第四十二話
「うん? あの草藪の中にうずくまっている物は、なんスかね」
碧は始め、それを盛り土か何かかと思っていたが、よくよく見ると何か異質の塊がうずくまっている物と思えた。
『牛が伏せているのでしょうか?』
『虎ではないか?』
『あの、羊だと思います、ごめんなさい』
『あんなに大きな羊はいないよ。ヌイグルミかも知れない。ちょっと行ってくるね』
バシュムはそう言って、その謎の塊に向かって飛び付いた。よく考えると、かなりシュールな行動だ。
「あの大きさのヌイグルミなんて、それこそ在り得ないっス。異形の獣じゃ無いんスか」
『見覚えは無い。過去一万年内に新たに誕生した、我らの見知らぬ悪霊かも知れぬ』
「だとしたら、敵かも知れないじゃないっスか。おーい、バシュムさん、戻ってくるっス」
時すでに遅く、バシュムはその塊に全身を埋めて抱き着いている。
『う~ん。不思議な感触、なんだ、コレ。うわ』
するとその謎の塊は、のっそりと身を起こす。どうやらそれは、本当に獣のようだ。
晴天の陽射しの降り注ぐ、野原の真ん中で、その奇怪かつ巨大な未知の獣は、バシュムを貼り付けたまま、四本の脚で立ち上がった。
『貴女方が、かのティアマトの十一体の魔神であるか?』
「私以外はそうっス。あなたはどなたっスか」
それは、実に不可思議な存在だった。
『私は饕餮。富をむさぼり、食をむさぼる獣である。実体はない。先ほどこの辺りで、強大な功力を捉えたのでここまで来た』
「天命、神々と異形の魔神の宿命を、知っているんスね」
『貴女方が闘っていた者、太陽神の具体と思われたがいかがか』
「そうっス。バビロニア神話の太陽神シャマシュっス」
『あれにはまだ、太古のシャーマンの崇める精霊程度の神性しか示現されていないのである。より高度な神格として顕現すれば、貴女方でも立ち向かうのは難しい』
「そうっスね、正直言って私もあの情けない姿が、天候すら支配できる神様と言い難いのは分かってるっス。ヤツラはまだ、本気じゃ無いんスね」
『私は有る物を追って、大陸からこの国に渡って来たのである。神樹『扶桑』を象った青銅製の神器である。その『扶桑器』をシャマシュが得れば、彼の者はさらに強大な神格『炎帝祝融』と化す』
「先史時代より後代の神仙級の神格と化すんスね。ん? それってその神器『扶桑器』をティアマトさんが得れば、女媧、いや、さらに後代の『崑崙西王母』の神格を得られるんじゃないっスか」
『お前、何者だ』
「すると応雷も応竜、あるいはもっと神格の高い『燭竜』と成るっスか。でも『燭竜』と『炎帝祝融』の神性は重複してしまうっス」
『問題無い。同質の神性は対立し合うのなら両立し得る』
「でも私としては応雷に今のままでいて欲しいっス。これ以上、強くなって変わって欲しくないっス。シャマシュにも応雷にも渡る前に、貴方に渡せば大陸に持って帰ってもらえるっスか」
『我々もまた、神々と数千年に渡り戦い続けて来た。そして人類の発展と自立に伴い、神々の神力を弱めることに成功した。だが、同時に私達もその功力を奪われていった』
「その鍵を握るのが、人類が信仰し、祈りを捧げ、その力の示現を祭祀として執り行って崇めて来た、青銅製の神木『扶桑』なんスね」
『その通りである。ここまでスムーズに話しが通じるとは思わなかった』
「それでその『扶桑器』は今、どこに有るんスか」
『隣町から港湾貨物としてこの街に運ばれてくる予定である』
「まずいっスね。力づくで奪ったら、人類社会の官憲が動くっス」
『護送している神々さえ排除してもらえれば、私の左道の術で人の目に触れずに盗み出せる』
