは思わず、それでも我に返り声の方に顔を向け、初めてその少女を意識に捉えた。
「?」
「あの人を返して」
今度こそ自分に向けて話しかけられたのだと気づく碧。
知り合いでは無い。そもそも高校の制服を着ておらず、真っ白な無地のワンピースを着ている。希薄な存在感ながら、周囲の生徒たちの注目を浴びている。
「あの人を返して」
三度も同じセリフを繰り返し掛けられた。周囲の注目は、碧とこの真っ白な少女に注がれる。
「あの、誰っスか」
碧自身、今のセリフは、この少女が誰かと問いかけたのか、返して欲しいあの人とやらが誰かと問いかけたのか、明確には分かっていなかった。
(とは言っても、あの人って確実に応雷のことっスよね。この子とどういう関係っスか)
その頃、罪作りな応雷は、
「平日の朝って面白い番組ねーなー」
完全にだらけていた。
「こうしててもしょーがねーし、他の連中の気配でも探るか」
寝そべっていたソファーから半身を起こしあぐらを組む。完全に一休少年が頓智をする時のポーズだ。その瞬間、空気が張り詰める。応雷の感覚神経網が街中に拡散して行く。
(もうこの街にニンギルスが来ていやがる。ヤツラの狙いはやはり)
(ん? この気配、アイツか! 近い! すぐそばじゃねえか)
あぐら姿勢のまま跳び上がり、即座に駆けだし部屋を飛び出る(この間わずか二秒)。
(この距離、まさかとは思うが碧が目的じゃねえだろうな)
マンションから路上まで出るや、気配の存在する位置の見当を立て、最短ルートを走り抜ける。人間離れした速度に、通学途中の学生たちが目を瞠るも、かまわず応雷は駆け抜ける。
そもそも碧の通う高校自体が、夜摩篷家から大して遠からず、その登校路上にいる碧の下まででも、大した距離がある訳でも無い。
直ぐに通学中の学生が集まった人だかりまでたどり着く。
(アイツ、あの中か)
応雷の指すアイツとは碧のことでは無く、例の白い少女のことらしい。さすがにここまで走って来た勢いのまま、人だかりの輪の中へ突入する訳にも行かず、一旦は足を止めて状況をうかがう。
「あの人はもう、身も心も私の物っス。あなたとどういう関係だったか知らないっスけど今さら割り込む余地なんて無いっス」
「そんなのダメ。あの人は私と一緒に帰らないとダメなの」
(なんて話、してやがんだよ)
「あの碧に彼氏が⁉」
「あの見た目は今時の子なのに中身がアレな碧に⁉」
「相手はどういう人なの」
「碧の外見に合わせた人? それとも中身に合わせた人?」
「やっぱり碧と同じタイプじゃないかしら」
「真逆の可能性もあるわ」
「でも言い争っている子も美少女よ」
「じゃあやっぱり、ソーユー人なの?」
「って言うか、あの子、誰?」
(ええい、迷うな。ラハムを止めるのが最優先だ)
勢いをつけ、ジャンプで人だかりを跳び越え、人の輪の中心、言い争っている二人の少女の下へ飛び込む応雷。
「うわ、ビックリしたっス。応雷、この子誰っスか?」
「やっと会えた。ウシュムガル、私と来て」
「「「きゃーーー」」」
「ラハム、お前、何しに来たんだ」
「この子、ラハムって言うんスか」
「まず俺のことは応雷と呼んでくれ」
「オウライ………。何故出て行ったの。私たちを捨てて」
「あの子、私たちって言ったわね」
「複数形ね。他にも捨てられた子が」
「まさか二人の間には既に新しい家族が!」
「碧が略奪したのは、間違いなさそうね」
「そうね、あの人身長もそこそこ長身だし」
「顔もかなりのモノだし」
「心根も優しそうだし」
「女子にも慣れて無さそうね」
「碧のお祖父さんにも似てるわね」
「「「きゃーーー」」」
「おねがい、オウライ。私たちの下に戻って」
「俺はもう、ウリディンムを………」
「そのことで誰もあなたを責めない。私達に与えられた時間はとても短い。その間だけでも、皆と一緒に過ごそう」
「俺はお前たちを仲間だとは思えないんだ。ラハム、お前が皆の為に俺を呼び戻そうっていうなら、俺は聞く耳を持たない」
「皆の為じゃ無い。私はただあなたの為に、ウシュムガ…………、オウライの為に戻って来て欲しいだけ」
「それだ。俺の幸福は俺自身が選択する。俺は自分で自分の生き方を決める。ヤツラに押し付けられた仲間や幸福にはあまんじない。たとえ俺に許された時間がどれ程短くても、俺はその間、この街で碧と過ごす」
「「「きゃーーー」」」
拍手喝采
「なら、私も連れてって。私も応雷のそばにいさせて」
「私もこの際、二人一緒でもいいっスよ。三人で一緒に暮らすっスか」
「いいのか、それ。ラハムのこと、碧は何も知らないだろ。俺が言うのもなんだけど」
「きれいな子じゃないっスか。どうっスか、私と一緒に暮らしてくって」
「あなたは………、私は………。私はオウライのそばにいたい」
「決まりっスね」
「いきなり凄い事になったわね!」
「男一人に女二人で、同棲する気なの!」
「碧のお祖父さんに教えて来るわ!」