第六話 夜摩篷家の事情と応雷の事情1
その後、怪我も完治させ、体力も全回復した応雷と、静かな夜道を行く碧。夜も自宅には戻らず、例のマンションまで応雷と共に帰宅する。
「明日の朝、登校前に実家に寄るっスから、心配してくれなくていいっス」
「碧が俺の心配してるんだろ」
「そりゃそうっスよ。今晩また、あの変な生き物がやって来たら、また私の演技で追い返さなきゃならないっスから」
「アイツ等は、世間に存在を知られたくない理由がある。こんな所に堂々と乗り込んできたり出来ねえよ」
「じゃ、なおさら一緒にいても問題無いっスね。これからもなるべく人目に着く所にいた方が、安全って訳っスか」
(相変わらず、ムシュフシュやアイツ等の抱える事情、理由について、全く訊ねて来ねえんだな。それ以前に、俺が何者か知りたくねえのか)
根拠の分からない、強すぎる信頼は、逆に少しだけ応雷を不安にさせる。
先程のムシュフシュと碧のやり取りを、その場を逃れるための方便としか、思っていない応雷。
いや、たとえそれが碧の本心だったとしても、何故そんな思いを懐くのか、という所はやはり応雷には分からない。
自分だって、碧を護るために瀕死の重傷を負っておきながら、である。
応雷のこれまでの人生から考えれば、碧の様な存在は夢にも見た事の無い、未知との遭遇なのだった。
誰も応雷を助けてはくれなかった。否、応雷も誰を助けようとも思わなかった。ムシュフシュも、あの岡で応雷が倒したウリディンムも、応雷のかつての仲間だった。
協力し合う事、助け合う事はかつての仲間の間で、強制され、強いられていた。
助け合うことが美徳とされ、無関係の者を傷つけてはならない事など一般的な価値観、倫理、道徳なども、教えられてはいた。
だからこそ、あの始まりの岡で碧と出会い、自らの傷を癒すために碧を巻き込んだことに、罪悪感を覚えもした。
だが、果たしてそこに、他者への思いやりという自然の感情はあっただろうか。ムシュフシュやウリディンム達との間に、そんな感情が生まれる余地は無かったのだ。
故に今、応雷の中に芽生えた、碧を護りたいという思いに、応雷は途惑い、碧の応雷を思いやる行動の意味が、理解出来ないのだった。
翌四月七日、明朝。
応雷をマンションに置いたまま、碧は実家に顔を出す。朝食も身支度も当校準備も全て済ませ、自宅には寄り道程度の様子である。
もともと自宅とマンションは、割と近くに建っており、それ程遠回りになる距離でも無い。
碧の実家は基本農家であり、田舎によくある様な広い敷地に、農家造りの祖父母の住む家屋と、両親・碧の暮らす築十年くらいの普通の家宅が、並んで建てられている。
まずは両親に、昨日、一昨日と二日二晩に渡って帰宅しなかった件の詫びを入れる。
父も母も、叱るべきか、心配すべきか、きつく理由を問い質すべきか、優しく諭すべきかと、態度を決めかねオロオロする間に、狡猾な碧の曖昧なごまかし文句に言いくるめられ、理由を聞き出せないまま、話しを打ち切られてしまった。
(ここまでチョロいと、逆にかわいそうっスね)
両親に対し申し訳なくなり、今後はどうしたものかと思い悩む碧。これからは気をつけようにも、これからだって応雷とは一緒に居たい訳で、両親を取るか、応雷を取るか、難しい選択を迫られる碧。
(どうしたもんっスかね)
両親の生ぬるい態度に、自ら反省を強いられていた。実はそれこそが、碧以上に狡猾な両親の真の狙いだとは、彼女は若すぎて見抜けなかった。
気詰まりな感じで両親の下を去った後、さらに気詰まりな相手、祖父の下へ赴く碧。昨日の軍資金の礼を言いに行かねばならないと、思った訳である。
孫娘には、両親以上にぬるい態度の祖父に対しては、碧の方もどうしようもなくあまかった。
御年百歳になるこの祖父は、戦時中クルスクとか言う所で凄い事をしたらしいが、具体的に何をどうしたのかは、聞いても教えてくれない。
もはや正体も不明だが、どうやら日本人ですらないようだ。
紆余曲折を経て日本にたどり着き(流氷に乗って、オホーツク海を越えて来たという話もある)、この土地で当時の夜摩篷家の息女(碧の祖母)に見初められて、入り婿になった。
彼の病的なまでの合理主義精神は、この国のコメ農家において、優れた資質として発揮されたという。
百歳の祖父に高2の孫とは、いささか計算が合わないが、祖父と祖母が出会った時点で祖母がまだ二十代だったのに対し、祖父は既に五十を越していたのだそうな。
その当時、コメ作りは未経験ながら、祖父の実家も農家でジャガイモを作っていたらしく、農のなんたるかの心得はあったのだとか。
上辺の経歴を聞くだけでも、タダ者ならざる事の分かる人物だった。そのタダ者ならざる人物は今、縁側でジョッキに注いだ麦茶をがぶ飲みしている。
「祖父さん、おはよっス」
「あ、碧だ。わーい、元気か」
「昨日はおこづかい、ありがとっス。おかげでイイ男に貢げたっス」
「俺よりいい男か。背は高いか」
「まあ、そこそこ長身っスね」
「顔は男前か」
「かなりのもんスよ」
「心根は優しいか」
「そりゃあもう。ただ自分じゃ、そう思って無いみたいっス。あと、女子には慣れてない感じがするっス」
「それはいい男だ。逃がすなよ」
「はいっス」
「あら、碧にもいい人が?」
祖母登場。祖父と並んで縁側に腰を下ろす。
「しかも俺によく似た男らしい」
「祖父さん、そんなこと一言も云って無いっス」
「なに、いつの間にそんな男が。しかも僕によく似た男の様じゃないか」
父登場。
「まさか、二日続けて家に帰らなかったのって! いけませんっ。母さん許しませんからね」
母も登場。一家五人で並んで縁側に腰を据える。
「お相手は幾歳くらい? 何をなさってらっしゃる方かしら」と祖母。
「たぶん、私より一つ二つ齢上くらいっスかね。宿無しの行き倒れだったっス。いずれこの街を出てくって言ってるっス」
「あらまあ、懐かしい話。昔、お祖父さんもそうだったわね」
「よし、婿に迎えよう」
「父さん、母さん、勝手に話しを進めないでくれ。僕はそんな男、認めないぞ」
「いや、婿は何と言っても、流れ者に限る。きっと農業を継いでくれる」
「役所に務めた僕への当てつけか! 父さん」
「あなたも真面目でいい子ですよ」
「私も反対です、そんな人。非常識です」
「いや、僕は婿に迎えるとかは反対だが、男の遊び友達くらい高校生までなら、いや高校生にもなればか? う~ん、最近の学生達の常識が分からない」
「男なんて皆、オオカミみたいなもんです」
「男なら権力に尻尾ふる犬より野性の狼だと思うぞ、俺は」
「義父さんも、それで散々苦労なさったじゃないですか」
「買って出た苦労だ。後悔は無い」
祖父母と両親が家族会議をしている間に、碧の姿は消えていた。
(面倒な事になったっスね。でも私の人生っスから、私の好きにさせてもらうっス)
碧が居ない事にも気づかず、各々の人生論を展開する家族をおいて、学校に向かう事にした。