『碧、無条件でこの悪霊を信用するのは、リスクが大きかろう』
「一理あるっスね、ムシュフシュさん。事情を知られたら、応雷も『扶桑器』を欲しがるはずっスから」
『私はこの子、信じてもいいと思うな。抱き心地、最高だもの!』
『あ、あの、夜摩篷様。バシュムの人を見る目、と言うか直感は割と確かです。すみません、ごめんなさい』
「なるほどっス。饕餮さん、その仕事、実行するならどのタイミングっスか」
『明後日にはシャマシュが受け取りに、パーキングエリアに出向くのである』
『農園の仕事に就いた次の日に休む訳には行かぬぞ』
「一時間で終えるっス。手を組ませてもらうっスよ、饕餮さん」
翌日早朝、皆でそろって朝食を済ませた後、碧は学校へ登校し、他の四人は夜摩篷家の実家へと向かった。
ムシュフシュとウガルルムは、仕事先へ紹介されに行き、バシュムは自転車を借りて一日この街を回り、見聞を広める旅へ。
クリールは夜摩篷家の家族と初顔合わせのつもりで来たのだが、碧の祖父に会い、その身ごなしから一目でその実力を見抜き、その場で弟子入りを申し込んだ。
そしてその祖父の、居合い演武を目の前で実演してもらうや、クリールは己の生涯追い着けない目標を得たと確信する。
ここにクリールの求道者としての人生が定まった。
学校生活では、碧は真面目に勉学に勤しんだ。碧が記憶を取り戻したことで、地獄の忘却作用は効力を消失し、皆も例の仙丈応雷の存在を思い出していた。
あの登校途中の碧とラハムの一件である。
その為、皆、碧に興味津々なのだが、あえて聞きに行けるほど親しい者もいないので、妙な緊張感が漂っている。
結局そのせいで、授業も勉学もとてもはかどった。一日の授業を終え、碧は一目散に実家へ顔を出す。クリールは縁側で、祖父から禅の指導を受けていた。
今日一日の指導だけで、クリールは目に見えるほどの進歩を遂げた様に、碧にもうかがえた。
(これなら私も、祖父さんにmeを使った戦い方を習えばよかったっスかね?)
やがてバシュムも自転車を届けにやってくる。随分と楽しそうだった。
迎えに行った祖母と共に、ムシュフシュとウガルルムの二人も帰宅する。
「どうだったっスか、初仕事」
『うむ。面白い冗談は言えないが、つまらないことも言わない、真面目で感じのいい青年だった。悪くない』
「仕事に行ったんスか、お見合いに行ったんスか」
『信じてください。私は碧さま一筋ですぅ』
「二人で取り合いにならなくて、まあ、よかったっスよ。ムシュフシュさん、ウガルルムさん」
「ええ、二人とも筋が良いですよ。好い農家のお嫁に成れそうですね」
「祖母さん、もうすっかりその気なんスね」
その内、共働きの両親も帰宅し、この日は皆、実家で夕食を共にした。やがて暇を告げ、碧と共にマンションに移る一行。
「明日は早朝八時半に、パーキングエリアについて、シャマシュか輸送車、先に来た方を叩くっス。結構ギリギリのスピード勝負になるっス」
『ああ、何としてもシャマシュと『扶桑器』の合流は阻止しよう』
『あ、あの、人目に着かずに行う必要は有るでしょうか』
『それはそうでしょ。でも優先度で言ったら、他の人達一般人の目に触れないことより、シャマシュと神器の合流阻止の方が、最優先だね』
『そうですね。恐らく受け取りに来るシャマシュの方が先に着いているでしょから、見つけ次第、即、先制攻撃を仕掛けましょうか』
「シャマシュさえ倒しておけば、後の事は饕餮さんに任せられるっス。一気に片を付けるっス」
よろしくお願いします。3日ぶりです。